第2話 後悔
初の単独飛行は、おおむね順調だった。相変わらず視界に映るものは白一色の世界だが、私がそれで迷うことはない。霧のような雲の中を進んでも、今どのあたりにいるのかは、手に取るように分かった。翼のほかに手と呼べるものが無い私にとって、その感覚はあまりにも人間的すぎるような気がしたが、これも、私がこの世に生を受けてから今日まで、親と呼べるものが人間しかいなかったことが影響しているかもしれなかった。
単独飛行は、届け先が中程度に離れている時に行う配達方法だ。中距離、と言いはするものの、それは人間の単位で言うなら、国ひとつをゆうに跨ぐほどの距離にあたる。
届け先が近いのであれば、複数の配達物資を積み込んだ上で、人間がその背中に同席する。複雑な仕分けを順を追って配達することができるので効率が良いし、荷物の性質によって柔軟な対応ができる。これがドラグゥーン宅配便の基本だった。
しかし、空の旅というものは、人間にとっては過酷なものだ。この仕事に関わる者が口を揃えて言うことは、「人は空を飛ぶようには出来ていない」だった。ドラグゥーンにとっては空気の薄さも寒さもさほど問題にはならないが、人間の場合は生死に関わってくる。
となれば、届け先が遠くなればなるほど、その旅路は困難を極めることになる。時間がかかるので運べる荷物も少なくなるし、その為だけに人間を乗せるのは、ドラグゥーンにとっても人間にとっても賢い選択とは言えなかった。
では大陸を渡るほどの遠距離になればどうするかと言うと、そこは開き直りで、人間とドラグゥーンがお互いに協力しあい、その旅路を確実なものにするのだった。この場合、数日、長ければ、一月ほども帰って来られない。
つまり単独飛行は、ドラグゥーン宅配便にとっての急所となる中距離飛行を、効率的に行うための方法だった。これであれば人件費が浮く分、配達の料金が跳ね上がらずに済む。
ではリスクが無い完璧な方法なのかと言えば、そうでは無かった。
そもそも、航空宅配連合にとってのドラグゥーンとは、人間の乗り物である。人が荷物を効率よく配達するにあたって、空を高速で飛翔できるというのは、大きな利点だったのだ。だから人はドラグゥーンを飼育し、調教し、そのために膨大な時間を割いてきた。
しかしドラグゥーンはそのために生まれてきたものではない。中には人語を解す個体もあったが、全てがそうでは無い。特定の場所に特定の荷物を届けるということは、基本的には人間にしか成しえない、
となると、中距離飛行が割り振られるのは、「それが出来る」個体ということになる。人語を解し、人語を発し、さらには人と意思疎通をし、単独でその任務に付くことができる個体。それはドラグゥーンにとって平凡なものでは無く、その数は限られた。私はまさに、そんな個体のうちのひとつだった。
知性があれば、好奇心に逆らうことは難しくなる。事実上無償で働かされているドラグゥーン達が、人間の規則に従う理由は無い。
そうして、人という呪縛から解き放たれた個体達が、稀に帰って来なくなる。中には純粋に帰投能力が不足していて、戻ってこれなくなってしまった個体もあっただろう。だが、その真意は測れない。それこそ、彼らに直接聞いてみるほか無いのだった。
では私にそんな反骨精神があるかと言えば、全く無かった。私は今の環境に満足していたし、何より、アーティスと言う青年を愛していた。愛されている自覚もあった。いつしか家族のように過ごした大切な彼を、裏切るような真似は出来ない。するつもりも無い。
その航路の雲行きが怪しくなったのは、半刻程経った時だった。この時期、普段なら晴れている場所が、曇っていたのだ。文字通り、不穏な雲行きだった。私は一抹の不安を覚えながら、航路でも間違えてしまったのかと、その大地を
降りてみて最初に感じたのは、蒸し暑いということだった。冬真っ盛りのこの時期にはあり得ない暖かさで、何よりその湿度が気になった。
次に気がついたのは、森林火災だった。少し遠方に目をやれば、多くの森が焼け焦げていた。この地に降り注いだ雪という雪は、この火災によって蒸発させられ、大きな雲を生み出していたのだ。
そして最後に気がついたのは、それがすでに手遅れであるということだった。森林火災に気を取られ、私は自身の高度が思ったよりも下がっていたことを知らなかった。だから見逃したのだ。
――積乱雲を背負うように天空に座す、真紅の竜の存在を。
『火竜! そうか、これは
火竜は生命の駆逐者と聞いていた。増えすぎた生命を、その炎を持って討つのだ。
そしてこうも聞いていた。
「見かけたら、一目散に逃げること」
それは、私がアーティスから最初に学んだ、宅配連合所属のドラグゥーンの心得だった。
私はこの時、理解したのだった。なぜ自分の飛んでいる辺りは、燃えていなかったのかを。なぜならそれは、これから燃やす予定の場所だったのだ。
刹那、私の背中に豪火が襲いかかった。私の黄色い体毛は、あっという間に熱を帯びて、発火した。私の体は、まるで隕石のように真っ赤に燃え上がり、その大地へ落下していった。
『必ず、戻りますから』
薄れゆく意識の中、私はその約束が守れないことを、悟った。
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