02

「あの子、まさかおまえにコーヒーぶっかけるとは思わなかったな」


 枝豆を口に放り込みながら、俊輔はクックッと思い出し笑いをしている。


「なによ? 他人事みたいに。誰の所為だと思ってるの?」

「悪い悪い。俺の所為だって。わかってるよ。わかってるけど、思い出すとおかしくて……」

「あんたも経験してみる? ビール頭からかけてあげようか?」


 ギロッと睨むと、途端に笑いを引っ込めてシュンと萎縮する。変わり身の早い奴だ。こんな奴となぜ九年も友だちやっているのか自分でも不思議だが、こいつとの付き合いを気楽で楽しいと思っていることも確かだ。


「俺だってさ、別に彼女が欲しいわけでもないんだし、本当はこんなことしたくないわけよ。でも、外野が煩いだろ? だから、やっぱり女のひとりもいなきゃいけねえのかな? とか、思うときがあるんだよね。それで……ついね」

「で、つい・・つまみ食いするわけ?」

「それ反省したから、もう言うなって」

「どうだか! まったく。外野がどうとかって言うくらいなら、ちゃんとすればいいだけじゃない?」

「ちゃんとってなんだよ?」

「だから、ちゃんと彼女作るとか、ちゃんと結婚するとか……」

「冗談! 俺はそんな気、さらさら無い・・もんね。恋愛はまだいいよ? 女はいないよりいる方がいいし。でも、結婚なんてごめんだわ。一生独身で結構。自分の生活スタイル大事にして何が悪いの? おまえだってそうだろ? だから、もう三十路目前だっていうのに、独り身通してんじゃねえの?」

「酷い。私が三十路ならあんたも三十路でしょ?」

「違うよ。おまえ、もうじき誕生日だろ? 俺はまだ先」


 本当にいっぺん絞め殺してこの減らず口を塞げたら、どんなに小気味好いかと思う。枝豆を握り潰す勢いで鞘から口へ放り込みながら、頭の中で俊輔の首を何度もシメた。



「この間さ、お母さんが、見合い話持ってきた」

「へー、おまえ、見合いすんの?」

「するわけないでしょ! だから、家に帰れない」

「なんだよ? 帰ってねえの? 仕事口実に逃げてんのか?」

「うん。家に帰ったら最後、どんなに断ったって見合いさせられちゃうもん」

「やっぱ、どこも同じなんだな。俺ん家もうるせえぞ? うちの周りの同年代の奴ら、ほとんどみんな結婚してるし、子供いる奴までいるだろ? おまえはいつになったら孫の顔を見せてくれるんだこの親不孝者ってかーちゃんに泣かれる。可愛い孫ならひとりいるんだから、もういいって思わないのかね?」

「そりゃ、泣かれても不思議じゃないよ。つまみ食いしかしてないあんたは、たしかに立派な親不孝者だもん」

「おい!」

「だって、本当のことじゃない?」

「くっ…………」

「あははっ! 反論できないでしょ?」


 せめてこのくらい言わせてもらわなければ。これでもまだ言われる方が多くて半分も返してない気がするが、少しでもこの減らず口を言い負かすのは気持ちがいい。


「まあ、なんでもいいけどさ。ホント、面倒臭いよな」

「そうだねえ……」



 面倒臭い。大人になるとは、そういうことだ。


 子供の頃は、とにかく大人の助言を聞き、勉強して、遊んでいればよかった。将来どんな仕事をしたいとか、どんな人と結婚したいとか、先のことなんて考えているようで、実際には何も考えていないのと同じだったと、この歳になってはじめて思う。


 三十歳目前となって、今、立ちはだかるのは現実の壁。


 父や母、親戚、果ては取引先の社長にまで、宥め賺しときには脅しのように、将来を考えろ、いつまでも仕事だけして独身を謳歌しているわけにはいかないのだぞと諭される。


 このままではなぜ駄目なのか。それを問うても幸せとはそういうもの、老後はどうするのだと、一般論しか返ってこない。人生の選択は、個人の自由では済まされないのだろうか。


 結婚なんて現実の問題として考えたいと思ってもいない私が、自分の信念を曲げてまで、周囲の人たちの希望に合わせ、家庭を持たなければならないのか。それが、私の幸せなのか。それが、大人として社会人としての責任を果たすことなのだろうか。



「俺……、良いこと思いついちゃった」

「なによ? どうせ変なことでしょ?」

「へへ……」

「ちょっとなに? あっち戻りなさいよ! 気持ち悪い」


 俊輔は、突然立ち上がり、何杯目かのビールジョッキを持ったまま、隣に座り込んできた。テーブルに肘をつき、ニヤニヤしながら私の顔を上目がちにじーっと覗き込んでいる。


「なあ波瑠、いっそのこと、俺たち付き合っちゃわない?」

「はあ?」

「だからさ、俺たちが付き合えば、面倒臭いこと全部解決するんじゃね? って言ってんの」

「なんで?」

「わっかんないかなあ? いい? 俺たちが付き合えば、もう誰にも彼女作れだの結婚しろだのって煩く言われなくて済むんだよ? 気楽な生活に戻れるだろ?」

「それって……いつもみたいに恋人を偽装するってこと?」

「偽装じゃなくて、本当に恋人になるんだよ、って、そもそも、俺たち恋人だったよな」

「…………」

「これは……妙案だよ。だってさ、よくよく考えてみなよ? 俺たちってお互いを知り尽くしてるから気楽だし、変に束縛し合うことも無いだろ? 最悪、そのまま結婚するとしても、誰に反対されることも無いし、堂々とずっと今の生活を続けられるわけ。それに、お互いの条件だって、ぴったりだ。お前はそれなりに良い女だし、稼いでるから生活の心配も無いし、俺は、顔は良いし、優しいし、スペック高いし最高じゃない? どうよ? これ以上ない魅力的な提案だと思うんだけどな」

「意味わかんない。どうよくよく考えるとそういう話になるわけ? だいたいねえ、人のことそれなり・・・・ってすっごく失礼だし、あんた、自己評価高過ぎ! それにね、なにその『最悪』結婚って! あんたなんかと結婚したら、それこそ『最悪』じゃない!」

「最悪最悪言うなよ……」

「そりゃあ、私だって結婚に夢なんか持ってないし、結婚する気なんてさらさら無いけど、万が一、本当に結婚することがあるんなら、そのときはやっぱりちゃんと本気の恋愛した結果として、本当に好きな人としたいわけ。だから、あんたみたいに軽いノリで結婚なんてできない!」

「だったら、ちゃんと本気の恋愛すればいいだろ? 俺と」

「はっ……いまさら……」

「じゃあ訊くけど、俺たちって、別れたっけ?」

「意味わかんないんですけど?」

「だ、か、らー、俺たち、別れたっけ? って訊いたの」

「はあ? いったいいつの話し?」

「小五のとき」


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