12
俊輔には強引にキスされた挙句、彼氏ヅラをされ始め、山内さんには旅行と食事に誘われ、実家は帰ってこい帰ってこいと今までになく執拗に言ってくる、と、プライベートが俄かに騒がしくなってきた。
誰にも見向きもされないのは、確かに孤独で寂しいのかも知れないが、され過ぎるのも困りものだと溜め息をつきつつ、久々に実家の門をくぐった。
玄関ドアを開けると、タタッと走ってくる可愛い茶トラのモフモフが。
「みーさん、ただいまぁー」
肩にかけたバッグを下ろし、さっと抱き上げると、すぐさまスリスリと顔を寄せてくる可愛い彼。そう、この子がいなければ、きっと私はとっくの昔にこの家を出て、仕事場に居を移していただろう。
「なにあんた? 猫にしかただいまも言わないわけ?」
廊下の向こうからひょいと顔を覗かせて、早速お小言をくれるのは、お調子者だが口うるさい母親だ。
「ただいま。お母さん」
「まったくあんたは家に寄り付きもしないんだから。仕事って言うけど、本当のところなにやってんだかわかったもんじゃない」
「お父さんと
「栞里は二階にいるわよ。お父さんはまだ会社。今日は遅くなるからご飯いらないって。すぐご飯にするわよ。あんた、部屋行くんだったら、ついでに栞里呼んできて」
「わかった」
みーさんを抱いたまま鞄を拾ってトントンと階段を駆け上がった。久々に戻った自分の部屋は、母がしてくれたのだろう、空気が淀んでいることもなく、スッキリと片付いている。
「掃除してくれるのはありがたいんだけど……プライバシーもなにもあったもんじゃないな」
みーさんを床に降ろしながらボソッと呟いていると、妹の栞里が部屋に入ってきた。
「おかえり。久しぶりだね」
「うん。ただいま」
「相変わらず、仕事忙しいの?」
「うん。まあ、かなりね。ねえ、お母さん今日なにかちょっと機嫌悪い?」
「ちょっとどころじゃないかも? 原因はそれよ。見ればわかるでしょ?」
栞里の指さす先、机の上に置かれた一通の封筒。手に取って裏を返すと、大学時代の友人から送られてきた結婚式の招待状。これから結婚するふたりの連名がある。なるほど母のご機嫌が悪いわけだ。
「へえ……冬美もついに結婚か……」
「人のこと感心してる場合じゃないんじゃない? まあ、しばらくの間、お母さんのお小言覚悟するのね」
「そんな……他人ごとみたいに」
この歳になると、近所の幼馴染も同級生もほとんど皆、結婚していて当たり前。独り者を数えた方が早いくらいだ。人の不幸は蜜の味とばかりにニヤニヤと面白そうに笑うこの妹にですら、すでに結婚を決めた相手がいる。母にとって今や私は、社会に取り残された行き遅れ以外の何ものでもない。
「仕方ないじゃない? ここらで取り残されてるのって、おねーちゃんだけなんだから。ま、頑張るのね」
::
くるっと背を向ける妹にご飯だってと呼びかけ、久しぶりに会うみーさんと戯れながら部屋着に着替えた。階下へ降りて行くと、食卓はすでに整えられ、父不在でも手を抜くことのない母の手料理が並んでいる。
「わー、美味しそう。お母さんのご飯、久しぶり」
「手は洗ったの?」
「あー、洗った洗った」
ちゃんとした家庭料理を口にするのは久しぶりだ。食卓に着くや否や早速箸を持ち、手料理に舌鼓を打つ。そして、せめて食事の間くらいは難を免れようと、満面の笑みを振りまき、言葉の限りを尽くし料理を褒め称えた。
「あーやっぱりいいなあ。お母さんの料理が一番だよー。外でこんなに美味しいご飯、食べられないもん」
「まったくあんたは! もう三十になるのにいつまでも落ち着かないんだから」
来た。人の話なんて聞いてやしない。やはりなんの効果もなしか。
「まだなってないよ」
「二十九も三十も似たようなもんでしょう? まったくいつまでもひとりでわけのわからない仕事して。いい加減少しは考えたら? あんたと同い年の子たちはもうみんな結婚してるのよ? それにひきかえあんたときたら、彼氏のひとりも捕まえられないで、いったいなにやってるんだか? 栞里だってもう婚約してるのに、あんたがそんなじゃみっともなくて、向こうのご両親に顔向けできないわ」
「彼氏ならいるけど?」
「またあんたはそんな見え透いた嘘ついて!」
「嘘じゃないよ。本当だもん。お母さんは自分が産んだ娘が信用できないの?」
「信用できるくらいだったら見合いなんて勧めるわけないでしょう?」
「…………」
「そういう話は後ですれば? せっかくのご飯が不味くなるじゃない」
「あんたは黙ってなさい」
栞里の冷めた言葉にもピシャリと一言。こうなったら母の口はもう誰にも止められない。これ以上ヒートアップさせない唯一の方法は、大人しくお説教に頷くのみ。下手な反論は、火に油を注ぐだけだ。
母はひとりで喋り続けている。妹は素知らぬ顔、私は真面目に聞いているふりをしながら時折頷き、黙々と箸を動かした。
食事が終わり、三人で食器を運び洗い物を済ませ食後のお茶を入れるまでの間だけは小休止。この隙に逃げ出そうと機会を伺っていたが、妹に先を越されてしまい、私は諦めて母にお茶を淹れた。
母が喋り疲れ、長いお説教から漸く解放された頃にはすでに、精魂尽き果てていた。言いたい放題して満足したのだろう。母は機嫌良く軽い足取りでお風呂入ってくるわねと、居間から出て行った。
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