禁薬

「……アイネさん、お待たせしました。これが出来上がった薬です」


 グリンはガラス瓶に入れた、淡く青い光を放つペースト状の薬を彼女へと差し出しました。


 アイネさんが、全ての材料を用意してくれてから大よそ二時間後……。


 グリンは、頭に浮かんだレシピを完成させていました。

 と言っても、傍で見ていた私が言うのも何ですが、制作方法と手順自体はそれほど難しいと言う事はありませんでした。

 全ての材料を定められた順番に、適量を加えながら煮詰めて行く、言ってしまえばそれだけです。

 でも用量や鍋の温度、煮詰める時間、タイミング……どれをとってもグリンしか知らない事ばかりで、私が再現しろと言われても到底無理な事に変わりはないんだけどね。

 グリンから差し出されたガラス瓶を手に取り、アイネさんは暫しそれを眺めてユックリと目を閉じました。

 私にはその瓶から何も感じる事は出来ませんが、アイネさん、そしてシャルの表情を見る限りでは、きっと魔法的に作用する何かが働いているんでしょうね。

 再び目を開いたアイネさんは静かに、それでいて淀みない所作でテーブルに置かれていたスプーンを手に取ると、瓶の中のペーストを救い上げてその口に運んでいきました。


 ―――ゴクッ……。


 アイネさんでは無く、恐らく私かグリンの鳴らした喉の音がやけに大きく聞こえました。

 それ程アイネさんの動きには緊張が感じられたのです。


「……ほんのりと甘く……それでいて酸っぱい……なんて心をくすぐる味なのかしら……。それにこれは……隠し味の様な苦みが甘さと酸っぱさを更に強調させています……。効力もさることながら、その味もまた今までに味わった事のない素晴らしいものです……」


 そう呟いたアイネさんは、再び沈黙しました。


 ―――暫くして……。


 三度ソッとその瞼を開けたアイネさんは、今までにない厳しい視線をグリンへと向けました。


「……本当に……あなたは恐ろしい人ですね、グリンさん……。いえ、本当に恐ろしいのはその“タレンド”と言う能力の方でしょうか……」


 だけど厳しかったのは僅かに数秒。

 そう言ったアイネさんの瞳は元の優しい色へと戻っていました。


「……この薬には、『マッシュの苔』が持っていた滋養強壮効果を更に高める効能があります。しかもスプーン一杯で得られる効能は、そのまま摂取した時の数倍に達しています。そしてこれが最も驚いたのですが……」


 そう言ってアイネさんは、グリンの方へと向けていた視線を、仄かに青い光を発している小瓶へと落としました。


「……この薬には寿命を引き延ばす効果があります。一杯当たりの効果はそれほどではありませんが、続けて摂り続ければ、それこそ永遠の寿命を得る事の出来る可能性を秘めています……」


 …………。

 私が最初に受けた感想は、大きな驚きと同じ位の「またか……」と言う思いでした。


 それは人の手に余る薬……。


 それは人が得てはいけない、人の認識を大きく超える禁断の薬に間違いないのです。

 グリンもその事を痛感しているのか、俯いて歯を食いしばっています。

 気付けば手は握り込まれて拳を作り、強すぎる力で握られた掌には爪が食い込んで血が滲んでいました。

 私はその手をそっと取って、取り出したハンカチで手当てをしました。

 無言で行ったその行動にグリンの頭も冷えた様で、作業をする私に力ない笑みを向けてきました。


「……グリンさんのその表情を見れば、これがどれ程なのか分かったようですね」


 私達の行動を見ていたアイネさんが、優しい表情でそう語りかけてきました。


「……でも母様? 人が死にたくない、少しでも長く生きたいと考えるのはとても普通の事の様に思えるのですが? そう考えればこの薬は、人々にとって夢の様な薬であり、危険どころか大いに喜んでもらえるのではないのでしょうか?」


 シャルがもっともな見解を述べました。

 でも、人間はそこまで理性的に行動出来る生き物ではありません。


「……いいですか、シャル……。この薬は大きな力を持っていますが、人々全ての望みをかなえる程大量に作れるものではありません。少ない薬を巡って、起こらなくて良い争いが起きてしまうかもしれないのです。その結果、長く生きる為の薬で多くの人々が死に瀕する可能性もあるのです」


 アイネさんの丁寧な説明は、正しく私達が危惧した事なんだけど、それを聞かされていたシャルの表情は一切変わりませんでした。

 まるで本当に他人事の様な、あまり興味を引く話ではないと言った面持です。


「……本当に“人間”はおろかな生き物なのですね……」


「……そうね……でもそれだけが“人間”の全てではないのです。全く違う側面も持っているのですから」


 本当に無感情な呟きをしたシャルに、アイネさんも同意を示しました。

 もっとも、ちゃんと違う考えを添える所から、流石は大人であるとも感じさせました。

 だけど、自分も人間だと言うのに、まるで違う生き物である様な言い方には違和感を覚えますが……。

 それに、グリンが本当に悔しいと感じているのはその事だけではないのです。


 自分の作り出す物が、そう言った争いのタネとなってしまう可能性がある……。


 彼にはそれこそが本当に悔しい事だったんです。


「……でもグリンさん、安心なさい。この薬も、そしてこの薬を作る材料も手に入りません。そしてあなたが新たに作ろうと考えなければ、この薬は決して世に出回る事は無いでしょう」


 グリンは、アイネさんを見つめてユックリと頷きました。

 その存在が世に知られなければ、それは初めから存在しなかった事になるのは間違いないのです。


「……今よりこの薬は『マシュガノフ』と名付け、『禁薬』として森の魔女であるこのアイネ=ウェネーフィカが預かり封印します。あなた方も今後この薬について、一切の口外をしない様命じます……宜しいですね?」


 アイネさんの言葉を聞いて、私達三人は同時に深く頷いて答えました。


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