その1(4)
カミルとレイナスが村を出てから五日が経った。この五日間はとにかくひたすら歩き続けた。人が住む村以外は大体が森だから、森を歩いては村に出、また森に入るという繰り返しだった。五日間は村に行きついても立ち寄ることはなかったが、そろそろ持ってきたパンも尽き、食料を調達しなければならなくなった。
何度目かの森を抜けると、視界が開け、ライ麦畑が広がった。畑の先に村の集落が見える。二人はその村に立ち寄ることにした。
畑で作業をしていた村人たちが二人に気付き、何かをささやき合うと、その内の何人かが村の方に駆けて行くのが見えた。明らかに警戒されている。カミルは、なぜ村人たちが自分たちのことを警戒するのか、理解できなかった。二人は、畑に残った村人たちに近づいて行った。
「こんにちは。僕たち旅をしている者なんですけど」
レイナスが遠慮がちに話しかけると、村人の一人が歩み寄ってきた。
「旅人か? 随分若いようだが。この村に何か用か?」
村人は二人を足のつま先から頭のてっぺんまで、用心深そうに眺めまわした。
「食料が尽きてしまって。パンを少し分けてもらえませんか? 少しですが、銅貨があります」
村人は怪訝そうな目で二人を見たまま、
「おまえたち、魔物じゃあないよな?」と言った。
「え?」
村人の言葉に、カミルとレイナスは同時に声を挙げた。
カミルは大きく首を振った。
「違います」
村人は、警戒心を露わにしつつ、
「パンは分けてやるから、さっさとこの村から出て行ってくれ」と言い、「ついて来い」と、二人を先導した。
歩きながら、カミルは尋ねた。
「あの、この村には魔物がよく来るんですか?」
すると、村人が振り返って言った。
「来るさ。それで、女子供をさらっていく。男でも森に行ったっきり帰って来なかったやつもいる」
ナレ村は魔物に襲われたことがなかったから、他の村にそんなに頻繁に魔物が現れているということを、カミルは知らなかった。
「あんたらがいたところには来なかったのか?」
逆に村人が聞いてきた。
「はい。俺たちはナレ村ってところに住んでいて……」
カミルがそこまで言った時、村人が立ち止まって振り返った。
「ナレ村って聞いたことあるぞ。なんか偉い聖人がいて、魔物が寄り付かないって。あんたら、そこから来たのか?」
「はい。その聖人っていうのは、おそらく俺たちの師匠の事だと思います」
それを聞いた村人の表情がみるみる変わった。それまでの警戒心が一気に解け、ほっとした表情に変わった。
「なんだ、そうだったのか。だったらそう言ってくれよ」
カミルはこの村人が、カミルとレイナスの事も魔物を退治している聖人だと勘違いしているような気がした。カミルは、村人を騙しているようで申し訳ない気持ちになった。
「あの、俺たちは逃げてきたんです。ナレ村には魔物は近づけないはずだったんですけど、すごく強いヤツが来て、俺たちの師匠が殺されてしまって。それで、俺たちも狙われてて、それで逃げてきたんです」
「ええ?」
村人は驚いて目を見開いた。
「カミル!」
レイナスが慌ててカミルの袖を引っ張った。しかし、カミルは続けた。
「だから、パンを頂いたら、すぐにここを出ます。多分、そいつケガをしてるからすぐには追って来ないと思うけど、この村に迷惑をかけたくないので」
カミルの言葉を聞き、村人は少し考えていた。そして、カミルの肩を二、三回軽く叩いた。
「あんたらも、大変だったんだな」
「はい……」
優しい言葉を掛けられて、カミルは、胸が熱くなった。村人はため息をついた。
「俺の弟の娘も一年前にさらわれて、それっきりだ。たぶんもうこの世にはいねえ」
「そうだったんですか……」
「俺たちにはどうにもできんがな……」
村人と共に二人が村に入ると、他の村人たちが興味深そうに、そして警戒心むき出しに、カミルとレイナスを遠巻きに見つめていた。二人を案内してきた男は、一軒の家の前に着くと「ここで待っていてくれ」と二人に言って中に入って行った。そして、しばらくして、袋を持って再び現れた。
「この村も裕福な方じゃないから、これしかやれないが、持って行ってくれ」
男がカミルに手渡した袋の中には、固く焼しめたライ麦パンがたくさん入っていた。
「こんなに? すみません」
カミルは慌てて銅貨を出そうとした。しかし、男はカミルの手をつかんでその動きを止め、首を振った。
「金はいい」
「でも」
「今後のために取っておいたほうがいい。俺たちは裕福ではないが、これぐらい、大丈夫だ」
カミルは男に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あと、今日ぐらいはこの村に泊まっていったらどうだ?」
男の申し出に、カミルは首を振った。
「いえ、そこまで甘えられません。それに、俺たちなるべく遠くへ行かなきゃならないし」
「そうか。それじゃ、気を付けて行けよ」
「ありがとうございました」
カミルとレイナスは改めて深々と頭を下げた。
二人は、村を後にした。
村を出て進むと、また森にぶつかる。
森の中をしばらく歩いてから、少し開けた場所を見つけた二人は、荷物を降ろして休憩を取ることにした。
「さっきの村の人、いい人だったね」
レイナスがカミルに言った。カミルもうなずいた。
「最初、すごく疑われてるからどうしようかと思ったけど、良かったよ」
「カミル、何でも話しちゃうから、びっくりしたよ」
「いや、だって、話した方がいいと思って」
「結果、良かったけど。追われてるなんて言ったら、余計に警戒されるかもしれないでしょ?」
レイナスは、カミルと話しながらサラディンが置いていった魔術書を取り出していた。
「それ、サラディンが置いていった……」
「うん」
「なんでそんなの出してるんだ?」
「ちゃんと読んでおいたほうが良いと思って」
「なんで?」
カミルは不思議に思ってレイナスに尋ねた。
「さっきの人の話を聞いて、戦えるようにしておかないとまずいと思ったから。」
「戦う」というレイナスの言葉にカミルは驚いた。
「本気か?」
「うん」
ノーマン神父の仇で、正体不明なサラディンが置いていった魔術書だ。そこに書いてある魔術を使ったりしたら、悪いことが起きるのではないかとカミルは不安に思った。
「そんなの、読むなよ。あいつが置いていった本なんか」
カミルはレイナスから魔術書を取り上げようとしたが、レイナスは逃げるようにカミルに背を向けた。
「いいでしょ。別に」
「良くない。何かのワナかもしれないだろ」
「大丈夫だよ」
普段、慎重なレイナスにしては意外だ。カミルは何とか止めなければならないと思った。
「だいたい、そんなの読んだだけで、魔術が使えるようになるわけないだろ?」
「カミルも見たでしょ? 僕が使うの」
「それはそうだけど、あれはまぐれかもしれないし」
「はは、確かにそうだね」
レイナスは笑った。そして、おもむろに魔術書のページをめくると、つぶやくように呪文を唱えた。すると、カミルの足元の木の根が突然生き物のようにうねって動き出した。
「うわあ!」
カミルは声を挙げて飛びのいた。その様子をレイナスがおもしろそうに見ている。
「レイ! やめろよ!」
「ほら、できたでしょ?」
レイナスは得意げだ。カミルはとんでもないことだと思った。そして、レイナスに歩み寄り魔術書を取り上げた。レイナスが慌ててカミルの方に手を伸ばした。
「返してよ」
「さっそく害が出てるじゃないか」
「もうしないから」
本を読むだけで、魔術を使えるようになるなんて、信じられない話だが、それは現実に目の前で起きている。カミルは魔術書のページをめくった。
「誰にでもできるんじゃないか?」
カミルはつぶやいて「樹木を思い通りに動かす術」の呪文を、先ほどのレイナスと同じように唱えた。しかし、しばらく経っても何も起きない。
「信じられない……」
カミルはため息をついて魔術書を閉じると、それを袋にしまい込んだ。
「あ、まだ読むから出してよ」
レイナスが手を伸ばそうとするので、カミルは袋を自分の体の後ろに隠した。
「こんなの読むなよ。どんどんレイが魔物(あっち)寄りになってくだろ? 自分からなろうとしてどうするんだよ」
「でも、サラディンもまたいつ来るか分からないし、サラディンじゃなくても、魔物は人を襲ってるみたいだし、それに、普通に獣だっているし……。とにかく、今の僕たちじゃ危なすぎるよ!」
「そりゃそうだけど……」
「大丈夫だよ。むやみに使ったりしないから。さっきみたいないたずらも、もうしない」
レイナスはカミルに懇願した。確かに、レイナスが言うことにも一理ある。この数日、野宿をしていても、不思議と獣の襲撃を受けていないが、常にその危険にさらされていることは間違いない。それに、先ほどの村人の話からしても、魔物が人を襲っているのは日常茶飯事のようだ。カミルとレイナスの旅が常に危険にさらされているのは確かだ。
レイナスはカミルにねだるような視線を向けている。こういう顔をされると弱い。カミルは、しぶしぶ袋を前に出すと、魔術書を取り出してレイナスに渡した。
「絶対に、むやみに使うなよ」
「うん。ありがとう」
レイナスは、笑顔で魔術書を受け取ると、真剣な表情で読み始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます