第4話


ジズはその日、朝からずぅっとそわそわしていました。


出がけに母が「今日は早く帰ってくるから、そしたらお祖父ちゃんのところに行きましょう」と言ってくれたので、ジズは学校が終わるのも待ち切れない思いだったのです。


嬉しそうな様子のジズを見て、同じクラスの子たちは「もしかして本当の花が見つかったの?」と尋ねました。


「きっと今日見つかるわ」


ジズはふふ、と幸せそうに笑って答えました。


だってジズの大好きな二人が、ジズが物心ついてからずっとぎこちなかった二人が、お互いのことをどう思っているのかようやくわかったのです。仲が悪く見えたのはお互い素直になれないだけだったのだと。


それなら、本当の気持ちを伝え合えば愛し合うことなど簡単ではないかと、ジズには思えたのでした。


学校が終わりジズが走って家に帰ると、母はまだ帰ってきてはいませんでした。テーブルの上には控えめに包まれた人工植物の白い花が置かれており、その傍らには淡い色の小さな便箋が添えてあります。


「これってお母さんの手紙ね」


そこにはジズの母が長年言えなかった想いが、不器用な言葉で綴ってありました。


男手一つで自分を育ててくれて感謝していること。


あまり真っ当とは言えない結婚を心配してくれていたのに、反発して半ば絶縁するように家を出てしまったこと。


それを未だに謝れていない、謝りたいこと。


まだうんと小さなジズと二人で路頭に迷いかけていた時、ひどい別れ方をしたにも関わらず再び受け入れてくれたこと。


昔贈った花のことを覚えていてくれて、嬉しかったこと。


そんな言葉たちがどこか居心地悪そうに、けれど真摯に、便箋には書かれていました。


それを見たジズは、お腹の底の方から何やら温かくて柔らかな気持ちが溢れてくるのを感じました。


「お祖父ちゃんにも、早く読んでもらいたいわ」

 

だってこの手紙と花にはお母さんの本当の気持ちが詰まっているんだもの。

 

ジズが便箋をそっと元の場所に戻していると、突然家の電話がけたたましく鳴りました。

 

「ああ、ジズ。ごめんなさい!」

 

電話はジズの母からで、仕事でどうしても抜けられない会議が入ってしまって帰るのが遅くなる、というものでした。

 

「だからジズ。先に花を持ってお祖父ちゃんのところへ行っていて。わたしも仕事が終わったらすぐ向かうから」

 

そう言って電話を切ろうとする気配が伝わってきたので、ジズは慌てて訊きました。

 

「お母さん! あの、一緒に置いてあった便箋も、持っていっていいのかしら?」

「ああ、えっと、そうね……もしかして読んでしまった?」

「ええ。その、ちょっとだけ」

 

ジズはてっきり怒られるかと思いましたが、ジズの母は恥ずかしそうに笑っただけでした。


「……ジズがね、素直な気持ちを伝えればいい、って言ってくれたでしょう。だから書いてみたんだけれど、ダメね。とりとめがなくなってしまって。これでわたしの気持ちが伝わるのかどうか不安だわ」

 

その声音には幼い少女のような頼りなくも真っすぐな色が混じっていました。


「きっと伝わるわ」

 

ジズが力強くそう応えると、「ふふ、ありがとう」とくすぐったそうな笑い声が返ってきました。

 

電話を切ったジズは丁寧な手つきで便箋を花の包みに入れると、それを持って家を出ます。


気が逸っていたジズの耳には家の扉を閉めた直後に再び鳴り出した電話の音は届かず、その音は空っぽの家の中で不穏に鳴り響き続けました。



病院に着いたジズがお祖父さんの病室に向かっていると、なんだか色んな人が慌ただしく行き交っていました。


少し早足になりながらジズがお祖父さんの病室に急ぐと、顔見知りの看護師が向こうから走ってきました。


看護師はジズの姿を認めると駆け寄って来ます。その強張った表情が――その表情が物語る何かが、ジズにはとても恐ろしく思えました。

 

「……みんなどうしたの? 怖い顔をして走り回っているわ」

 

ジズの問いかけに看護師は悲しげに首を振りました。

 

「ああ、ジズ。電話を聞いていないのね。さっきお家に連絡したのだけれど」

「何を連絡したって言うの? わたしはお祖父ちゃんのお見舞いに来ただけよ!」

 

ジズはほとんど叫び出しそうに言いました。

言葉こそ問いかけの形を成していましたが、本当は今すぐ耳を塞いで逃げ出したい気持ちだったのです。

 

「ジズ、お祖父さんの容態が良くないみたいなの。今は会うことができないから待っていてくれる?」

「――待っていれば会えるのよね?」


ジズはなんとかそれだけ訊き返しました。待ちさえすればいつも通りの優しいお祖父さんに会えるのならば、ジズはどれだけでも待つことができると思えました。


「……私からは待っていて、としか言えないわ。ごめんなさい、ジズ」


けれど看護師はそう言って慌ただしく立ち去ってしまいました。


一人残されたジズは廊下の壁際のソファーに座り込んで、じっとリノリウムの床を見つめます。


またお祖父さんと会えるかどうかわからないまま待ち続けるのは、ジズにとってひどく苦しいものでした。


気づくと手の中で花の包みがひしゃげてしまっていて、ジズはそれを力なく体の側に横たえます。死んだように横たわる花を、ジズは直視できませんでした。


お祖父ちゃんに会いたい。本当の花を見せてあげたい。


ジズは膝を抱えて、祈るように心の中で繰り返しました。


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