お伽噺の森の魔女
―――翌日。
まだ空が白み始めて間もない時間に、私とグリンは宿屋を出発しました。
この街からなら昼前には森の中へと入れるはずです。
流石に眠い目を擦って、私達は街道を北上して目的の森へと向かったのでした。
―――そして数時間後……。
街道から森に向かって逸れる道を進むと、すぐに森の入り口へと辿り着きました。
道は整理されているというより、長年踏み均されて出来た猟師道に見えます。
「ここから森に入った方が安全よね?」
道無き道を突き進むよりも、こちらの方が安全に早く進む事が出来ます。
でも、現地の人達が使ってるルートを通っても、到底魔女に会えるとは思えません。
勿論魔女がいれば……の話なんだけどね。
「……うーん……兎に角森に入ろう」
グリンの言う事ももっともです。
何はともあれ森に入らなければ始まらないのですから。
「そうね……行きましょうか」
私もその案に賛同して、そのまま先頭を切って森の中へと足を踏み入れました。
森の中は薄暗い……と言っても、今日は良い天気で木漏れ日が程よく森の中を照らして、散策には申し分ないと言った状況です。
グリンはキョロキョロと周辺を見回して、目聡く野草やキノコなんかを見つけては採取しています。
ほんと……本来の目的を覚えてるのかしら?
森には怪物とまでは行かなくとも、それなりに凶暴な猛獣が出たりする事があります。
例えば熊とか、狼なんかも遭遇すれば厄介です。
だけどこの猟師道は、野生動物も人間が歩く道だと理解しているのか、そう言った不意の遭遇はありませんでした。
本当に
数時間、森の中心部を目指して猟師道を歩いたけど、特に不可思議な物や場所も無く、私達は猟師道の終着点である少し開けた場所へと辿り着きました。
ここは、森で一晩過ごす猟師達がキャンプを張る場所として使っている場所です。
気付けば日も大きく傾き、如何に人が分け入っている森だとしても、歩き回るには適さない時間となってきました。
夜の森と言うのは、想像以上に危険な場所でもあるのです。
「……グリン、どうするの?」
勿論、道さえ外れなければ街道に戻る事も可能な筈です。
私は彼に判断を委ねました。
「……そうだね……折角だしここで一晩過ごして、明日もう少し森を散策してみよう」
彼はここでの野宿を提案してきました。
でもそれは私にとって想定内であり、彼と行動を共にすれば決して少なくない事でもあるのです。
「それじゃあ何か狩って来るわ。グリンは食事の準備をお願いね」
ここで狩れそうな動物と言えばウサギか野鳥かしら?
それも私にとっては既に慣れた事で、彼にそれだけをお願いすると、持って来ていた弓の弦を確認して猟師道を逆に辿って行きました。
「昨日はあの料理を頼まないで正解だったわね」
「ははは、そうだね。図らずもだけどね」
私が獲って来た山鳥を捌きつつ、彼は笑いながらそう言いました。
グリンは今獲って来た山鳥と、さっき採集した香草や木の実を使って、メッソの街特産料理の「山鳥の木の実詰め香草蒸し焼き」を作っています。
彼の手に掛かれば、あの町の特産料理も再現可能なのです。
もっともグリンに言わせれば、それ程難しい料理じゃないし、元々は猟師料理だと言う事で、こういった野外での野宿に最適な料理だと言う事です。
暫くすると、辺り一面に得も言われぬ美味しそうな匂いが漂い始めました。
今の時期、山鳥は卵を産んだ直後で旨味も落ちているという事だけど、この匂いを嗅いだだけではとてもそうは思えませんでした。
踏み慣らされていたとはいえ、流石に一日森の中を歩けば疲れもするしお腹歩減ります。
私のお腹も、その匂いに我慢出来ないと言った様で活発になってきました。
―――グゥー……。
どこかで聞いた事のある音が周囲に響き渡りました。
グリンはその音の大きさに、思わず驚きの眼を浮かべて私の方を見ました。
「ち……違うわよ!? 今のは私じゃないんだからね!?」
でも、そうなのです。
今の音は私のお腹が奏でた音じゃないんです!
でもそれじゃあ、一体誰が……?
―――パキッ……。
その時私の後方で、僅かに小枝を踏み折る音が聞こえました。
さっきの音と枝を踏み折った様な音……。
そこから考えられるのは一つだけです。
私はグリンに立てた人差し指を唇に当てて、声を出さない様にゼスチャーで指示しました。
彼も私の意図を察したのか、声を出す事無く頷いて返答しました。
―――スゥ―――……。
「わぁっ!」
―――ガサガサッ!
私が突然、思いっきり大きな声を出した途端、後ろの草陰から葉音が聞こえました。
恐らく私の声に驚いて動揺したのでしょう。
「そこに誰かいるわね? すぐに出て来るなら良し、出てこないなら、弓矢の雨を降らせるわよ?」
私はそちらの方へと弓矢を構えて、少し低い声音でそう告げました。
―――ガサガサガサ……。
暫しの沈黙の後、茂みの中からユックリと現れたのは、先端の尖った三角帽子に引き摺る程長いマントを纏った、長い樫の杖を突く若い女の子でした。
すでに日も暮れて、暗闇と化している森の闇よりも更に黒い出立の女性は、一目見て魔女を思い起こさせる格好をしています。
その雰囲気も、足取りでさえ何処か怯えた様子を見せているにも拘らず、その瞳と口元だけは不敵な笑みを湛えていました。
「あ……あなた達。ここは不可侵なる魔女の領域ですわ。災厄をその身に受けたく無くば、早々にこの場から立ち去りなさい」
彼女が魔女であったとして、その事を差し引いても形勢は私に有利な状態です。
にも関わらず、彼女の高慢な物言いに私は少しカチンと来ました。
「何ですってー……!?」
かなり低めの声に怒気を纏わせて、私はその言葉を彼女へと放ちました。
「……ひっ!」
その気配を感じ取ったのか、前面に押し立てていた彼女の何処か高飛車な雰囲気は即座に鳴りを潜めて、眼に涙を浮かべて後退りました。
どうにも彼女は何をしたいのか要領を得ません。
「……まぁまぁ、メル。……君は……この森の魔女なのかい?」
そんなやり取りを苦笑気味に制したグリンは、目の前の女性に話し掛けました。
普段から物優しい彼の話しぶりは更に優しいものへと変わっていて、彼女に安心を植え付ける事に成功した様です。
「……い……如何にもその通りですっ!
右手に構えた樫の杖を高々と持ち上げて、シャルルマンテ=ウェネーフィカと名乗った少女は彼の問いにそう答えました。
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