第3話
「それじゃあ、お祖父ちゃんの言っていた人はお母さんだったのね! ねえ、お祖父ちゃんは言っていたのよ、昔ある人がプレゼントしてくれたからこの花が好きになったって」
「……いいえ、きっと何かの間違いよ。あの人がこの花を好きなわけないわ」
ジズの言葉にジズの母は首を振りました。そこから堪えきれずに零れ落ちた悲しみの匂いにジズは気づきました。そして優しい口調で問いかけます。
「どうして? 何があったの?」
「……嫌いって言ったのよ。お見舞いにこの花を持っていった時に」
ジズの母はテーブルの上の花瓶に視線を向けました。
その段になってようやく、ジズはそれがお祖父さんの好きな花だと気づきました。同じ花がお祖父さんの病室にあつたことにも。
「でも、そんなはずないわ。わたしに好きな花の話をしてくれた時、とても優しい目をしていたんだもの。嘘なわけないわ」
ジズは、できることならあの時のお祖父さんの表情をジズの母にも知ってもらいたいと思いました。そうすれば、お祖父さんがこの花を、そしてそれをプレゼントしてくれた人のことも大好きだとわかるはずなのです。
ジズの母だってそれが本当だと思いたい気持ちはありました。けれど、長年のうちに凝り固まった心は、お祖父さんに対して素直な温かい気持ちを持つことをなかなか許さなかったのです。
ジズの母は昔、お祖父さんに花を贈った時のことを思い出していました。幼いうちに母親を亡くし、お祖父さんの男手一つだけで育てられた彼女は、片親故に周囲から心無い言葉をかけられることがありました。
そんな時、お祖父さんは決まって「ごめんな、ごめんなあ」と謝るのです。ジズの母はちっともお祖父さんを責めたりしないのに――むしろ一人で自分を育ててくれることに感謝していたのです――悲しい顔をするお祖父さんが、どうしたら笑顔になってくれるか考えた末に選んだのが、花を贈るというものでした。
幼かったジズの母が真っ白い綺麗な花を手渡すと、お祖父さんはおっかなびっくりそれを受け取りました。どうやって触ったらいいかわからない、といった風情で困り顔のお祖父さんを見て、ジズの母は可笑しくて笑ってしまいました。
するとお祖父さんもちょっぴり困り眉のまま、それでも嬉しそうに笑ってくれたのです。
ところが時が経ち、ジズの母親がお祖父さんの反対を押し切って結婚して以来、彼らの間には溝ができてしまいました。
その溝は徐々に深く長くなっていきましたが、生まれたばかりのジズを置いてジズの父親が亡くなったことで、ジズの母はお祖父さんに頼る外なくなりました。
お祖父さんも片親のジズを不憫に思ったのかジズたち母子を迎え入れましたが、一緒に暮らしていても二人の間には溝がぽっかり口を開けたまま、歪な関係だったのです。
それでもジズは心身ともに健やかな、素直で愛らしい少女に育ちました。互いに歩み寄ることはなくとも、ジズの母もお祖父さんも、真っすぐにジズを愛していたからです。
お祖父さんは父親の代わりにジズを色々なところへ連れて行ってあげました。色々なお話を聞かせてあげ、いつだってジズの舌っ足らずな話を優しく聞いてあげました。
ジズの母は、どんなに仕事が忙しく疲れていたとしても、ジズのために真心を込めてご飯を作ってあげました。ジズのお遊戯会や運動会には、どんなに遅くなっても必ず駆け付けました。
そうやって真っすぐな愛情を注がれ続けてきたジズもまた、その小さな体で目一杯、母親とお祖父さんを愛していたのです。
ジズの母親とお祖父さんを唯一繋ぐことができたのは、そんなジズの存在だけでした。
けれどお祖父さんが病に倒れた時、ジズの母は後悔したのです。ジズの存在に甘えて、お祖父さんと向き合うことから避けてきたことを。
そこでジズの母はお祖父さんと仲直りしようと、お見舞いに昔お祖父さんを笑顔にしてくれた花を携えて行ったのです。しかし、その花を見てもお祖父さんはジズの母が期待したような反応をしてはくれませんでした。
「この花を覚えている?」
ジズの母の問いかけに、お祖父さんは「知らん」そして「まがいものの花は嫌いだ」と言ったきり黙って窓の外を眺めていました。
そしてジズの母はそれっきりお祖父さんのお見舞いには行きませんでした。
「どうせ私の持っていった花だって、もう捨てているわ」
その言葉にジズははっとしました。
そうです、本当に嫌いならすぐにでも捨てるはずです。けれどお祖父さんは嫌いと言いながらも、ずっと病室のベッドの脇――いつでも見えるところにそのまがいものの花を飾っていたのです。
(素直になれないだけなんだわ、お祖父さんもお母さんも。本当はお互いのことを愛しているのに、長い間その一言が言えなかったせいで今こんなに悲しい思いをしているのね)
ジズはどうにかして二人の間の溝を埋めたいと、強く強く願いました。
「お母さん、お祖父ちゃんは言っていたわ。本当の花には人の想いが込められているって。それならその逆もあると思うの」
「……どういうこと、ジズ?」
真剣な眼差しのジズに気圧されるようにジズの母は聞き返しました。
「まがいものの花だって、本当の気持ちを込めれば本当の花にきっとなれる。それがきっとお祖父ちゃんの言う本当の花なんだわ」
きっと花は見る人の心によって、まがいものにも本当にもなるのです。
それが、本当の花を探し続けた果てにジズが辿り着いた答えでした。
「ねえ、お母さんはお祖父ちゃんを愛している?」
ジズは無垢な目をして言います。
「お母さんが愛しているのなら、きっとお祖父ちゃんだってお母さんのことを愛しているはずよ」
「……愛したいと、思っているのよ」
ジズの母は目を伏せました。
彼女は幼いジズのように人と人との愛情がきっちり釣り合うなどと、純粋に思うことができなかったのです。大人になってからもうずっとそうだったのです。
幼かった自分がお祖父さんに花を贈ったその時、一体どんな気持ちでいたのかジズの母には思い出せませんでした。
あの時の気持ちを覚えていれば、お祖父さんはまがいものの花でも笑いながら受け取ってくれたのでしょうか。
「でももう、愛し方もわからないの」
「大丈夫よ。愛したいと思っているのなら、その気持ちを素直に言えばいいだけだわ」
「ジズ……」
「お母さんは知らないだろうけれど、お祖父ちゃんはお母さんが持っていった花をずっと飾っているのよ。それがきっとお祖父ちゃんの本当の気持ちだわ」
ジズの言葉にジズの母は息を呑みました。そして、
「わかったわ。明日お見舞いに行きましょう」
その瞳には決意の色が浮かんでいました。
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