第2話「ああ、「外はひどい雨ですからね。どうぞごゆっくり」


 ずぶ濡れで息を切らしている俺の姿にも動じず、店主は伸び放題の眉毛をうっすらと微笑えませ、店の奥に消えた。

 そして再び戻って来たときには手にお盆を持っていた。

お盆の上にはタオルと茶色い酒瓶、そしてコップが二つ。


「…まずはこのタオルで体をお拭きなさい。

それからこれね、家内が漬けた梅酒。よかったら雨やどりついでにい一杯いかがですか? 

こんな雨の日は、うちも商売上がったりでね」


「こんなに良くしてもらって、なんと言ったらいいのか。ではお言葉に甘えて…」


 実際、俺はずぶ濡れで、喉もカラカラだった。


(借金取りがこの店まで来る気配は…なさそうだ。では、ここでちょっと一休みさせていただくとしよう)


 俺は店主から手渡されたよく使い込まれたタオルで体に染み込んだ水分を拭き取った。


「立ち飲みも何ですから、こちらの机でおあがりなさいな」


促されるまま、店の奥の窓際にある店の備品らしき古い木製のテーブル腰かけた。

 机には表面の目立つ場所に大きな傷が付いている。

こんな傷が付いていたのでは、もう値段がつかないのだろう。


 グラスに注がれた梅酒を煽ると、甘い琥珀の液体が弱り切った俺の心にすっと染み込んでいった。程よい酩酊感につられて、ついつい酒が進んでしまった。

 そして、俺はいつになく饒舌になっていた。とめどもなく口から流れ出てくるのはこれまでの自分のなけなしの身の上話。

子供の頃に貧乏だったこと。学生時代に猛勉強したこと。

結果、売れっ子のベストセラー作家になったこと、そして、その後の転落。


「というわけで、天狗になった俺は今、見事てっぺんから転がり落ちてすっかり一文無し! 借金取りに追っかけられていたところなんですよ。

笑っちゃうでしょう、はは…」


自虐を交えて自分語りを締めくくると、老人はグラスを片手に相槌を打った。


「うんうん、それはそれは」


肯定も否定もなく店主は柔らかな眉毛のまま梅酒をグラスに注ぐ。

そして唐突に言った。


「で、探し物はみつかりそうかね?」


「えっ、探し物?」


「そう。ここは思い出の墓場。ここに来る者は、みんな、大切な者を失くした迷子たち。みずから忘れて置き去りにしてきた物に引き寄せられてくるのです」


 思わず店主の顔を見ると、代わりにぼんやりと浮かび上がってきたのは、若い女の顔。

ああ、なんということだろう、これは別れた妻だ。


(つづく)

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