その1(7)

 ある日、二人はたまに魔物が現れて人を襲う事があるという村を訪れた。村人に道具小屋を借り、しばらくそこに滞在して魔物が現れるのを待つことにした。

 その村は比較的大きな村で、村と言っても商売をしているものがいたり、道には石が敷かれて整備されていたりと、かなり拓かれた村だった。

 レイナスは、刀鍛冶のところへ行くと言ったため、カミルはその間に食料の買い出しをすることにした。

 カミルは、パン屋を探しながらしばらく村の中を歩いていた。すると、「こんにちは」と急に声を掛けられた。カミルが振り返ると、そこに若い男が立っていた。祭服を着ているから、おそらく神父なのだろう。切れ長の目をした背の高い神父だった。

「こんにちは」と、カミルも挨拶をして一礼した。

「もしかすると、あなたも聖職者ですか?」

 神父はカミルのマントから見える襟元を見て、祭服だと判断したようだ。

「はい。見習いですけど」

「巡礼か何かで?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど」

「何かお探しですか?」

 神父はカミルが何かを探す様子を見て、親切に声を掛けてくれたようだ。

「はい。パン屋を探しています」

「ああ、それなら、もう少し行った先の右側にありますよ」

「ありがとうございます」

 カミルは頭を下げた。

「あの、少し時間はありますか?」

「え?」

 神父の唐突な質問にカミルは首を傾げた。

「この村にも教会があるのですが、良かったら寄って行かれませんか?」

 カミルはなるほどと思った。この神父はカミルを聖職者だと思ったから、気を遣ってくれているようだ。ナレ村に住んでいた時は、祈りの時間にそれほど価値を感じてはいなかったが、いざ離れてみると懐かしい。それに、旅の安全を祈願するのも良いかもしれない。

「ありがとうございます。是非」

 カミルは、神父の申し出を受けることにした。

 二人は共に歩き始めた。歩きながら、神父がカミルに話しかけてきた。

「お名前は?」

「カミルと言います」

「歳はおいくつですか?」

「たぶん、十七歳です」

「たぶん?」

「俺、教会に捨てられてて、それから十七年だから、たぶん十七歳です」

「そうだったんですか。ご苦労されてるんですね」

 神父が気の毒そうな表情をしたので、カミルはほほ笑んで返した。

「いえ、幸い、育ててくれた神父様が優しい方でしたし、兄弟みたいに育った友だちもいたので、毎日楽しかったです」

「それは良かったですね。人に恵まれるというのはとても幸せなことです」

 神父は、ほっとした様子だった。そして、

「そのお友達も同じぐらいの歳ですか?」と尋ねてきた。

「はい。俺のいっこ下で……あ、これも多分ですけど。俺と同じで捨てられたので」

「そうだったんですね……。お友達はどんな方ですか?」

「おとなしくてまじめで、しっかり者だけど甘えん坊。……って、最近までは思ってたんですけど……。強い人だってことが最近分かったんです」

「そうなんですか。でも、強いお友達がいたら、心強いですね」

「そうなんですけど。今までは俺が助けてやらなきゃって思ってたのに、最近は俺の方が助けられてばかりで、ちょっと情けないです」

「そんな風に思うことはないと思いますけど。すごく仲が良さそうですね」

「はい。仲はすごく良いです」

「そういう人が側にいるのは、とても大事ですよ。もしかして、旅も一緒にされてるんですか?」

「はい。二人で旅してます」

「それは心強いですね」

 神父がほほ笑んだ。そして、

「旅はもうどれぐらいですか?」

とカミルに尋ねた。

「四か月ぐらいになります」

「結構経ちますね。どちらからいらして、どちらまで?」

「ナレ村というところから来たんですけど……。目的地は特にないんです」

「目的地がない? それは、変わった旅ですね」

 神父は驚いた様子だった。

「ちょっと、事情があって」

「そうですか。でも、旅が終わったら帰れるんでしょう?」

「そうですね。旅が終わったら帰りたいです」

 これまで人に話す機会はなかったが、いつかはナレ村に帰りたい、カミルはそう思っていた。魔物退治がいつ終わるのかは分からないが、すべての魔物を倒すなんて到底無理なのだから、ある程度経ったら村に帰ってもいいのではないか、と考えていた。しばらく経ってもレイナスが帰るそぶりを見せなかったら話をしよう、とカミルは改めて思った。

 そうして話をしているうちに、二人は教会にたどり着いた。村の中心からはかなり離れた場所にある、石造りの小さな教会だ。

 神父が扉を開けると、奥に祭壇が見えた。祭壇も質素でそれほど大きなものではない。三人ぐらいずつ座れる長さの礼拝用の長椅子が、左右にそれぞれ三つずつ置かれていた。

「どうぞ」

 神父に促され、カミルは中へ入った。

 カミルは、祭壇の前でマントを脱ぐと、跪いて両手を組んだ。しばらくの間、祈りを捧げる。

 神父はその様子を隣で静かに見守っていた。カミルが祈りを終えると、神父が言った。

「何か、悩み事がありますか?」

「え?」

 神父の問いにカミルは驚いた。自分が何か悩んでいるような表情をしていたのだろうか。

「さっきの祈りには、思いがこめられているような気がしたので」

「いえ、悩みはないんですけど、多分ふるさとを思い出したので、それでだと思います」

「そうですか。ふるさとに帰ったら、神父になるのですか?」

「それは、分からないです。俺、正直神父には向いてないし」

「そうですか? 私には向いているように見えますが」

 以前、レイナスにも同じ事を言われたことがあるから、カミルは驚いた。二人から言われたということは、客観的に見て、自分は神父に向いているのだろうか。神父に向いている人というのは、一体どういう特徴を持つ人のことなのだろう。

「あの、俺が神父に向いてるって、どういうところがですか?」

 カミルは素直に質問してみた。神父はほほ笑んで答えた。

「純粋なところですね。純真無垢な心を持っている」

「え? 俺、そんなことないですよ」

「いえ。カミルは、本当に純粋な人ですよ。人を疑うことなんて、ほとんどないのではありませんか?」

「いや、そんなことないと思うんですけど」

「自分では気づいていないだけです。私は、カミルのような人が好きですよ」

 神父の言葉にカミルは顔が熱くなるのを感じた。そんな風に褒められると照れてしまう。

 神父は、笑顔のまま続けた。

「カミルには、ずっとここにいて欲しいです」

「え? そう言ってもらえるのはうれしいですけど」

「カミル」

「はい?」

「あなたは本当に純粋で、甘い人ですね」

 カミルは、耳を疑った。今、神父はカミルのことを「甘い」と言わなかったか?

 カミルの心に、一瞬にして嫌な予感が走った。しかし、カミルはまだそれを信じたくはなかった。

「神父様、何を言ってるんですか?」

 カミルが尋ねると、長椅子に座っていた神父が立ち上がった。

「あなたには、こんな禍々しい場所が教会に見えるのですか?」

 神父がそう言って両手を広げると、今まで確かに教会だったはずの空間が一瞬にして歪み始め、目の前の十字架が、チョコレートのように溶け出した。

「あ!」

 カミルは絶句した。

「フフフ。驚いたか?」

 不敵に笑う神父に、カミルは恐る恐る尋ねた。

「あなたは、何者……?」

「俺はゼント。神父でも何でもない」

 ゼントという名前はどこかで聞き覚えがある。誰だったか。そこで、カミルは思い当たった。サラディンが言っていた四大術師の一人ではなかったか。

 良い人だと思っていた神父に裏切られ、カミルはショックを隠せなかったが、今はそんな場合ではない。早くここから逃げなければならない。

 カミルは、ゼントに背を向け、扉の方に駆け出そうとして息を呑んだ。さっき、自分が入って来たはずの出入り口の扉が消えている。そして、気付いた。教会、いや、教会のような形をしたこの建物は、それ自体が巨大な牢となり、カミルを閉じ込めているのだ。

「ここから出して!」

「そんなの、聞くわけないだろ? カミルは返さないよ」

「なんで?」

「さっきも言っただろ? カミルが好きだって」

 カミルは壁の方に駆けていき、壁を思い切り叩いたがびくともしない。

「レイ!」

 カミルは外に向かって叫んだ。

「無駄だ。外に声は聞こえない」

 いつの間にか、ゼントがカミルのすぐ後ろに来ていた。ゼントもサラディンと同じく、瞬間移動ができるのだ。カミルは慌ててゼントの傍から離れようとしたが、逃げようとするカミルの両腕をゼントが掴んだ。

「離せ!」

 カミルは、その手を必死に振り払おうとしたが、強い力で掴まれ、逃げることができない。ゼントは、カミルの体を横に倒すように思い切り力を掛けてきた。

「うわ!」

 カミルはよろけて床に倒れ込んだ。そして、倒れたカミルの上にゼントが馬乗りになった。

 カミルは、これから起こることを想像して血の気が引いた。

「あんたは、人を食べなくても平気なんだろ? どうしてこんなことするんだ!」

 カミルが言うと、ゼントは笑った。

「俺は血肉には興味はない。ただ、きれいなカミルを穢したいだけだ」

 ゼントの言葉に、カミルはますます血の気が引くのを感じた。

 ゼントの手が、カミルの祭服に掛かった。

「やめろ!」

 カミルは叫びながら、ゼントの体を押し返そうともがいた。しかし、完全に上に乗られてしまっていて、ゼントを引き離すことができない。

 ゼントは笑みを浮かべながら、カミルの祭服のボタンをはずしはじめた。

「やだ! やめろ!」

 カミルがもう一度叫んだ、その時。

 パンッと、何かがはじけるような大きな音がした。そして、今まで禍々しかった空気が少し変わった気がした。

「なんだ?」

 ゼントも気付いて顔を上げた。その瞬間、急にゼントの体が何か見えない力、それも、とてつもなく大きな力に撥ね飛ばされ、壁に激突した。

「うあ……!」

 ゼントは声を上げてうずくまった。カミルは、何が何だか分からず、茫然とゼントを見つめた。

「許さない……」

 声がした方に目をやると、そこにレイナスが立っていた。

「レイ……」

 カミルは呼びかけたが、レイナスの表情を見て息をのんだ。それは、今まで見たことのない、怒りの表情だった。静かにゼントを見るレイナスの目は凍りつきそうに冷たく、体中から怒気をみなぎらせている。あまりの威圧感にカミルはそれ以上、レイナスに声を掛けることができなかった。

「レイナスか」

 ゼントがやっとの様子で立ち上がりながら言った。ゼントはレイナスのことを知っていたようだ。サラディンから聞いていたのだろうか。だとすると、初めからカミルの事も知った上で近づいてきたのに違いない。

 レイナスは、ゼントを睨みつけ「死ね」と言った。レイナスの口から出たとは到底思えない言葉に、カミルが自分の耳を疑っているうちに、ゼントの近くの壁が崩れ、そのがれきが一斉にゼントに降り注いだ。

 カミルは「やめろ!」と叫び、レイナスに駆け寄ると、その両腕を掴んだ。

「レイ! もういい! やめてくれ!」

 カミルが懇願すると、やっとレイナスの表情が少し緩んだ。

「カミル、怪我はない?」

「大丈夫だよ」

 カミルは必死にうなずいた。

 ゼントに降り注いだがれきの山はびくともしなかった。おそらく、もうそこにゼントはいないのだろう。辺りの禍々しい空気が一瞬にして消え去り、カミルはほっと胸を撫でおろした。

 しかし、レイナスの表情はまだ険しかった。カミルをまじまじと見つめている。

「あいつに何かされた?」

「いや、何も。レイが助けてくれたから」

「何もってことはないだろ……!」

 レイナスは、はだけたカミルの胸元を見て声を荒げる。カミルは慌てて服を掻き合わせ、ボタンを掛け直した。

「本当に大丈夫だから」

「キスされた?」

 レイナスのとんでもにない質問に、カミルは自分の頬が赤らむのを感じた。なんて恥ずかしいことを聞くのか。

「されてないよ!」

 カミルは、力いっぱい否定した。

「じゃあ、どこか触られた?」

「それは……」

「どこ、触られた?」

 しつこく詳細を聞いてくるレイナスに、カミルは腹が立ってきた。あんな姿を見られて、それでなくても恥ずかしいのに、それをずけずけと聞いてくるなんて、デリカシーがなさすぎる。

「もう、いいだろ。無事だったんだから」

 カミルが不機嫌さ丸出しに言うと、レイナスもカチンと来たのか、

「僕が来なかったら、どうなってたと思うんだよ!」

と、怒り口調で言った。

 レイナスにこんなに怒られたのは初めてだ。そしてカミルは、レイナスの言う通りだ、と思った。レイナスが来てくれなかったら、おそらく今頃、自分は所謂「手籠め」にされていただろう。助けてもらっておいて、ちょっと態度が悪かったと、カミルは反省した。

「ごめん……」

 カミルが謝ると、レイナスも我に返った様子で、

「僕こそ、ごめん。カミルは怖い思いをしたのに」と謝ってきた。

 レイナスは、長椅子の上に置かれたカミルのマントを取り上げると、カミルにそっとかぶせた。そして、そのままカミルを抱きしめた。

「カミル、ごめん」

「違うよ。レイの言う通りだよ。全部俺のせいだ。俺こそごめん。助けてもらったのに」

 カミルは、なぐさめるようにレイナスの背中を優しく叩いた。段々、心が落ち着いてきたカミルは、ふと疑問が湧いてきた。

 カミルは、

「レイ、どうしてここが分かったんだ?」

と尋ねた。

「魔力だよ。あいつ、うまく隠してたみたいだけど、すごく強い魔力を一瞬感じて。サラディンに近いぐらい強い魔力だったから、嫌な予感がして来てみたんだ。そしたら、ここだけ結界みたいになってて。破って入ってみたら……」

 そこまで言って、先ほどのことを思い出したのか、レイナスが不愉快そうな表情を浮かべた。そして、

「あいつ、今度会ったら絶対許さない」

とつぶやいた。

「あれは、四大術師のゼントだよ。てっきり、いい人だと思ったんだけど、騙されたな……」

 カミルが言うと、レイナスが呆れた様子で、

「お人よしにもほどがあるよ。もう誰彼構わず信じてついて行かないでよ」と言った。

「うん。今度からは気を付けるよ」

 今回は本当に失敗したとカミルは思った。ゼントが神父然としていたから、すっかり信用してしまった。それにしても、先ほどの出来事は衝撃的だった。今まで自分は男だから、ああいった類の危険が身に及ぶなど、考えたこともなかった。ゼントは一体何を考えていたのだろう? そういう趣味のある男なのだろうか? とにかく、今まで自分が知らなかった世界を垣間見てしまったような、そんな気がした。

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