第4話
彼女に促されるまま、小学校の前のバス停で降りる。支払いで少しもたついたので、慌ただしい下車になってしまった。
「……どうぞ」
「……どうも」
途中で預かったハンドバッグを渡す。
もたついたのは彼女の方だった。
「さて」
バス停の周りをぐるりと見渡す。
背後には小学校のフェンス。道路を挟んだ向かいにはコンビニと建設会社が並んでいて、後は家ばかりだ。
「住宅街? だね」
「うん。水希くんの家は、こっち」
彼女が先導で歩き出す。
照れ隠しなのかやや早足で、病み上がりの足ではついていくのが精一杯だった。元の体力がどれだけあったかは知らないけど、三日間寝込んで一週間入院生活したら誰だって鈍るだろう。そう言い訳したくなるくらい、目の前の彼女の早足は傍目に見ても遅くて、それにどうして追い付けない。
「はい。ここ、です」
「……っ、はぁ、っ、どうも」
「大丈夫?」
「任せて」
小学校のフェンスに沿って少し歩いてから、道路を渡って一軒家の間を抜けた先の三階建てのアパート。
そこがぼくの家らしい。
「……アパート、だね」
「うん」
一つの階層に部屋が三つほど入っていて、他の一軒家に比べると縦にも横にも大きい。が、流石に一部屋に家族五人で住めそうには見えなかった。
「……ぼく、一人暮らしなんだ?」
「えっ」
彼女が目を丸くする。
……初めて目が合った気がする、と思ったらすぐに逸らされてしまった。どうやら地面大好き説はガセだったようだ。
そりゃそうだよな、と納得は出来た。どう接していいのかはこっちだって掴みあぐねている。
「聞いてなかったの?」
「うん、まぁ」
訊かなかったからだろうな、と途方に暮れる。
今度いもうとに会ったら一問一答くらいのペースで質問攻めすべきかも知れない。彼女にそれをするのは少し、可哀想な気がするし。
視線の定まらない彼女に連れられるがまま、階段を登って二階に上がる。どうでもいいけど尻はいもうとの方が大きいかも知れない。いやホント、ホントにどうでもいいんだけどね、うん、一応ね。
「はい。ここ、だよ」
さっきと微妙に語調を変えて、彼女が同じように部屋を示す。
二階の一番奥がぼくの家らしい。他の二部屋には表札がかけられていたけど、ぼくの部屋のドアには何も無かった。
彼女はハンドバッグから鍵を取り出して、慣れた手つきで解錠する。鍵にピンクの猫を模したカバーが付いているのが見えたので多分、合鍵なのだろう。
ちなみにいもうとが持ってきてくれたぼくの服は全体的に緑が多かった。どれも総じてダセェとか思わなかったので、生前のぼくの趣味とは上手くやっていけそうな気がした。
「えっと……ど、どうぞ?」
「や、こいつはどうも」
促されるがまま、中に入る。
お邪魔します、と言うのは彼女の心情を考慮して控えてみた。代わりに、ただいまと言うのも忘れたが。
「……」「……」「…………」「…………」
部屋の中を検分、もとい見物している間、当然の如く会話は無かった。
ただ、ぼくが風呂や洋室を覗く度に彼女も後ろからそーっと覗き込んできているのが分かったので、興味・関心には花丸を付けてあげたいところだ。合鍵持ってるんじゃないのか、とも思ったけど案外、緊急用のものなのかも知れない。
ただ、これ以上は生前のぼくのプライバシーを侵害しかねないと判断して、早めに見物を切り上げた。彼にだって彼女に見られたくないものくらいあるだろう。
リビングに置かれた長方形のテーブルから椅子を引いて腰を落ち着ける。彼女もそっと尻を乗っけた。
「……地域の文化ってわけじゃないんだな」
「え?」
「いやこっちの話」
普通にテーブルの向かいの席に着いた彼女を見て安心半分、もう半分は、よく分からないなぁということにしておこう。
煩悩を降り切ってまとめると。
我が家は2LDKの角部屋だった。一人暮らしだからか、全体的に家具と飾り気は少ない。怪しい雰囲気もなく、掃除も行き届いている。
言ってしまえば、家主の性格を掴みにくい部屋だ。
それでも怪しい所はいくつかあったけど、それは彼女が帰ってから確かめよう。ちょっとした探偵気分である。
いもうとに借りた本の中に記憶が一日しか保てない探偵の話があった。それで仕事になるのかと読む前から訝しげではあったけど、なるほど、記憶喪失の人間というのは探偵に向いているかも知れない。なにせ、先入観が無いからな。
ごっこ遊びは後にするとして、今は目の前の問題に向き合うことにしよう。
さっきから、彼女がぴくりとも動かない。
……向き合って座って以来、テーブルの一点を見つめたまま肩を強張らせて固まっている。
生前のぼくならそこから何かを察することが出来たのかも知れないが、今のぼくには新種のだるまさんがころんだにしか見えなかった。
かといってこっちから話しかけるのも躊躇われる。ので、とりあえず待つ事にした。見つめるとも言う。
……胸の大きさに目が行きがちだけど、肩は小さいし腕は細い。テーブルに置かれた手は指先まで柔らかそうだ。筋肉あるのかこの生き物。いや無いワケはないのだけどついそう思ってしまいそうな雰囲気があった。
「……あの」
不躾にジロジロ見ていたのが上手く働いたのか、彼女がようやく口を開く。こちらは「うん?」などとすっとぼけた反応をしておいた。
「えっと……」
彼女が、言いにくそうに視線を泳がせる。今までとは少し毛色の違う様子に見えたので、機会を逃がさないようにと言葉を促す。
「なんでも言っていいよ。いやぼくの許可が要るようなことでもないけど」
「……」
促したつもりが黙らせてしまった。
彼女はまた、わずかに目を丸くしてぼくを見る。気に障った、という反応ではない、が、だったらなんだろう。表情のパターンが少なくて読み取りにくい。誰でもいいから小説の地の文章のように彼女の心情を子細に描写して説明してくれないものか。
彼女の真っ暗な瞳が白い目を泳いで回る。
右上に。と思えば、左下に。心理学の知識でもあればその視線の意味を汲み取ることが出来ただろうか。勉強しとけよ、と生前のぼくに責任を投げた。
「あのね」
恐る恐るの瞳と向かい合う。彼女ははっきりとぼくを見た。
彼女の肩は強張って、テーブルに隠れている手は多分、行儀よく膝に乗せられている。対面する気分はまるで面接官だ。
「言わなきゃいけないことが、あるの」
ああ、でも、それなら。
試されるのは、どちら側の人間なんだろう。
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