その2(5)
レイナスは、山の家に戻った。ドアを開けると、居間の椅子にカミルが座っていた。
「ただいま」
レイナスが言うと、カミルは無表情のままこちらを見て「おかえりなさい」と言った。
「サラディンは部屋?」
「はい」
本当は、この家にカミルとサラディンを二人きりにしておきたくはない。ゼントのような心配はないと思うが、カミルはサラディンの言いなりになる状態なのだから良い気分はしない。二人きりの家の中でサラディンに付き従うカミルの様子を想像しただけで、胸がざわつく。この家を空けるのをなるべく短い時間に留めておきたかった。
レイナスはカミルの隣の椅子に座った。
「カミルは、何してた?」
「そうじ」
「掃除?」
カミルはうなずいた。
「サラディンに言われたの?」
レイナスが尋ねると、カミルは首を振った。
命令されなくても、自分の意志で動くこともあるようだ。掃除は、教会にいた頃からやっていたから、身に付いているのだろうか。
「教会にいた頃も毎日掃除してたもんね。覚えてる?」
「わからない」
「そっか。そのうち思い出すといいね」
カミルは不思議そうな顔をしていた。
その時、サラディンの部屋のドアが開き、中からサラディンが出て来た。
「お戻りですか」
「うん」
「何か、分かりましたか?」
「いや、今日は何も」
「そうですか」
サラディンは、無言でレイナスを一瞬見つめたが、何も言わなかった。
「何?」
レイナスが怪訝に思って尋ねると、サラディンが、
「カミルのことが心配でしたか?」
と言った。レイナスが早くに戻ってきたから、察したようだ。
「うん……」
「ご安心下さい。私は、カミルにおかしな命令をしたりはしません。それに、ゼントと違って、カミルには全く興味がありません」
その言葉にレイナスは《サラディンは気付いているのだろうか》と思った。
「カミル、ちょっと部屋に行っててくれる?」
レイナスがカミルに言うと、カミルはサラディンの顔を窺った。サラディンがうなずくと、カミルは立ち上がって、部屋に入って行った。その様子を確認してから、レイナスはサラディンに「座って」と言った。サラディンは、レイナスの正面の椅子に座った。
「サラディンから見て、僕はどう見える?」
レイナスはサラディンに尋ねた。
「そうですね。したたかで冷酷な方ですね」
「随分な言われようだね」
「間違っていますか?」
「いや、合ってる」
レイナスはこれまで、自分のそういう部分をひた隠しにしてきた。ノーマン神父にもナレ村の人たちにも、そして、カミルにも。そして、それを誰にも気付かれることはなかった。気付かれないように完璧に「演じて」きた。しかし、ナレ村を出てからは、容赦なく魔物を殺したり、カミルを襲ったゼントを痛めつけたりした。これが自分の「本性」だった。
「どうして、そんなことを私に聞くのですか?」
「サラディンは、全部気付いているような気がしたから」
「全部、というと?」
「僕の本性も、僕がカミルをどう思っているのかも。違う?」
「全部とまではいきませんが、気付いている部分もあります」
「言ってみて」
「レイナス様は、以前からカミルを友人としてではなく、恋愛対象として見ているのではありませんか?」
やはり、サラディンは気付いていた。レイナスは「うん。……そうだよ」と答えた。
レイナスが自分のカミルへの気持ちを吐露するのは初めてだった。これまで絶対に誰にも言えない気持ちだった。それを初めて口にして、なぜかレイナスは心の重りがすっと下りたような気がした。
「どうして、分かったの?」
「見ていれば分かります。ゼントに対する仕打ちもそうですし、何より、あなたのカミルを見る目。あと、決定的なのは、カミルが殺されてからの言動」
「そうか……」
「私はあなたがいつか、ディーク様と同じことをするのではないかと思っていました。あなたとカミルの関係性から言って、エリスのように寝首をかかれる危険はないと思っていましたが……」
「そんな風に見えてたんだ」
「はい。違いましたか?」
「ううん。それも合ってる」
レイナスがカミルに抱く感情は、情欲に満ちたものだった。自分でも、今までよくこの感情を抑えることができたと思っている。カミルが純粋に自分を友として家族として慕ってくれている感情とはあまりにもかけ離れすぎていて、あまりにもカミルが清廉すぎて、手を出すことなどとてもできなかった。
「今のカミルなら、やろうと思えばあなたの自由にできますが、そうしようとは思いませんか?」
「そうだね。僕も正直よく分からないんだ。自分がカミルの何を好きなのか。見た目だけなら、今のカミルでもいいはずなのに、それはやっぱり違うと思う」
「今まで、カミルに打ち明けようと思ったことはないのですか?」
「カミルは純粋に僕を友だちだと思っていたから。言ったら、僕から離れてしまうと思って、それが怖くて言えなかった。だから、絶対に知られないようにしていた」
「もし、カミルが元に戻ったら言いますか?」
「そうだね。言えたら楽になれるけど」
レイナスは、以前のカミルを思い出した。あの何の疑いも持たない純粋な目で笑いかけられたら、自分はきっと、また何も言えなくなって、以前と同じように「友人」を演じてしまう、そう思った。
「そのために今必死で、カミルをナレ村に帰そうとしているのではないのですか?」
「カミルをナレ村に入れることができたとしても、カミルが元に戻るとは思ってないよ。戻ったら、それはいいけど」
レイナスの言葉に、サラディンは意外そうな顔をした。
「では、なぜ……?」
「カミルは言わなかったけど、ナレ村に帰りたがっていたから。こんなことになったのは全部僕のせいだから。だから、カミルを一時でも、ちゃんと村に帰してあげたいんだ」
「それだけですか?」
「うん。それだけ」
「そう、ですか。では、カミルの記憶を戻したいとは思っていないのですか?」
「もちろん戻したいよ。だけど、最悪記憶が戻らなかったとしても、カミルに自分の意志さえ戻ってきたらそれだけでいいと思ってる」
「レイナス様の事を覚えていなくても?」
「過去の事を覚えてなくても、これから先、新しい記憶を作ればいいでしょ? 僕たちは、これから生きる時間の方がずっと長いんだし。それに、過去の記憶が無い方が反って好都合ってこともある」
「それは、カミルがあなたを『友達』だと思っていた記憶がなくなるからですか?」
「うん。そうだよ」
レイナスが言うと、サラディンが呆れたような驚いたような複雑な表情を浮かべた。
「あなたは、本当に恐ろしい方ですね」
そんなことは言われなくても自分が一番良く分かっているとレイナスは思った。
「とにかく、カミルがサラディンの言いなりになっている状態はなんとかしなくちゃ。何か手掛かりになるようなものはない? 不老不死の秘術こと、もっと知りたいんだけど」
「研究の成果は、あなたにお渡しした魔術書がすべてです。途中経過や失敗したものはすべて捨ててしまいました」
「そうか……」
では、まずはあの魔術書をもう一度熟読してみる必要がある。レイナスはそう思った。
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