狡さはおとなの証。

11

「先方も気に入ってくれて、カタログの仕事も決まったし、良かったよ。本当、いつも藤本さんに無理ばっかり言ってごめんね」

「いえいえ、そんな……。こちらこそ、いつも助けていただいてばっかりで……」


 朝一から始まった長い打合せが無事終わり、私と山内さんはちょっと早いけれどお昼にしましょうと、近くのレストランでハンバーグライスを前に向かい合っていた。


「そんなことないよ。こっちこそいつも助けてもらってるから。今回だって、結局時間が無くて大変だったでしょう?」

「資料さえ早くいただけてたら、もっと余裕があったはずなんですけどね。でも、結局、金曜日の昼ですから……もっとも、いつもそんなもんなんで、もう慣れちゃってますけど」

「まあそうなんだよね。こういう仕事って、クライアントはどこでも本業の合間合間にやってるから、担当者もデータ集めるの大変だと思うよ。今回も吉本さん、結構苦労してたみたいだもんね。次のカタログのときは、余裕持ってできるといいんだけど……どうなるかな」


 はははと声を上げながら、ふたりとも乾いた笑いしか出てこない。それもそうだ。毎回毎回、作業そのものよりもお客様に翻弄されるのが、私たちの仕事のようなものなのだから。


 正直に言うと私は、食べるのが遅い所為もあるが、他人と食事をするのがあまり好きではない。飲みの席なら酒の力を借りられるのでまだいいが、こうやって向かい合い、食事をするのはかなり気を使うし苦手だ。


 ただ黙って黙々と食べるわけにもいかないので、口に食べ物を運ぶタイミング、会話をするタイミングを常に意識してしまう。それだけで緊張してしまい、どんなに美味しいものだったとしても味もろくにわからないし、なにより食べた気がしない。だから、ついつい、早く食べ終わって食事から解放されたいと、そればかり考えてしまう。今も、もちろんそうだ。


「そういえば、藤本さんって、お休みのときとかなにしてるの?」

「え? お休みのときですか? んー……特にこれといってなにもしてませんけど」

「なにか趣味とか無いの? まさか、仕事が趣味なんて言わないよねえ?」


 早々に食べ終わった山内さんは、涼しい顔で食後のコーヒーを飲みながら、私に訊いてくる。こっちは必死で目の前のハンバーグと格闘しているというのに。


「あはは、まさか。まあ、仕事は好きですけど、さすがにそれは無いですよ。趣味ですか……なんだろう? 山内さんは? いつもどうされてるんですか?」


 ハンバーグライスの残りは半分ほど。朝一の打ち合わせのためにコーヒー一杯で仕事場を飛び出した私は、ものすごくお腹が空いていて、まだ食べ足りてはいない。しかし、これ以上食べ続けていては座が白けるのが明白なので、さりげなくナイフとフォークを置いて、満腹を装うことに決めた。


「僕? 僕は、基本、家でゴロゴロかな?」

「あはは。私もそうですよ。家でゴロゴロ」

「でも……旅行が好きだから、たまに閃いてふらっと出かけることもあるよ。もっとも、休みが少ないから行けても近場なんだけどね」

「へぇ……旅行ですかー、いいですねー。私も好きですよ。でも、暇無くて全然行けてないです」

「そうだよね、忙しくさせちゃってるもんな。ごめんね」

「いやいやいや……そんな。山内さんの所為じゃないですから」

「そうだ。良かったら今度一緒に行かない?」

「え?」


 話の雲行きが怪しくなりそうで、彼の所為で仕事がきついわけではないと、必死で否定しつつ浮かべていた笑顔が、今の言葉に驚いて顔面に張り付いたまま引きつり、耳から入った言葉を理解するまでに時差が生まれた。


 もしかして、今、一緒に旅行しようと誘われた……のだろうか。


「ごめん。唐突だったかな? あ、そうか。彼氏……いるよね。それじゃあ、やっぱりまずいか」

「いえ、そんなんじゃ……」

「いないの? 彼氏」

「はあ、まあ、今のところ……」


 彼氏と言われて思い出すのは俊輔だ。彼氏のような彼氏ではないような。でも、いないと言ってしまったら、それはやはり、嘘……になるのだろうか。


「じゃあ、行こうよ。って……でもまあ、仕事が先だから、今すぐ旅行なんてできるわけないんだけどね。そのうち時間ができたらってことで」

「あ、はい」 


 そう。仕事が先だ。今仕掛かりのリーフが終わったら、次にはカタログが控えている。きっとそうこうしているうちに、旅行の話なんて立ち消えになるだろう。そう考えれば、適当に流しておくのが一番だ。


「だから……代わりと言っちゃなんだけど、近いうちに夕飯でも一緒にどう? いつも仕事で迷惑かけてばっかりだからさ、お詫びを兼ねてご馳走するよ」

「そんな……お詫びだなんて。こっちこそお世話になってばっかりなんですから、ご馳走させてください」

「決まりだね。いつがいいかな? 金曜の夜なんてどう?」


 山内さんは、早速、鞄からスケジュール帳を取り出し、パラパラと眺めながら私に予定を訊いてくる。


 やられた。彼のペースに乗せられうっかり口を滑らせた社交辞令が決定打に。いまさら断るわけにもいかない。


「今度の金曜なら、多分……大丈夫だと思います」

「じゃあ、そうしよう。良いお店探しとくよ。時間は、また連絡するね」

「はい。よろしくお願いします」

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