その1(5)

 それからさらに一か月以上が過ぎた。カミルとレイナスの二人は、森を進み、時々村に立ち寄って食料を調達しながら旅を続けた。

 ある村に立ち寄った際、村人たちが先を急ごうとする二人を止めた。村人たちが言うには、村の先にある森に入った者はみな姿を消してしまい、誰一人戻ってきていないという。森の中には魔物が潜んでいて、森に入った人間は一人残らず襲うし、たまに村にやってきては、村人をさらうこともあるというのだ。

「どうする? レイ」

 カミルが尋ねると、レイナスは「行こう」と迷わずに言った。

 レイナスは例の魔術書を読み込んでいたから、大分魔術を使えるようになっているのかもしれない。それでもカミルは、魔物がいると分かっている森に敢えて踏み込むのは怖い気がした。

「ほんとに行くのか?」

 カミルが再度確認すると、レイナスはうなずいた。

「大丈夫。あの森にいるのは大した魔物じゃない」

 レイナスの言葉に、カミルは驚いた。

「そんなことまで分かるようになったのか?」

「うん。なんとなく。微かだけど、森から魔力を感じるから。サラディンとは比べ物にならないぐらい弱いよ」

「サラディンのも分かってたのか?」

「……最初はそれが魔力だって分からなかったけど。この森の近くに来て分かったよ。あれが魔力だったんだって。そして、それがものすごく強かったってことも……」

「そういうもんなんだ。なんか、レイすごいな」

 カミルは感心した。レイナスは続けた。

「多分、僕にも魔力があるからだよ。そして、多分、サラディンも僕の魔力を感じることができる」

「そうなのか……?」

「サラディンが、ナレ村に来た時、教会の方に来たのは、僕の魔力を感じたからだと思う」

「そういえば、あいつ、ノーマン神父様が目的じゃないって言ってたな」

 カミルは、サラディンがナレ村に現れた時のことを思い出した。

「サラディンは、僕の魔力の気配を追って来るよ。多分、どこへ逃げても、近くに来たら見つかってしまうと思う」

「え?」

 カミルは驚いた。だとしたら、逃げても逃げても追って来るということになる。

「それじゃ、こうして旅をしてても、無駄だってこと?」

「近づかなければ見つからないと思うけど、サラディンは空も飛べるし、瞬間移動もできるみたいだから、見つかるのは時間の問題かもしれない」

「そんな……」

「でも、大丈夫。もし見つかったとしても、僕は絶対サラディンの仲間にはならないし、カミルのことも守るから」

 レイナスはカミルに力強く言った。


 二人は、森へ入って行った。

 初めは普通の森と変わりはなかったが、奥に進むにつれて木々が鬱蒼とし、どことなく不気味な感じが増してきた。

 大分進んだ時、急にレイナスが立ち止まった。

 カミルは嫌な予感がして息をのんだ。

「後ろにいる」

 レイナスはそう言って、呪文を唱えた。

 すると、近くの木の枝が折れてすごいスピードでカミルとレイナスの背後にある茂みの中に突き刺さった。

「うわ!」

 茂みの中から低い悲鳴が聞こえ、二人が振り返ると、茂みが大きく揺れて大きな体の男が出て来た。その胸に先ほどの木の枝が突き刺さっている。

「おまえ、何者だ?」

 男はレイナスを睨んで言った。男の手には剣が握られている。おそらく、この男が村人や旅人を襲っていた魔物なのだろう。

 男は、レイナスの方に歩み寄ろうとしたが、二、三歩進んだところでよろめいて、両ひざから地面にうつ伏せに倒れ込んだ。その様子に、カミルは恐ろしくて声も出なかった。

「行こう」

 レイナスは、カミルの手を取って、魔物に背を向け、走り出そうとした。

 その時。

 レイナスが足を止めて「まずい」と言った。そして、急にカミルを後ろにかばった。カミルには、レイナスの行動の意味が全く分からない。

 すると突然、「さすがですね」という声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。カミルは背筋がぞっとするのを感じた。

 次の瞬間、二人の目の前の空間が蜃気楼のように歪んだかと思うと、そこに人の姿が現れた。

 カミルは絶句した。

「サラディン!」

 二人の目の前に現れたのはサラディンだった。先ほど見つかるかもしれないと話していたばかりで、危惧していた通りにサラディンが現れ、カミルは愕然とした。

「やっと見つけました。レイナス様」

 サラディンがレイナスに一礼した。レイナスはサラディンから目を離さずに警戒している。サラディンは、倒れている魔物に目をやると、

「もうこんなに魔術を使いこなしておられるとは、さすがです」と言った。

「魔術書を置いていったのはわざと?」

「それは、元々あなたのお父様の物ですから、あなたが持っていて当然の物です」

「狙いは、何?」

「狙いなど特にありません。ただ、師の子であるあなたの役に立ちたいだけです」

「僕の役に立つ?」

「はい。あなたは知りたくありませんか? 父がどういう人だったのか、『魔物』とは何なのか……。私が知っていることなら、教えて差し上げることができます。まずは知った上で、あなたがこれからどうするのか決めれば良いことです」

 カミルはレイナスの腕を掴んだ。

「レイ。こんなヤツの言うこと聞くなよ」

 ノーマン神父を殺めた仇の言うことなど、信じられるはずがない。きっと裏に良くない企みがあるに違いない。

 すると、サラディンがカミルに目を向けた。

「カミル、レイナス様が大事なら、おまえも知っておいた方が良いのではないか?」

 カミルは思わず後ずさった。相変わらず、サラディンには何か得体の知れない怖さを感じる。

 その時、地面に倒れていた魔物の男が「うう」とうめき声を挙げた。カミルとレイナスは、驚いて振り返った。するとサラディンが、無言のままカミルとレイナスの横を通り過ぎ、男の手元に落ちていた剣を拾い上げると、急にその剣を振り下ろし、男の首をはねた。

「ひっ!」

 カミルは、悲鳴を挙げて目を背けた。

 レイナスがカミルの前に出て、カミルを後ろへかばいながら、

「どうしてこんなことを……?」とサラディンに尋ねた。

 すると、サラディンは剣を地面に投げ捨てながら言った。

「魔物を殺す唯一の方法です」

「魔物を殺す唯一の方法? サラディンは、何者なんだ?」

 前にいるから表情は見えないが、この状況で冷静にサラディンと話ができるレイナスのことを、カミルはすごいと思った。カミルはレイナスの後ろで、目を背けてただ黙っているしかできない。

「『魔物』というのは、人々が勝手に付けた呼び名です。この男も、私も、そして、あなたも、ただの人間にすぎません」

「ただの人間? でも……」

「人間というのは、自分と違うもの、異質なものを嫌うのです。そして、そういうものに呼び名を付けて蔑む。そういうものです」

「つまり、みんな人間なんだけど、不思議な力を持っていたり、人を襲ったりする人間が『魔物』って呼ばれてるってこと?」

「そうです」

「それじゃ、どうして『魔物』と呼ばれるような人間が生まれるの?」

「それこそが、あなたに知って頂きたいことなのです」

「どういうこと?」

「魔術書はすべて読みましたか?」

「うん。読んだ」

「そこには、不老不死の秘術について書かれていたはずです」

「うん、書かれていた。悪魔と契約して、不老不死の体を手に入れるって」

「私たち……、あなたの父のディーク様、そして、その弟子であった私、ゼント、カサハ。私たち四人の最終的な目標は不老不死の秘術に辿り着くことでした」

 カミルは、不老不死の術という神話にでも出てきそうな魔術が実在していて、しかもそれがあの魔術書に書かれていたという事実に驚きを隠せなかった。

 サラディンが話を続けた。

「当時、私たちは四大術師と呼ばれ、他の魔術師たちとは比べ物にならない、大きな魔力を持っていました。私たちは、研究を重ね、ついに不老不死の秘術にたどり着くことができたのです。私たち四人は、自らにその秘術を施し、不老不死の体と、強大な魔力、そして神通力を手に入れました。この秘術を掛けた者は不老不死になるだけでなく、普通の魔術師が行える以上の術を使うことができるようになります。他の魔術師たちは、私たちを羨みました。そして、私たちに、秘術を授けて欲しいと乞いてきたのです。私たちは、術を独り占めする気はありませんでしたから、快く秘術を授けました。しかし、この秘術には、大きなリスクがありました」

 カミルもレイナスも、黙ってサラディンの話に聞き入った。サラディンは話を続けた。

「その秘術は、悪魔と契約して自らを不老不死にする魔術でしたが、悪魔と無事に契約するには、相当な魔力が必要だったのです。四大術師程の力があれば、完全に成功させることができましたが、他の者はみな、力不足でした。不老不死の体は不完全なものとなってしまったのです。そして、彼らは、自らの老いを止めるために、定期的に人間の生き血を体に入れなければならなくなりました」

「え……?」

 つまり、それが「魔物」であり、彼らは自分の体を維持するために、人を襲ってその生き血を飲んでいるということなのだろうか。

「それを知った私たちは、秘術が広まるのを止めようとしました。しかし、すでに流布してしまった不老不死の秘術は、人から人へと伝わってしまっていました。力不足のまま秘術を使った者たちは、契約の途中で悪魔に喰われたり、最後まで行えたとしても、術が相当に不完全で、さっきの男のように、見境なく人を襲っては、その血肉を喰らい、自らの体を維持するしかない、化け物になってしまったのです」

「そんな……」

 さっきの男も人間。村人たちを襲っていたのも人間。サラディンの話を聞いて、カミルは胸が痛んだ。人間誰しも、死ぬのは怖い。不老不死になれる魔術があるのなら、使いたいと思うのは無理もない事だ。それを使って、失敗した人たちが魔物だったとは、悲しいとしか言いようがない。失敗するリスクがあると知った上で使った者もいただろうが、知らずに使った者もきっといただろう。

 レイナスがサラディンに

「今も魔物は増え続けてるってこと?」と尋ねた。

「秘術の存在を知っている者は限られていますから、そう多くはありませんが、今でも行う者はいるようです。ただ、うまく体を維持できなかったり、人々に討伐されたりする者もいますので、減ってもいるのでしょう。私たち四大術師以外に、術を完全に成功させた者はいません。そして、四大術師も、ディーク様がエリスに殺され、カサハがノーマンに殺され、完全な不老不死は、私ともう一人だけとなりました。長い間、術に耐えられるほどの魔力を持った人間は現れませんでした。そして、やっと現れたのがレイナス様、あなたです」

「……どういう意味?」

「あなた程の力があれば、不老不死の秘術を成功させる事ができます」

「まさか、その術を僕に使えって言うんじゃないよね?」

「使えとは言いません。ですが、あなたにはその資格があります。レイナス様は、人が羨む力をお持ちです。他の者が願っても叶えることができないことを叶えることができる力です。不老不死は、人間にとって至高の夢。あなたの父であるディーク様も私も、それを叶えるために長い月日を掛けて研究しました。あなたにはそれを分かって欲しいのです」

 レイナスは首を大きく振った。

「僕の父という人も、おまえも、間違ってる。そして、そんな術に焦がれて魔物になってしまった人たちもみんな間違ってる」

「理解できませんか?」

「できないよ。だって、その術のせいで世の中に魔物が生まれてしまったんじゃないか。僕は、そんな術も魔物もこの世界からむしろ無くしたい。僕は、父だという人じゃなく、ノーマン神父様の跡を継ぎたい」

 レイナスの言葉に、カミルは「え?」と驚いて声が出た。つまりレイナスは、魔物退治をすると言うのだろうか。レイナスは言葉を続けた。

「だからもう、僕には構わないで欲しい」

 突然レイナスが呪文を唱えた。すると、以前と同じように空から割れんばかりの音を立てて稲妻が落ちて来た。しかし、それは、サラディンの体の上ではじけるように消え去ってしまった。

 サラディンは言った。

「この前は油断してしまいましたが、今は違います。前のようにはいきません。確かに、あなたは強い魔力をお持ちですが、それは素質があるということにすぎません。いくら強い魔力をお持ちでも、秘術を施した私には到底敵いません。あなたは生身の人間なのですから」

 レイナスとカミルは後ずさって警戒したが、サラディンは攻撃を仕掛けてくるようなそぶりを見せることなく、言葉を続けた。

「レイナス様、今は分かって頂けないなら、仕方ありません。魔物を倒すと言うのであれば、それを止めるつもりもありません。あなたが思うようになさって下さい。私はただ、見守らせて頂きます」

「見守るって……」

「今日のところは帰ります」

 サラディンは、レイナスに頭を下げると、そのまま姿を消した。

 カミルとレイナスは、しばらくサラディンがいた場所を無言で見つめていた。サラディンの話を聞いて、思うところはたくさんある。自分がそうなのだから、レイナスはもっとだろう。

「これから、どうする?」

 カミルがレイナスに尋ねると、レイナスが振り返った。

「そうだね」

「もう逃げてる意味ないから、ナレ村に帰ろうか?」

 カミルが言うと、レイナスは首を振った。

「このまま帰れないよ。僕は魔物を倒したい」

「でも、その魔物も元は人間だろ?」

「力がないのに無理に秘術を使って魔物になったんだから自業自得だよ。それで人を殺すなんて、許せない」

 レイナスは潔癖なところがあるから、自分の欲に溺れて他人を犠牲にするような人間を許せないのだろう。しかし、そんな人でも人間であることは変わりない。そんな「魔物」をレイナスが倒す、つまり殺すことを、カミルは快く思えなかった。

「別に、レイがやる必要ないんじゃないか?」

「僕じゃないとできないよ。普通の人間じゃ太刀打ちできないんだから。ノーマン神父様だって、魔物を退治してたでしょ?」

 ノーマン神父は確かに魔物を退治していて、先ほどのサラディンの話によれば、四大術師の一人も倒している。魔物が人を襲う以上、倒さなければ犠牲になる人が出てしまうというのはその通りだ。

 レイナスが、真剣な目でカミルを見つめ、

「カミルは、どうする?」と訊いてきた。

「え?」

「カミルは、ナレ村に帰りたい?」

 元の平穏な生活に戻りたいというのが正直な気持ちだ。しかし、レイナスの素性や魔物の正体を知ってしまった今、何事もなかったように過ごすことは、難しいだろう。レイナスは、余計にそうに違いない。もし、レイナスが旅を続けると言うのなら、レイナスを置いて自分だけナレ村に帰るなんて到底できない、とカミルは思った。

「正直、帰りたいとは思うけど、帰る時はレイと一緒にだし、レイが帰らないなら、俺もレイについて行くよ」

 カミルが答えると、レイナスは「カミル、ありがとう」と言った。

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