さいわいなことり

ゆあん

第1話 単独飛行

 白化粧のトンカチ山に、鋼鉄の槍が突き刺さっている。


 これは、とある芸術家がこの地を訪れた際に残した言葉だと言われている。『私』はその言葉を聞いた時、妙に腹落ちしたのを覚えている。表現者である彼らならではの揶揄やゆであるが、なるほどどうして、まさにその通りの構造をしていたのだから。


「航空宅配連合 カンテラ支部」は、ここ、北の大地カンテラの入り口にあった。入り口、と言うには意味があって、カンテラ最南端であるこの場所より北は過酷な寒冷山脈地帯が延々と広がっており、凍てついた山々はせいあるものの侵入をいとも容易く拒み続けていた。それはまるで、固く閉ざされた門のようである。そんな辺境の地に、このカンテラ支部はあるのだった。


 硬質の大地がそのまま天空へと吸い上げられたような、一際ひときわ高く伸びる山の頂上から、黒い棒の様なものが幾本、ほぼ水平に同じ方向を向いて生えている。その長さは山の高さの半分程という途方も無さで、それを支える支柱は山肌奥深くにまで達していた。文字通り、突き刺さっているのだ。鋼鉄の支柱は橋のような構造をしていて、その上を行き交う者たちを、その頑丈さで支えていた。


 それは、デッキと呼ばれていた。デッキの上は数人分の幅を均等に保ちながら伸びており、そこからは、一日に幾度となく、何かが発射されたかのように、飛び立って行った。


 このデッキこそ、鋼鉄の槍の正体である。それは、航空宅配に所属するドラグゥーン達が飛び立つ、発射台であった。そして同時に、同支部の心臓部でもあった。


 デッキの先端に立つと、空に浮いているような錯覚に陥る。吹きざらしの風は容易に体温を奪い、人がそこに数時間と居座るのは並大抵の事では無い。実際、そこで働く人達の多くは、鳥の毛などがふんだんに詰め込まれた防寒具をまとい、半刻程を持って交代制で働いていた。彼らは、今や人の生活に欠かせなくなった、ドラグゥーン宅配便と言うシステムを維持するために、文字通り、身を削っていたのだ。


 そんなデッキの根本に、『私』はいた。今しがた、先方のドラグゥーンが荷物を背負い、飛び立っていった。その滑走路を真っ直ぐに駆け、落下したかと思えば、再び天空へと旋回していくさまは、いつ見ても美しく、迫力があった。


「あれと、これと」


 聞き慣れた声に振り返れば、防寒着に身を包んだ青年の姿があった。名はアーティスと言った。彼はこれから旅立つ荷物が、その道中で振り落とされない様にと、取り付け具合を注意深く確認していた。日頃から確認作業に手を抜かない彼だが、今日は一段と、と言った様子で、何度も何度も、その作業を繰り返していた。


「これだけやっておけば、大丈夫だろう」


 そう言いながら、その目は再度、その手順を追っているようだった。余程、心配なのだろう。


「なんたって、お前の晴れ舞台だ。運搬物資の落下なんて言う、下らん理由で台無しにする訳には行かないからな」


 やっと得心がいったのか、腕を突き出し親指を立てる。彼の精悍な顔つきが、ふわっと柔らかくなった。


『心配しすぎですよ、アーティス調教官』


 彼は、航空宅配便の肝たるドラグゥーンの調教担当官だった。彼との付き合いは長く、その性格もよく知っている。眉を細め、瞳の奥が潤っているのがわかる。


「テト」


 そんな優しい彼の手が、『私』の体を撫でる。彼の顔が、その黄色い羽毛に寄せられる。


「道中、何があるか分からない。今日の物資は日付指定の無い物だ。身の危険を感じたり、道がわからなくなったりしたら、気にせず帰ってくるんだぞ」


 そしてその手は、荷物を固定する金具に触れていた。長い空の旅、『私』と荷物を繋ぎ止める、ハーネスの締め具だった。


「この日を迎えられて、俺は嬉しい。何度も夢見たんだ。お前の黄色い翼が、この色味の無い空を、閃光のように切り裂いていく姿を。人を乗せていたら叶わない、音が届くよりも早い速度で、人の想いがこもった荷物を、誰よりも早く届けるんだ。そんなロマンチックな事が他にあるか」


 彼はどの個体にも優しかったが、取り分け『私』には優しかった。それはきっと、これからも変わらないのだろう。


『なんですか。まるで別れのような事を言い出して。私はちゃあんと、ここに戻ってきますよ。人を乗せない単独飛行の試験に受かるようにと、気合を入れて鍛えてくれたのは、他ならぬ、あなたじゃないですか』


 不安は無い。けれども、彼の不安は良くわかる。

 単独飛行に合格した個体のうち、とおにひとつは、最初の飛行から戻って来なかった。彼が育てた個体の中にも、未だ戻らず仕舞いがあったのだ。先日、別の個体が偶然にも死骸を発見したと言う例もあったが、亡骸となったその個体の調教官は彼だった。彼はそれを言わなかったし、私も聞かなかった。けれど、皆が知っている事だった。


 そして今日は、そんな『私』の単独飛行宅配の、初日だった。


『私は特別、方位感がいい。そう言ったのも、あなたでしたよ』


 その言葉がきっかけになったのかも知れない。彼は何かを振り切るように腕を伸ばして、体を引き上げた。それでも、依然として消えないその眉間の皺が、彼の悲痛を物語っていた。


「そうだったな」


『多少遠いのは事実ですが、必ず私は戻ってきます。なんたって、あのアーティス調教官が仕上げた個体なんですから』


「それは、慎重だと言いたいのか、肝が小さいと言いたいのか」


 彼に翼を小突かれ、私は鼻で小突き返した。これは彼と私が出会ったときから続く、挨拶だった。


「戻ったら、特上の肉を食わせてやる」


『そんな貯えがあったんですか』


「ばかやろう。いくら俺でも、そんくらいはな。だから楽しみに待っておけ」


 しばしの別れを惜しむ時間をくれるほど、ここカンテラ支部は暇では無かった。振り返れば、出発を控えた別の個体が調教官に引かれ、デッキに入ってこようとしていた。


『楽しみにしています』


 目線をデッキの彼方へ移した。滑走路には穏やかな雪が降り注ぎ、白と黒の境界線を侵食していた。風は無い。出発できない理由も、無い。


達者たっしゃで」


 彼が『私』の尻を叩き、後ずさりする。ドラグゥーンの出発に巻き込まれないようにする為の、カンテラ支部調教官の規則だった。後方、視界に入る彼は、その右手の指を伸ばして額に当てていた。それは、私の調教官としてではなく、一人の職員としての、見送りだった。


息災そくさいで』


 鋼鉄のレールを踏み鳴らし、一気に駆け出す。速度に乗った体は風を掴み、天空へと飛翔して行く。


『必ず、戻りますから』


 世界は見る見る高度を下げていき、映るのは、白一色の空だけになった。

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