狂悪との遭遇

「……いや……いやーっ! エルビン、エルビンーッ!」


 目の前の光景を見たティアが、即座に状況を理解して取り乱し叫び出します! 

 私は咄嗟に彼女の身体を捕まえて動けない様にしました。

 放っておけば彼女は彼へと走り寄り、そのまま怪物に薙ぎ倒されていたに違いなかったからです。

 いきなり現れた人間の集団、それも一人は大声で騒ぎ立てると言う光景を前にしても、エルビンを踏みつけてこちらを睨み付けている怪物が微動だにする事はありませんでした。

 まるで、絶対王者の風格すらそこには漂っています。


「……レオ……タイガー……」


 私の記憶に間違いがなければ、目の前の怪物は「レベル5 ラビリンス」で最強と恐れられている「レオタイガー」です。

 その姿は二種の大型肉食獣が組み合わさった様であり、一見しただけでその獰猛さが窺い知れると言うものでした。


「でもメル……あの姿は……」


「……ええ……最悪……」


 どうやらグリンも気付いた様で、彼の言葉に私も運命に皮肉を込めてそう毒づきました。


 通常レオタイガーの体毛は黄褐色おうかっしょくをしています。

 そして、胴体だけに淡い黒色の横縞よこじま模様が施されているのです。


 ―――でも……。


 目の前にいるレオタイガーは、全身を燃える様な赤い毛並みで覆われていたのです。

 いえ……そのたてがみは、まるで血の様な真紅に染まっていたんのです!


「……間違いないわ……あれは希少種レアよ……」


 なんて偶然! そしてなんて不運!


 一般的に希少種なんて、会いたくても早々会えるものではないわ!

 レベルの低いラビリンスでは、その希少種から採取出来る珍しいアイテムを目当てにしている冒険者もいるけど、そんな彼等でも希少種に出会う為には何日もラビリンス内に籠らなければならない場合が殆どです。

 なのに、よりにもよって怪物に出会いたくない場面で、しかもこのラビリンス最強の怪物、それも希少種に会うだなんて……。


「グルルルル……」


 明らかにこちらを警戒し、レオタイガーが威嚇をしてきました。

 それは、獲物を捕獲する邪魔をするな、とでも言っているようです……。


「……メル……」


「……え……ええ……」


 今は悲しい程に、グリンの言わんとしている事が判ってしまう。

 もし……もしも倒れているエルビンが既に息絶えているのなら……。

 私達はその亡骸を放棄してでも、ここから無事に立ち去る算段をしなければならない。

 ティアには辛い決断を強いる事になるけど、死んでしまった人間に引き摺られて、ここに居る全員が同じ末路を辿る事は避けなければならないのだから。


「……う……あ……」


「……はっ!? エルビンッ、エルビンッ!?」


 でも幸いなのか……不幸なのか……エルビンの息はまだあったのです。

 それどころか、僅かに意識も取り戻した様ね。

 私が体を完全に拘束してなかったら、ティアは即座に飛び出していた事でしょう。

 そして、ここに至っては戦わないと言う選択肢は消え失せてしまいました。

 流石の私達も、まだ息のある知人や仲間を放って逃げると言う選択肢は取り得ないわ。


「ティア……ティアッ! 落ち着きなさいっ!」


 私は耳元で彼女の名を叫びました! 

 ビクッと体を震わせて、ティアの体は脱力し大人しくなりました。


「……ティア……落ち着いて……。あなた、彼を助けたいんでしょう?」


 私の囁きに、ティアは涙を滴らせて頷き答えました。


「……なら、あんたが冷静でなければ彼を助ける事なんて出来ないわ……。あの怪物は強い……とても強いの! みんなで協力しないと絶対に勝てない! ……分かるわね?」


 その言葉もティアには届いた様で、再度彼女は頷いて了承しました。

 それを確認して、私は彼女を拘束していた両手を解きました。


「私が前に立って奴の相手をする! ティアは私のフォローを! グリンはシャルを守って、シャルはタイミングを見て魔法をお願い!」


 私は抜刀しながら、皆より前へと進み出てそう指示をしました。

 本当はティアに前衛で戦って欲しいんだけど、彼女の技量では到底そのポジションは任せられない。

 私達の動きを見て取った真紅のレオタイガーが、エルビンを押さえつけていた前足を除けてこちらへと向き直りました。

 でも余程の深手なのか、拘束を解かれたエルビンが動き出す気配はありません。


「……グリン、シャルに魔法の指示を宜しくね?」


 私は出来るだけ微笑んで、彼の方を見るとそうお願いしました。

 魔法の規模やタイミングは、まだまだ経験の浅いシャルでは判断出来ない場合が多いと思ったからです。

 でも、その笑顔がどこか不味かったのか、グリンは不安気な笑顔を返してきました。

 そんなに私の笑顔は引きつっていたのかしら……?


「メルッ! あの様な怪物なんかに負けるなんて、許しませんからねっ!」


 シャルの挑発めいた激励が聞こえて来たけど、今はそれにも笑顔を返すしか出来ませんでした。

 それ位、目の前のレオタイガーから受けるプレッシャーは尋常では無かったのです!


「ゴフッ!」


 まるでこちらから来るのを待っている様に、深紅のレオタイガーから仕掛けて来る素振りはありません。

 此方を見据えて微動だにせず、まるで私の一挙手一投足をジックリ観察している様だわ。


 ―――体の至る所から、汗の滲んでくるのが分かる……。


 ―――喉が渇いて、空気を吸うのも辛くなってきた……。


 今までラビリンスで怪物と対峙しても、こんな感覚に囚われた事なんてなかったわ……。


 以前「レベル2 ラビリンス」で、針ヤマネコの希少種と対峙した時の事を思い出しました。

 あの時も、それなりに強いプレッシャーを受けましたが、今受けているのはそれの比とは到底ならない程です。

 でもこのまま逃げ出す訳にも、お見合いを続ける訳にもいかないわね。

 倒れているエルビンは明らかに深手を負っていて、今は意識もあるけどすぐに手当てをしなければいけない状況なんだから。


「……ふっ!」


 小さく息を吐いて、少し遠間から私は一気に斬りかかりました! 

「神懸り」を使用した可能な限り素早い動きで攻撃して、レオタイガーの強さを見極めようと思ったのです。


 ―――でもっ!


 初めて見る私の動きを完全に見切ったかの様に、怪物へと迫る私に前足のカウンターが迫って来たのです! 

 このまま攻撃を続ければ、私はその前足の爪で斬り裂かれた直後に吹き飛ばされてしまう!

 斬りかかろうとしていた剣を防御に回すと、その直後信じられない衝撃が体を襲い、私の体は大きく押し戻されました!


 ―――私のこめかみに、一筋の冷たい汗が流れました……。


 怪物の力を様子見ようとした私の能力を、このレオタイガーは完全に見切り余裕を以て迎撃して来たのです! 

 完全に怪物の方が上手であり、全く力の底が見えませんでした……。


「ヴッ!」


「あっ……危ないっ!」


 余りのショックで僅かに動きを止めた私へと、レオタイガーは容赦のない追い打ちをかけてきました。

 仕留められる時に容赦なく仕留めに掛かる所は、間違いなく肉食獣の習性だわ!

 完全に回避のタイミングが遅れた私の前に、盾を構えたティアが飛び出してきました!


「きゃーっ!」


 彼女の持つ盾の金属部分を引き裂く音と、その盾に響く恐るべき打撃音が同時に鳴り渡り、悲鳴と共にティアが大きく吹き飛ばされました!


「きゃあっ!」


 彼女の身体は私をも巻き込んで吹き飛び、私達は無理やりレオタイガーと距離を取らされてしまったのです! 

 大きく隙を曝け出した姿勢になりましたが、そこにレオタイガーの追撃は襲って来ませんでした!


舞い散る氷雪リョート・ネーヴェっ! 霰礫グラニーゾっ!」


 レオタイガーの鼻先に、シャルの手から放たれた無数の氷塊が着弾したからです!

 グリンの指示の元、絶妙のタイミングで放たれた攻撃はレオタイガーの追撃を出足で挫いたのでした!


「グリンッ! この様に弱い魔法で良いのですかっ!?」


「ああっ! 君が全力でこの間の様な魔法を使ったら、あそこで倒れているエルビンまで巻き込んでしまうっ!」


「でもっ……この程度の魔法ではっ……!」


 魔法を発動するまでの時間一つとっても、それが出の早いスピードのある魔法だとは判断がつきました。

 だけど彼女が言い淀んだ様に、この魔法ではレオタイガーを倒す事は勿論、ダメージを与える事も殆ど出来ていません。


「助かったわっ、シャルッ!」


 でも彼女の魔法は、私達が態勢を整えるまでの時間稼ぎにはなりました。


「それにティアもっ! 良く防いでくれたわっ!」


「は……はいっ!」


 そしてティアの防御が無ければ、恐らく私は大きなダメージを負っていたわ。

 今の私達では、一対一では到底敵う相手では無いと言う事です。


「……シャル……ティア……良く聞いて……」


 恐らく相手は、人語なんて理解出来る筈がないわ。

 でも何故だか私は声を潜めて、目の前の怪物に此方の策が聞こえない様にしていました。

 目の前の怪物を見ていると、何だかこちらの会話を聞かれている様な気になってしまうのです。


「今のままじゃあ、あいつを倒す事は難しいわ……。可能性があるとすればシャル、あんたの全力を出した魔法しかない……!」


 私の言葉に、シャルの体がピクリと震えました。


「ここから少し通路を戻った所に、小さな空洞になった所があったわよね? あいつをそこまでおびき寄せるわよ……。あそこならシャルが魔法を使っても、倒れてるエルビンに影響はないわ」


 グリンとシャル、そしてティアは肩越しに後方を確認しました。

 彼等も前方で立ち塞がる怪物に、こちらの意図を知られない様に行動しているみたい。


「シャル……あんたの魔法が頼りよ……。行けるわよね……?」


「も……勿論ですわっ! あの怪物をわたくしの力をあなた達の目に焼き付けて差し上げるわっ!」


 ブルルッ……と身震いをして、シャルは気持ちが昂ったのかそう言い放ちました。

 余程興奮しているのか、普段は使わない様な言葉まで発している事に本人は気付いてないようだけど。

 本来、戦闘状態ならば、余計な力が入らない様に冷静を保つのが常よね。

 でも今はこれで良いはずだわ。

 彼女には、ありったけの力で魔法を行使して貰わなければならないんですから。

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