その2(6)
次の日もレイナスはナレ村を訪れた。レイナスの今の目標は二つだ。一つは、カミルがナレ村に帰れるようにすること。もう一つは、カミルがサラディンのしもべとなっている状態を解除すること。だから、毎日数時間はナレ村の調査をし、残りの時間は魔術書の解読をすることに決めた。
レイナスは教会のノーマン神父の部屋に再び入った。古い日報が見たかった。昔の記録を見れば何か手掛かりがあるかもしれない。
レイナスは部屋を見渡すと、ベッドの下を覗き込んだ。奥に、机の引き出しの三段目に入っていたのと同じような箱がいくつも見える。
「これだ」
レイナスは、ベッドの下に手を伸ばし、その中の一つを引きずり出した。
蓋を開けると、そこにはやはり日報が入っていた。日付は三年前のものだ。だとすると、一番古いのは反対側だろう。先ほどは右手の箱を取ったから、今度は左手一番奥の箱を引きずり出した。
箱を開けると、中の紙はやや変色していた。古い物に間違いない。日付は、二十六年前だった。
レイナスは、記録一つ一つに目を通し始めた。教会ができて村人が喜んでくれている様子や、毎日祈りに来てくれている様子が記録されている。手掛かりになるような記録は見当たらない上、すべて読むのはかなり骨が折れる作業だ。その日は、一番古い一箱だけに目を通して帰ることにした。
次の日もそのまた次の日も、レイナスはナレ村を訪れた。
日報は、過去から遡り、十七年前の物まで読み進めていた。十七年前、カミルが捨てられた年だ。きっと記録されているとは思っていたが、予想通り、カミルが捨てられた日の事が書かれていた。
ある夜、赤ん坊の泣き声が聞こえるので外に出てみると、礼拝堂のドアの前に赤ん坊が置き去りにされていた。親の手掛かりになりそうなものは何も残されていなかった、と書かれていた。
レイナスは、まだその箱の日報を読み終えていなかったが、次の箱を引き出して中の日報を漁った。カミルの事が書かれていたということは、おそらく自分が捨てられた日の事も書かれているはずだと思ったからだ。レイナスは、一年後ぐらいの記録を一日一日辿って行った。
「あ」
思わず、レイナスの口から声が出た。そこに、驚くべき記述があったからだ。
《今日、エリスが赤ん坊を連れてやってきた》
赤ん坊を連れてやってきた? エリスが?
レイナスは、頭が真っ白になった。ノーマン神父は自分の母であるエリスと会っている。自分は捨てられたのではなかったのか? そして、突然名前が出て来ることから、二人は知り合いだったと考えられる。レイナスは、日報を読み進めた。
《赤ん坊はレイナスと言い、ディークとの間の子だということだった。エリスは、レイナスをここにかくまって欲しいと言った。私は、エリスもここに身を隠してはどうかと提案したが、エリスはそれを断り、レイナスを置いて去ってしまった》
「どういうこと……?」
レイナスは混乱した。その前後の日報を読んだが、その日以外にはエリスについての記述はなかった。
レイナスは、日報を箱にしまうと、すぐに山の家に戻った。
居間には誰もいなかった。レイナスは、サラディンの部屋のドアをノックした。
「サラディン!」
呼びかけたが返事がない。レイナスはドアを開けて中を覗き込んだが、部屋には誰もいなかった。レイナスは、奥の炊事場の方に行ってみた。そこにはカミルがいて、ジャガイモの皮をむいていた。
「カミル、サラディンは?」
カミルが手を止めてレイナスを見た。
「わかりません」
「何か言ってなかった?」
「ぜったいにそとにでるなと」
今のカミルでは話にならない。すぐに話したいのに、サラディンはどこにいるのだろうか。レイナスは、カミルを置いて家を出ると、辺りを見渡した。サラディンの魔力を感じないか、目を閉じて意識を集中してみる。微かに、西の方に魔力の気配を感じた。
レイナスは宙に浮かび上がり、気配を感じる方に向かって飛んで行った。向かうにつれて、魔力はどんどん強くなっていく。これだけ強い魔力ならサラディンに間違いないと思ったが、いつもサラディンから感じる魔力よりも相当強い魔力であることが分かってきた。
《サラディンじゃないのか?》
レイナスは警戒し、自分の魔力を押し殺しながら、魔力を感じる方に近づいていった。
レイナスは、森の上に辿り着くと、その中に降り立ち、歩いて魔力の元に近づいた。しばらくすると、木でできた小さな家が現れた。魔力は確実にその家から感じる。レイナスは、音を立てないようにそっと近づいていった。家の前まで来ると、微かに中から話し声が聞こえる。レイナスは、ドアに耳を傾けた。
「俺も今ならあの家に住みたい。美形揃いで楽しそうだ」
「レイナス様に殺されるぞ」
「レイナスも俺の好みじゃないけど見た目はいいからな」
「おまえは、懲りないのか?」
「一応懲りてる。でも、カミルは惜しいな。あれは相当そそるぞ。だいたい、カミルに秘術を掛けるなら、言ってくれれば俺が掛けたのに」
「おまえ、本当に殺されるぞ」
「冗談だ。サラディンは、ほんとに冗談通じないな」
「おまえの冗談は冗談で済まない時がある」
レイナスはため息をついた。中にいるのは、十中八九サラディンとゼントだ。二人分だったから、魔力を強く感じだのだ。
レイナスは迷ったが、思い切って家のドアをノックした。
しばらくの沈黙があり、やがて、ドアが少しだけ開いた。ドアを開けたのはサラディンだった。レイナスの姿を見て、サラディンは目を見開いた。
「レイナス様!」
「ちょっと、話があって」
レイナスが中を窺うと、レイナスの名を聞いたゼントが明らかに怯えている様子だった。
「では、戻りましょうか?」
そう言って、レイナスを押し出すように家を出ようとするサラディンを、レイナスは止めた。
「ゼントにも聞きたいことがある」
レイナスは、サラディンを押しのけるようにして家の中に入った。
ゼントが「うわ!」と言って、レイナスから逃げるように回り込み、サラディンの後ろに隠れた。
レイナスはゼントに歩み寄った。
「ゼント、あの時どうしてあんなことをしたんだ?」
「それは……、カミルがかわいかったから。おまえは、聞かなくたって俺の気持ちが分かるだろ?」
確かに、その気持ちは分かる。あの清廉なカミルが、淫らに乱れる姿を想像しただけで、体が熱くなる。しかし、それをするのは、自分以外であってはならない。
「もうカミルに何もしないよね?」
レイナスが訊くと、ゼントはうなずいた。
「もうさすがにしない」
「今度カミルに何かしたら容赦しないから」
「分かった」
ゼントはうなずいた。あの時の事は腹が立つものの、レイナスはひとまずゼントを許すことにした。
「それで、話とは何ですか?」
サラディンがレイナスに尋ねた。
「ノーマン神父様と、僕の母のことなんだけど」
「ノーマンとエリスの?」
「うん。二人が知り合いだったって、サラディンは知ってた?」
「ええ。知っています」
「どんな?」
「エリスは、ある村の自警団の団長の娘でした。腕っぷしも性格もとても強い女で、自ら魔物と戦うために、その術をノーマンから教わっていたようです」
「弟子だったってこと?」
「まあ、弟子とまではいきませんが、そんなものでしょう」
すると、ゼントが後ろからサラディンに言った。
「あの女、性格やばかったよな。見た目は、レイナスそっくりで美人だったけど」
「僕と母は似てるの?」
意外な事実に、レイナスは驚いた。
サラディンもうなずいた。
「はい。初め見た時、すぐにディーク様とエリスの子だと分かりました」
「そうなんだ……。母は、わざと僕をノーマン神父に預けたってことだよね?」
「それは間違いないでしょう。おそらく、私たちから遠ざけるためと、ディーク様への当てつけのため……」
「母は、どこかで生きているのだろうか」
「それは、どうでしょう。この十六年、私はあの女を探しましたが、手掛かりは何一つありませんでした」
「もう一つ、聞いてもいい?」
「はい」
「サラディンは、なぜノーマン神父様を殺したの?」
サラディンがナレ村にやって来た日の事を思い出した。兄弟弟子の仇とはいえ、何のためらいもなくノーマン神父を殺したのには、何かわけがあるに違いない。
「ノーマンは、カサハの仇ですから」
サラディンからは、予想通りの答えが返ってきた。レイナスは、
「じゃあ、なぜノーマン神父様は、カサハを殺したの?」
と、さらに尋ねた。
「カサハが魔物を助けていたからです」
「魔物を助けていた?」
「はい。カサハは、正義感の強い性格をしていました。だから、魔物を作ってしまった責任は、自分たちにあると考えていたのです。そして、魔物になってしまった者たちを助けようとしていました。ある日、ノーマンが退治しようとした魔物を助けるため、カサハはノーマンと戦い、そして敗れ、ノーマンに殺されました。私が駆け付けた時にはすでにカサハは殺されていた。私はその場で、カサハの仇を取ろうとしましたが、寸でのところでノーマンに逃げられてしまいました。だから私は、ノーマンに再会した時ノーマンを殺したのです」
「そう、だったんだ」
「カサハはいいやつだった。お人よしすぎたんだ……」
ゼントがしみじみと言った。
ノーマン神父も優しい人だった。ノーマン神父は、魔物に襲われる人たちを救おうとしていて、カサハは、魔物になってしまった人たちを救おうとしていた。それぞれ人を救おうとしていただけなのに、殺し合う運命となってしまったとは、皮肉な話だ。
「カサハとは付き合いは長かったの?」
「はい。不老不死の秘術を使ってから百五十年ほど経ちますが、カサハが死んだのが今から三十年ほど前ですから、かなり長い付き合いでした」
「百五十年? サラディンたちって、もうそんなに生きてるんだ」
「はい」
「カサハが一番弟子で、ゼントが二番弟子、私が三番弟子でした。それぞれ数年の差ですから、今となっては大した差ではありませんが、兄弟子で一番年長ということもあって、カサハは私たちの事をいつも気にかけてくれていました」
「実力は逆だったけどな。だからカサハは、ノーマンに負けた。俺たちが手を貸せば良かったかもしれないが、俺もサラディンもカサハほどお人好しじゃなかったからな」
ゼントの言葉に、サラディンは、一瞬目を伏せた。おそらく、後悔しているのだろう。
「弟子同士、仲良かったんだね」
レイナスが言うと、サラディンが首を振った。
「仲が良かったわけではありません。同じ研究に励んだ同士だというだけです」
「おまえ、つれないな。なんだかんだ言って、俺のことも心配で、こうしてたまに様子を見に来てくれてるだろ?」
そういうゼントに、サラディンは呆れた様子でため息をついた。
「別におまえが心配で来ているわけではない。四大術師で残っているのはおまえしかいないから、仕方なく来ているだけだ。何でよりによっておまえなのかといつも思っている」
サラディンの冷たい言葉に、ゼントはすねたような表情を浮かべた。
「ディーク様やカサハじゃなくて、俺が死ねば良かったって?」
「そうは言っていない」
「そう言ってるのと同じだろ?」
サラディンとゼントが徐々に言い合いを始めた。仲がいいのか悪いのか、さっぱり分からない。とにかく、弟子同士の不毛な喧嘩に付き合ってはいられない。
「あの、用は済んだから、僕はそろそろ帰るね」
レイナスが言うと、サラディンが、
「私も帰ります」
と言った。
レイナスは、サラディンと共に家を出た。
「いいの? このまま帰って」
レイナスが尋ねると、
「構いません」
と、サラディンが答えた。
「なんか、でも意外だったよ。サラディンもああいう風にイライラしたりするんだね」
「イライラしているように見えましたか?」
「うん」
「昔から、ゼントとは性が合わないので」
「そうなんだ。じゃあ、他の二人とはどうだったの?」
「カサハとは、年が離れた兄と弟のような関係で、喧嘩もしなければ、特別に仲が良いということもありませんでした」
「じゃあ、僕の父は?」
「ディーク様は、私の力を見出してくれた恩人ですので、尊敬していました」
「どんな人だった?」
「とても冷静で頭の切れる方でした。研究に対しては厳しく、その点においては、私たちに対しても求める水準が高かった。だから私たちは、ディーク様を尊敬していたし、畏れてもいました」
「そうなんだ……。でも、そんな人がどうして、母の事では過ちを犯したのだろう?」
「それは、今でも全く分かりません。私たちも本当に驚きましたから。ただ、前にレイナス様も、カミルのどこが好きか分からないとおっしゃっていましたが、恋愛感情というのは理屈では説明できないし、時に人から冷静さを奪ってしまうということなのでしょう」
それはその通りだとレイナスは思った。父は、絶対に自分を愛してはくれない相手を好きになってしまった。それは自分でコントロールできる感情ではなく、どうしようもなく追い詰められて、暴走してしまったのだろう。その気持ちは、自分が一番良く分かる、とレイナスは思った。
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