その2(4)

 レイナスは、この家の外の様子を初めて見た。辺りは岩ばかりで他には何もない。おそらくどこかの山の中なのだろう。

「ここはどこなの?」

「ケイナ地方にあるイレイト山です」

 初めて聞く地名と初めて聞く山の名前だった。ナレ村からは遠い場所なのだろう。家を外から見てみると、石造りのかなり大きな家だと分かった。魔術を使って建てたのだろうが、かなり立派なものだ。

「戻る時は、ここを思い浮かべて下さい。では、行きますか」

 サラディンはそう言って、カミルの手首を掴んだ。ここへ来た時と同じだ。レイナスは、もう自分で行くことができる。心の中にナレ村を思い浮かべ、行きたいと念じると、目の前の景色が歪んだ。そして、次の瞬間には、ナレ村の上空に浮いていて、ナレ村を見下ろしていた。隣には、サラディンと、サラディンに手首を掴まれたままのカミルが、同じく浮かんでいた。

 ナレ村の近くに来て、レイナスは何か肌にヒリヒリとした刺激を感じるような気がした。そういえば、ナレ村にいた頃も体調が悪い日などにこんな感じがすることがたまにあった。レイナスは、腹に力を入れ、自分の周りにある空気を押し返すようなイメージをした。すると、肌の刺激が収まった。

 レイナスがカミルに目をやると、カミルは苦しそうに顔をゆがめていた。

「カミル、苦しい?」

 レイナスが尋ねると、カミルはうなずいた。

「いたい……。いやだ……」

 カミルの顔に汗がにじんでいる。相当苦しそうだ。サラディンが言っていた通り、この様子ではこれ以上近づくことは無理だろう。

「サラディン、カミルを連れて戻っていて。僕はナレ村に行ってくる」

「分かりました」

 サラディンは答えると、カミルと共に姿を消した。

 レイナスはそのままナレ村に下りて行き、教会の敷地に降り立った。数か月振りだが、様子は全く変わりなかった。まず、レイナスは、ノーマン神父の墓に向かった。

 住む人がいなくなったのに、教会も墓も全く荒れていなかった。おそらく村人たちが常に手入れをしてくれているのだろう。

 レイナスは、墓の前に跪き、両手を組んで祈った。

《ノーマン神父様、僕は、神父様が僕を育てて下さったことを感謝しています。神父様は、今頃、僕を育てたことを後悔していると思いますが……。僕は、神父様が長年掛けて守ってきたこのナレ村と、ナレ村の人たちを危険にさらそうとしています。許してもらえないのは分かっています。でも、僕はどうしてもカミルをこの村に帰したいんです。神父様、僕は、神父様が大事に育てて下さったカミルを魔物にしてしまいました。どうしても、カミルを死なせることができませんでした。僕はずっと、カミルの事が好きで、好きで、どうしようもなくて、カミルを自分だけのものにしたいと、ずっと思っていました。僕は、聖職者なんかに絶対なれない存在だった。僕はカミルのためならどんな事でもします。どうしてもカミルをこの村に帰したい。そのためなら、どんなことでもしたいんです。ごめんなさい……》

 レイナスは立ち上がり、教会の中に入った。廊下を進み、ノーマン神父の寝室のドアを開ける。部屋には、ベッドと机と椅子があった。

 レイナスは、机に歩み寄ると引き出しを開けた。一番上の引き出しには、ペンとインクと紙が入っていた。紙はすべて白紙で何も書かれていない。次に、上から二段目の引き出しを開けた。そこには、文字が書かれた紙が大量に入っていた。レイナスは、その紙をすべて取り出すと、ベッドの上に座り、一枚一枚内容を確認した。そこには、様々な薬草の効用や、いつ誰にどれぐらいの量を処方して、経過がどうなったかが詳細に記録されていた。こうやって、薬草の知識を深めていたのだと思うと、改めてノーマン神父に尊敬の念を抱いた。レイナスは、二段目の紙をすべて元に戻した。

 そして、最後の三段目の引き出しを開けた。中には木でできた箱が一つ入っていた。箱を取り出して蓋を開けると、中にはやはり紙が入っていた。レイナスはその紙もすべて取り出し、一枚一枚に目を通した。それは、この教会での職務を記した日報だった。一枚に数日分、一日につき数行、その日の出来事などが簡単に記録されていた。

 日報は大体二年分あった。ざっと目を通したが、特に手掛かりになりそうな事は何も書いていなかった。レイナスは、日報を元に戻すと、ノーマン神父の寝室を出た。

 廊下に出て、ふと懐かしい気持ちになり、レイナスとカミルの寝室に入った。ここを出た時と何も変わらない、ベッドが二つに机と椅子が一つあるだけの部屋だ。ここで過ごした時間は楽しかった。もう二度と戻らない時間なのだと思うと、胸が締め付けられた。

 レイナスは、部屋を出て礼拝堂へ向かった。

 礼拝堂は、十字架が掲げられた祭壇と礼拝用の長椅子が置かれた質素な造りだ。レイナスは辺りを見渡したが、手掛かりになりそうな物はなさそうだと思った。

 その時、礼拝堂の入り口が開いた。そこには村の女性が二人立っていた。レイナスの姿を見ると、驚いて声を挙げた。

「レイナス! 帰ってきたの?」

 レイナスは二人に向かって一礼して微笑んだ。

「はい。少しだけですけど。またすぐ出なければならなくて」

「そうなの? でも、無事で良かったよ。どうしているのか、みんな心配してたんだ。カミルは?」

「カミルも無事ですよ」

「本当に良かった。みんなにも知らせないと」

「いえ。本当に一時的に帰って来ただけですから、みんなには知らせなくて良いです」

「でも、せっかく帰って来たのに」

「いえ。かえって寂しくなってしまうので」

 下手に大事にされては困る。できれば早く二人に帰って欲しいが、おそらく二人は教会を掃除しに来たのだろうから、しばらくここにいるだろう。教会を調べるのは、今日はここまでかもしれない。そう思ったレイナスは、ふとある事を思いついた。

「リラさんは元気ですか? 前に咳をしていて、薬を届けたから」

「ああ。時々具合が悪くなるみたいだけど、今は落ち着いてるみたいだよ」

「そうですか。リラさんの様子は、見てから行こうかな」

「それはいいね。きっと喜ぶと思うよ」

「それじゃ、ちょっと行ってきます」

 レイナスは、女性たちに頭を下げると、礼拝堂を後にした。

 辺りを見渡し、人がいないことを確認すると、リラとダナンの家の裏まで瞬間移動した。通りに人がいなくなった瞬間を見計らって、家のドアをノックした。

 ドアが開き、ダナンの妻が出て来た。

「レイナスじゃないの! 旅に出てたんじゃなかったの?」

 ダナンの妻は驚いた様子で言った。

「一時的に戻ってきたんです。またすぐ行かなきゃならないんですけど。前にリラさんに薬を届けたから、様子だけ見て行こうと思って」

「そうだったの。わざわざありがとう。ここのところは落ち着いてるのよ。どうぞ入ってちょうだい」

 ダナンの妻に促され、レイナスは家の中に入った。

「こっちよ」

 ダナンの妻は奥のドアを開け、

「お義母さん、レイナスがお見舞いに来てくれましたよ」

と、声を掛けた。それから、レイナスを振り返り「どうぞ」と言って中に促した。

 リラはベッドの上に座っていた。

「こんにちは。ご無沙汰してます」

 レイナスが挨拶をすると、リラはやさしく微笑んだ。

「久しぶりだね、レイナス。旅に出たと聞いていたけど」

「はい。少しだけ戻ってきていて。またすぐ行かなきゃならないんですけど」

「あんたたちも大変だったね。カミルは? 一緒じゃないの?」

「カミルは、別の場所にいます」

「そう」

「リラさん、具合はいかがですか?」

「あの時、神父様から頂いた薬のおかげで咳が止まって、大分楽になったよ……。ちゃんとお礼をしたかったのに、まさか亡くなってしまうなんてね……」

「そうですね……。あんな事になるなんて、思ってもいませんでした。あの、リラさん、少し聞きたいことがあって」

「何?」

「ノーマン神父様があんな風に突然亡くなってしまって、実は僕たち、神父様の事何も知らないままなんです。あの時、神父様が若い頃から魔物を退治していたって、初めて聞いて、そのせいで復讐されたって。リラさんは、ノーマン神父様の昔のこと、よくご存じですか?」

「そうだね。この村に来てからのことなら知っているよ」

 やはり思った通りだった。リラはナレ村でも高齢な方だから、ノーマン神父の過去を知っているのではないかと思ったのだ。

「覚えていること、聞かせてもらえませんか?」

「いいよ」

 リラはうなずくと、語りだした。

「今からもう三十年ぐらい前になるかな。神父様がこの村にやってきたのは。あの方は、この村に教会を建てたいって申し出てきたんだ。突然やってきた見知らぬ人が、急に教会を造るなんて言うもんだから、最初村の人たちは怪しがったんだ。だけど、神父様が言うには、自分は魔物退治をしながら旅をしていて、色々な村に行ったけど、この村には聖なる力が宿っているから、この場所に教会を建てたいんだってことだったんだ。教会ができるのはありがたいことだから、村人たちはノーマン神父様を受け入れることにしたんだよ。村人も協力して、教会を建てたんだ。その後、神父様は教会だけじゃなく、井戸とか畑とか色々な物を作ってくれた。今、この村の人たちが水にも食べ物にも困らずに暮らせているのは、神父様のおかげなんだよ」

「そうだったんですね。井戸も畑も神父様が……。改めて、すごい方ですね」

「本当にそうだよ。この村の人はみんな、神父様を尊敬しているよ」

「神父様がいらしてから、この村は変わりましたか?」

「そうだね。色々変わったよ。村の色々なことが整えられて便利になったし、神父様が心の支えになって下さるのもだけど、薬草を煎じてくれたりするから、村の人たちがいつも安心して暮らせるようになったね。魔物も全く来なくなったし」

「神父様が来られる前は、魔物が来たことがあったんですか?」

「私が知っている限りは、一度だけだね。元々この村には魔物が寄り付かなかったんだ。だけど、ノーマン神父様がいらしてからは一度もないね」

「そうなんですね。ノーマン神父様が何かしてくださったんでしょうか?」

「分からないけど。神父様は昔から魔物のことを研究されていたようだから、何かして下さっていたのかもしれないね」

 ノーマン神父がどうやってこの村の力を強めていたのか、その方法はやはり分からないようだ。もしかしたら、教会があること自体がナレ村の聖なる力を強めている要因なのかもしれない。だとしたら、教会を壊さなければならなくなる。それに、ノーマン神父が来る前も一度しか魔物が来たことが無いとすると、うまく力を弱めることができたとしても、カミルをこの村に入れるのは難しいのかもしれない。

「ありがとうございました。色々、ためになりました。僕、そろそろ行きます」

「そう。早く村に戻って来られるようになるといいね」

「はい。また来ます」

 レイナスはリラに頭を下げて部屋を出た。

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