ある葬式の光景
姉川正義
第1話
その老婦人は喪服だったので、これが彼女の葬式であることはすぐに分かった。
ぴっちりと襟や袖口の詰まった黒いドレス。襟首のレース飾りと釣鐘型に膨らんだスカートは時代遅れの古い型だ。
重々しい喪服で重々しく座る老婦人の椅子の周りには始終人だかりができていて、彼女がこの場の女主人であることは明白だった。これは彼女のための葬式なのだ。
むしろ、人々はこぞって彼女に媚を売っているようにさえ見えた。彼女の娘か、下手すると孫娘くらいだろうか。年若い女性がひとり、常に彼女の隣に侍っている。かいがいしく世話を焼き、わざとらしいくらい朗らかな声で喋りかけていた。
お茶をお注ぎしましょうか?
ケーキは如何ですか。ほらこれ、私これ大好きなんです。
あちらのお花を見に行かれませんか?
葬式はつるバラの咲き誇る庭園で行われていた。これも彼女の意向だ。鮮やかな花が色とりどりに咲き乱れ、草木の緑と共にうつくしい景観を作っている。但し残念ながらその日は曇りだった。故人を悼んでの暗い空だったのかも知れないし、あるいは女主人たる彼女の不機嫌が天の上にまで届いたのかも知れない。
若い女性は懸命に彼女の気を引こうとしていたが、彼女の反応は芳しくはなかった。差し出された食べ物にも殆ど手をつけず、俯いた虚ろな瞳は表情を映さない。
それでも笑顔を崩さずに侍り続けたのはいっそ感嘆に値する。娘か、侍女か、それとも彼女の秘書か何かだったのだろうか。見返りのない空虚な奉仕は最後の最後までよどみなく続いた。若い女性の明るく高い声が多少耳障りであった。
今更どんな望みも叶うはずがなかろうに、健気な。
他にも数名の取り巻きが彼女を囲んでいた。近づけない者達は思い思いに庭園を散策する振りをしながら、遠目に彼女を見ていた。見定めようとしていた。本当に終わってしまうのか。止める手立てはないものかと。
鐘が鳴った。
俯いていた彼女は迷いなく立ち上がった。顔を上げ真っ直ぐに前を向いて、確かな足取りで歩き出した。追いすがろうとする者達を見向きもしない。
庭園の奥、つるバラのアーチを抜けた先に棺が安置されている。
彼女は確かな足取りで棺に向かって歩いた。
空の棺に向かって屈み込む。
腰を曲げた姿勢で彼女の動きは静止した。
喪服の老婦人はそこで砂になった。
───ご臨終です。
砂がさらさらと棺に流れ込む。空っぽだった棺に彼女だった砂が流れ込み、棺は埋葬のための箱としてあるべき姿になった。埋葬のための箱たる棺を己の死体で埋め尽くし、彼女は彼女自身の手で彼女の葬式を完遂した。
耳障りな甲高い泣き声が響いた。
曇り空の下、つるバラの咲き誇る庭園にて。
これが彼女の葬式であった。
ある葬式の光景 姉川正義 @anegawamsjs
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