その2(2)
レイナスは、廃墟に戻った。男たちの屍の先にカミルが倒れている。いつも通りのカミルに戻っていたらどんなに良いだろうと思っていたが、現実は厳しかった。カミルの顔からは、どんどん血の気が失われていく。
「だめだ、カミル」
レイナスは、カミルの体を抱きしめた。カミルがいなくなってしまったら、これから先どうやって生きていけば良いのだろう? 独りで生きていても何の意味もない。レイナスはカミルを抱いたまま泣き崩れた。
しばらく経って、廃墟に誰かが入ってくる気配がした。レイナスが顔を挙げると、入り口にサラディンが立っていた。
「これは、何が起きましたか?」
サラディンは、辺りの惨状に驚いた様子だった。そして、カミルを見て察した様子で、
「この者たちにやられたのですか?」
とレイナスに尋ねた。
サラディンの問いに、レイナスはうなずいた。サラディンは、レイナスに歩み寄り、カミルの顔をのぞきこんだ。
「もう、死んでいるのですか?」
レイナスは、「死」と言う言葉に胸が張り裂けそうだった。カミルを強く抱いたままうなずいた。
サラディンは、しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「カミルを生き返らせる方法が一つだけあります」
サラディンの言葉に、レイナスは顔を上げた。
「本当に? どうやって?」
「カミルに、不老不死の秘術を施すのです」
「え?」
「不老不死の体になれば、どんな傷でも癒えます。カミルにそれを施せば、生き返るでしょう」
「だったら、今すぐやる!」
レイナスは迷いなく言った。カミルを生き返らせることができるのなら、どんな事でもやろうと思った。しかし、サラディンが、
「お待ちください。それには、問題があります」と言った。
「問題って?」
「他人に秘術を施すというのは、大変危険な魔術なのです。十中八九、術者が死にます」
「え?」
「これまで、試みた者もいましたが、皆例外なく死にました」
「それじゃ、結局無理ってこと?」
「術者が不老不死なら、死なずに済みます」
その理屈は確かにそうだ。しかし、そうなると、まずはレイナスが不老不死になってからでないと、カミルに秘術を施すことができないということになる。確か、不老不死の秘術には、丸三日掛かるはずだ。まず、レイナスに掛けるために三日、カミルに掛けるために三日。全部で六日も掛かってしまっては、カミルの肉体がもたないだろう。
「僕が掛けるのは無理ってことだね」
「そうなります。私が掛けることはできますが、これにも問題があります」
「どんな?」
「昔、ゼントが人に頼まれて、他人に秘術を施したことがあります。しかし、その者は、ゼントのしもべとなってしまいました」
「!」
「つまり、私がカミルに秘術を施せば、カミルは私のしもべとなります」
「それはダメだ!」
レイナスは強く首を振った。カミルがサラディンの言いなりになるなんて耐えられない。八方ふさがりの状況に、レイナスはどうしていいか分からなかった。
「おそらく、カミルにとって一番幸せなのは、このまま安らかに眠らせてやることです」
「ダメだ!」
レイナスはさらに首を振った。このままカミルを死なせることはできない。
「選ぶ道は三つです。一つは、このまま何もせずに、カミルを安らかに眠らせてやること。これが、カミルにとっては最善でしょう。二つ目は、あなたが秘術を行って、カミルの代わりに死ぬこと。でも、これは残酷ですね。カミルを不老不死にしておいて、独りにするのですから。そして、三つ目は、私がカミルに秘術を掛けること。カミルはレイナス様のことを認識できなくなるかもしれません。カミルであってカミルでない、別の者になってしまうでしょう。……どうしますか?」
どの道を選んだとしても、もう元のカミルに会うことができない、そう思うと、レイナスの心は絶望に塞がれた。しかし、カミルを蘇生させるなら、迷っている暇はない。レイナスは覚悟を決めた。
「サラディン、カミルに秘術をかけて欲しい」
「本当に良いのですか?」
「たとえ、カミルが元のカミルでなくなったとしても、カミルがいなくなるよりはいい」
「分かりました。そうおっしゃるならやりましょう。やるなら、急いで準備をしなければなりません。場所を移動しますから、荷物を持って下さい」
レイナスは言われた通り荷物を持った。すると、サラディンが床に跪き、左手でカミルの腕を掴んだ。そして、右手をレイナスの方に差し出し「手を」と言った。レイナスはサラディンの右手に自らの右手を乗せた。すると次の瞬間、目の前の景色が歪み、三人は全く違う場所に移動していた。レイナスは驚いた。サラディンが突然姿を現したり消えたりしていたのは、いつもこういう風に行っていたのだろう。
レイナスは辺りを見回した。そこは、かなり広めな部屋の中だった。石造りの壁に木製のドアがあり、壁際には棚が置かれていて道具箱のような木箱がいくつも載せられている。それ以外は何もない部屋で、三人は部屋の真ん中辺りにいた。三人とも廃墟にいたままの体勢だったから、カミルは床に横たわり、サラディンとレイナスは床に膝を付いた格好だった。部屋には窓が一つだけあるが、そこから見える外の景色は岩ばかりだった。
「ここは?」
レイナスが尋ねると、サラディンが答えた。
「ここは、ディーク様と私たち弟子が住んでいた家で、この部屋は私たちが実験に使っていた部屋です」
「そうなんだ」
ここは以前サラディンが、自分に来るように言っていた場所なのだろう。サラディンに初めて会った時、来るのを拒んだはずなのに、このような形で自ら来ることになるとは思ってもみなかった。
サラディンが立ち上がり、
「時間がありません。早速準備をしましょう」と言った。
レイナスとサラディンは部屋の床に魔法陣を描き、ろうそくを置いて灯したり、薬草を準備したりした。そして、すべての準備が整うと、魔法陣の中心にカミルの体を横たえ、サラディンが呪文を唱え始めた。レイナスはそれを、傍らで固唾をのんで見守った。サラディンは、飲まず食わず、不眠不休で呪文を唱え続けた。レイナスも、同じく眠らずに、その様子を見つめ続けた。
そして、三日目の夜。
少しずつ魔法陣が光り始めたかと思うと、カミルの体が宙に浮かび上がってきた。そして、どんどん光は強くなり、魔法陣の中心に、黒い煙が現れ、それが徐々に濃くなり、段々人の形となっていった。
あれは、悪魔だ、とレイナスは思った。悪魔は時折、サラディンの方に手を伸ばしてきた。サラディンはそんな悪魔に目もくれず、一心不乱に呪文を唱え続けている。その状態が長い時間続いたが、やがて黒い煙がカミルの体を取り囲み始めた。そして、少しずつカミルの体に吸い込まれるように入っていき、すべて入りきると、浮いていたカミルの体がゆっくりと下り始め、床の上に戻った。それと同時に、魔法陣の光が消え、サラディンが呪文を止めた。
「終わったの?」
レイナスが尋ねると、サラディンは「はい」と答えて大きく息を吐いた。かなり苦しそうだ。生身の人間だったら命を落とすほどの苦痛を受けながら術を掛けたのだから、無理もない。
レイナスは、カミルに歩み寄った。
「カミル」
呼びかけると、カミルのまぶたが少し動いた。そして、ゆっくりと目を開いた。
「カミル!」
レイナスはうれしくて、カミルの手を掴んだ。しかし、カミルは虚ろな目でその手を振り払い、
「だれ?」
と、レイナスに言った。
レイナスは、分かっていたはずなのに、胸が張り裂けそうだった。
カミルがサラディンに目を向けると、虚ろだった表情に少しだけ力が蘇った。
サラディンがカミルに語り掛けた。
「お前の名前はカミルだ。そして、私はサラディン」
「……サラディン……さま」
「カミル、そこにいるのはレイナス様だ」
「レイナス……さま」
「カミル、これからはレイナス様の言うことを聞け」
レイナスは、驚いてサラディンの顔を見た。サラディンは静かに言った。
「こんな命令をしても効果は分かりませんが、少しはマシでしょう」
「どうして、ここまでしてくれるの?」
「あなたは、私が尊敬していた師の息子ですから」
これまで、サラディンはノーマン神父の仇で、自分の敵だと思っていた。しかし、サラディンは危険を冒してまでレイナスのために秘術を使い、特に見返りを求めることもなくカミルをレイナスに託してくれようとしている。サラディンが自分の役に立ちたいと言っていたのは本当かもしれないと、レイナスは初めて思った。
「カミル、起きられるか?」
サラディンがそう尋ねると、カミルは体を起こした。しかし、すぐに「ううっ」とうめき、辛そうな表情を浮かべて右手で頭を押さえるような仕草をした。おそらく、村人たちに襲われた時の傷が痛むのだろう。不老不死になったからと言って、傷まで直ちに癒えるわけではないのだ。
「カミル」
レイナスは、カミルの両腕に手を添えて、その体を支えた。
サラディンがレイナスに、「カミルを休ませましょう」と言い、立ち上がった。そして、部屋のドアを開けると「こちらへ」と言ってレイナスを促した。
レイナスは「カミル、立てる?」と言ってカミルの体を支えて立ち上がると、サラディンの後についていった。
ドアの先は居間だった。中央にテーブルが置かれ、椅子が四つ据えられている。それほど広くはないが、四人で会合をするには十分な広さだった。そして、居間の左右にドアが二つずつあった。
サラディンが左側手前のドアを開けた。
「こちらが、ディーク様の使っていた部屋です。レイナス様はこちらをお使い下さい」
部屋の中には、大き目のベッドと机と椅子があった。
「一人一部屋あったの?」
レイナスが尋ねると、サラディンがうなずいた。
「はい。この部屋の隣がカサハの部屋、反対側が私とゼントの部屋でした」
「ゼントもここにいるの?」
「いえ。今はいません。昔からゼントは、ほとんどここにいませんでしたが」
レイナスはほっとした。ゼントがいたら、殺してしまいそうだった。あの時のことは絶対に許さない。
サラディンが、察した様子で言った。
「ゼントにはここに近づかないように言っておきましょう。でないと、レイナス様に殺されると。……カミルは隣の部屋で良いですか?」
「うん」
レイナスがうなずくと、サラディンは元々カサハの部屋だったという部屋のドアを開けた。その部屋にも、先ほどの部屋同様、ベッドと机と椅子があった。
レイナスはカミルをベッドまで連れていき、その上に寝かせた。
サラディンがレイナスに、
「これから、どうするのですか?」
と尋ねてきた。
レイナスはサラディンを振り返った。するとサラディンが、
「まだ『魔物』退治を続けますか?」と言葉を続けた。
それは皮肉な質問だった。自分はカミルを「魔物」にしてしまった。レイナスはもう魔物の存在を否定することはできないし、魔物退治などできるわけがない。
すると、サラディンはすべて分かって聞いてきたのだろう、言葉を続けた。
「今のあなたなら、秘術を使った者たちの気持ちが分かるはずです。これまであなたは、力の無い者が無理に秘術を使い、魔物になってしまったことを軽蔑していたかもしれません。しかし、彼らは一縷の希望に掛けていたのです。その彼らの思いを、今のレイナス様なら否定することができないのではないですか?」
自分も、カミルがサラディンのしもべとなってしまうと分かっていたのに、カミルを生き返らせる道を選んだ。どうしても、カミルを死なせたくなかった。それは、死の恐怖に駆られた人たちの気持ちと何ら変わりはない。レイナスは初めて、魔物となってしまった側の人の気持ちが分かった気がした。そして、今まで自分が、偏った考え方をしていたことに気付き反省した。
「確かに僕は、魔物になってしまった人たちのことを愚かだと思っていたよ。だけど、僕も愚かだったって事だね……」
「他人の気持ちなど、当事者でなければ簡単に分かるわけがありません。……これからどうするのです?」
「カミルを元に戻したい」
「それは、難しいですね……」
レイナスはカミルの方を向いた。
「カミル、何か覚えていることはない?」
カミルは、少し考えるそぶりを見せたが首を振った。
「わかりません」
「ナレ村のことは? 覚えてない?」
「……わかりません」
レイナスは、ため息をついてサラディンを振り返った。
「カミルをナレ村に連れていくことはできないかな?」
すると、サラディンは首を振った。
「あそこには、闇属性の者は近づけません。もうカミルは、ナレ村に入ることはおろか、近づくことすらできません」
「近づくとどうなるの?」
「体中に火傷を負ったような激痛が走ります。私ですら、若干居心地が悪いぐらいですから、カミルでは到底耐えられません」
カミルは自分の故郷に二度と戻れない体になってしまった。その事にレイナスは罪悪感を覚えた。
「何か、方法はない? 例えば、ナレ村の力を弱めるとか」
「本気で言っていますか?」
サラディンが目を見開いた。何と言われてもいい。ナレ村の人たちに恨まれても構わない。なんとかして、カミルをナレ村に帰したい。それだけだった。
「あの村には、ノーマン神父様が何かしたのだろうか?」
「おそらくそうでしょう。元々、あの村のある場所が自然の結界のようになっていたのもあると思いますが、何らかの方法で、ノーマンがそれを強めたと考えられます。でなければ、あそこまで強い力に守られたりしないでしょう」
「ナレ村に行って、調べないと」
「レイナス様は、恐ろしい方ですね」
「……分かってる」
自分の中にある冷酷さは、昔から自分が一番良く分かっていた。正直、他の人間なんてどうなってもいいと思っている。今は、一刻も早くナレ村に行き、力の秘密を突き止めたい。レイナスは、サラディンに言った。
「秘術を使えば、ナレ村にすぐに行けるようになるよね?」
「はい。なります」
「僕もナレ村に入れなくなるかな?」
「おそらく、レイナス様は大丈夫でしょう。今の時点でも、相当な魔力を持っているのに、教会の中で平気で暮らせていたのですから」
「そうか。じゃあ、心配ないね」
「秘術を使うのですか?」
「うん。そうでないと、カミルと一緒に生きることはできないし」
「それはそうですね」
「じゃあ、準備をしなきゃ」
「お待ちください。少し休まれたほうがいい。三日三晩寝ていないのですから」
言われてみれば、体がだるく頭も重かった。レイナスは、休養を取ってから秘術に取り掛かる事にした。
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