第4話 願い

 どうやらアッテリアは、本気で私を助けるつもりのようだった。


 それからしばらくの間、彼女は毎日現れた。日が昇り、辺りが暗闇から開放された頃、水の入った竹筒を腰にいくつもぶら下げ、背中には色々な道具と、肉やら魚やらを詰め込んだ革鞄を背負い、笑顔を持って、現れるのだ。それはまるで、「よかった、まだ生きてる」と、安堵しているようだった。


 彼女はまず、私に水を飲ませた。次に、革鞄の中身を広げ、草花やその種を皿の上で擦り潰したり、時には火を起こして煮込んだりした。そしてそれを、幾等分かにした肉や魚にまぶした後、手を合わせ、祈りの様な言葉を呟いていた。

 そうして出来上がったものを、私の口に押し込んでいった。ほとんど死体のようだった私でもちゃんと飲み込めるように、その頭を胸に抱き上げ、小分けにして口へ押し込み、それが胃まで運ばれていくのを見届けていた。薬味の成分のせいなのか、それらは強烈な風味であったが、それでも私の体は、そんな食事を強く欲した。一通り落ち着いたら、最後にまた、水を大量に飲ませて、立ち去って行くのだった。


 それは、雨の日も、雪の日も、毎日続いた。目が覚めてみれば、彼女がそこにいて、私の体に何かを塗りつけていたり、祈りを捧げていたり、色々なことをしていた。


 一方的な善行に困惑したかと問われれば、そんな事はなかった。なぜなら私は、こうして介抱されている時以外の時間を、寝て過ごしていたのだから。体の修復に使われる体力は相当に大きいらしく、正しくは、意識を保っていられなかったのだ。考えることすらままならない私は、問うことも拒むことも敵わず、ただただ、それを受け入れているに過ぎないのだった。



 それから数日が経つと、私の体は加速的に回復していった。立ち上がるのは敵わないまでも、うつ伏せの体勢を取れたのは大きな進歩だった。峠を越えた、と言うところなのだろう。首の可動域も広がり、直接彼女の手から食物を受け取ることもできるようになっていた。それから数日後には、少しではあるが、翼も広げられるようになった。


 その間、私と彼女は言葉を交わさなかった。交わさなかった、と言うよりは、きっかけを逃してしまった、と言うべきなのかも知れない。なにせ、私には最近まで、会話をする程の体力も、余裕も、残されていなかったのだ。最初のうちは彼女も、事ある毎に何かを言っていたとは思うのだが、私が口を開かないと解ると、それ以降は何も言わなくなった。恐らくは、話せないと思っていたのだろう。むしろその方が生物としては自然だった。だからなのか、時折、こんな幼い子が、とか、どうしてこんな事に、とか、そんなようなことを、とても悲しそうに、一人こぼしていた。私はそれを聞いて、余計に、話せなくなってしまったのだ。



 ある晩のこと。月が真上にいるような深い夜、普段なら現れないそんな時間に、彼女は現れた。荷物は何も持っていなかった。いつのものような笑顔すら持たずに、私のそばにしゃがみ込んで、ただ、その翼をさするのだった。その様子は、私を介抱する時とは少し違っていて、纏う雰囲気も、この夜のように暗かった。しばらくして、その手はだんだんと震え始め、やがてその顔を、埋めてしまった。


「どうして。どうして、私はエルフなの」


 確か、そんなことを言っていたと思う。嗚咽が混ざって、明確には聴き取ることができなかった。だた今、彼女を支配しているその感情を、悲しみと言うのだ、と、それだけは良く解った。


「世界は、狭いわ」


 私が寝ていると思ったのだろう。それからしばらくは、声を出して泣いていた。もとより言葉が分からないと思っているのだから、関係無いかも知れない。彼女は自身が置かれている状況を嘆いていた。そのせいで、自分の想いを果たせないでいるようだった。

 エルフは森に根ざし、森と共に生き、共に死ぬ。そんな話を聞いた事があった。世界が森に限られてしまっているなら、そんなふうに思ってしまうのは無理のないことなのかも知れない。


 もしかすると、彼女にとって私という存在は、慰めになっているかも知れない。


 私が永遠に口を開かず、度々こうしてその身を預けることで、彼女の救いになるのだとしたら。無駄口を叩かず、否定もせず、言いたいことを言うだけ言って、けれども血が通っていて、体温があって、その温もりが、凍りつきそうなその心を、溶かしているのだとしたら。

 それはひょっとしたら、今の私にできる、唯一の恩返しかも知れない。




 ただのドラグゥーンであろう。人の言語を解さない、ただのドラグゥーンに。




 私はこの日、星に願ったのだ。私とともに落下した物資から、その素性が割れてしまわないようにと。そしてこうも願ったのだ。彼女の心が、幸せで満たされるようにと。


 月明かりの下、私の翼が濡れたのは、そんな理由だった。

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