わたしたち、いまさら恋ができますか?

いつきさと

わたしたち、いまさら恋はできません。

01

「馬鹿にするのもいい加減にしてよ!」


 彼女は突然立ち上がり、私の頭からコーヒーを浴びせかけ、席を蹴って店を出て行った。咄嗟のことで避ける余裕すらなく、前髪からは茶色い雫がポタポタと滴って、すっかりコーヒー色になったワンピースの残りの白い部分を染めていく。


波瑠はる? 大丈夫? 火傷しなかった?」


 幸い少し冷めていたから良かったが、これが熱々だったら大火傷をするところだった。


 惨めだ。なんで私がこんな思いをさせられなければならないのだ。


 顔中コーヒーに塗れ、ベタベタして気持ちが悪い。コーヒーとミルクのフレーバーと砂糖の甘さが、鼻腔に広がる。最初から飲む気が無いんだったら、ミルクと砂糖まで入れなければいいのに。コーヒーだけならまだしもミルク入りでは、この染みは落ちないかも知れない。


 隣では俊輔しゅんすけが狼狽ながら、ナフキンで私の髪と顔を拭いている。


 そんな薄っぺらい紙ナフキン一枚で、グランデカップにいっぱい入ったコーヒーが拭き取れるわけがないだろう。私は、怒りで唇をわなわなと震わせ、軽蔑の眼差しで彼を一瞥した。


「ワンピース、ちゃんと弁償してくれるんだよね?」

「するよ、ちゃんとする。でも、これ、俺が買ってやったやつじゃなかったっけ?」

「あんたねぇ……?」


 一瞬へらっと笑った俊輔を、調子に乗るなとばかりにグッと睨みつけると、途端に怯えた顔になった。


「ごめんごめん。ちゃんと弁償するし」

「シミ抜き高いから覚悟して。着替えも」

「わかってるって」

「それと、夕飯。食べ放題飲み放題」

「なんでも言うとおりにするから。ほんと、ごめんって」


 騒ぎを聞きつけた店員が、タオルを持ってきてくれたので、私は、お騒がせしてすみませんと、引き攣った笑顔でタオルを受け取り、べたつく顔と髪を拭いた。



 私がどうしてこんな酷い目に遭っているのか。それはすべてこの男、浅野俊輔あさのしゅんすけの所為だ。

 

 一般的に、見た目が良い上に、愛想が良く口も上手いというのは、女にモテる重要な要素。浅野俊輔は、それらをすべて兼ね備えている。その上、スペックも高いときては、女にとって魅力的に映るのは当然のことだろう。


 俊輔自身は、恋愛にはどうやら淡白で、来る者は拒まず去るものは追わず。私の知っている限りでは、本気の恋愛に発展させる気もなく、適当につまみ食いを楽しんでいるだけのように見える。今日の彼女も推して知るべしだ。


 しかし、相手の女にとってはせっかく手に入れかけたハイスペック男子。そう易々と手放すわけがない。そこで、トラブルを避けできるだけ穏便に諦めさせるために、このモテ男の飲み友だち、私の出番となるわけだ。


 元はと言えば、大学のときに偶然再会した俊輔が私の彼氏に成りすまし、しつこく言い寄ってくる男を撃退してくれたのが始まりだった。あれからもう九年、持ちつ持たれつ、面倒な相手を撃退し合う飲み友だちの関係が続いている。


::


「いくらなんでもこれは無いんじゃないの?」

「そう言うなよ。俺、金欠なんだからさ」


 半個室の居酒屋の座布団にどっかりと胡座をかいた私は、純白のブランドワンピースから、五百円のセールTシャツに千九百八十円のカーディガン、同じく千九百八十円のストレッチジーンズと、ファストファッションに着替えさせられ、当然の如く仏頂面。


「現金無いなら、カード使えばいいじゃない?」

「ごめん。そっちもいっぱい。許してよ、今度また埋め合わせするからさ。ね?」

「居酒屋だし……」

「食べ放題飲み放題はフツー居酒屋」

「ふーん。後で足りないから貸してって言っても、絶対貸さないからね」

「わかってるよ……」


 とは言うものの、どうせ足りなければ自分が払うのだ。私はとりあえずのビールジョッキを片手に、メニューから一番高価で美味しそうなツマミだけを選んで、店員に注文した。


「で、今日の彼女、何人目だっけ?」

「さあ? 三人目?」

「適当に言うな!」

「だって、そんなん覚えてねえもん」

「で、つまんだの?」

「……だ」

「ったく! その気が無いならつまみ食いなんかしなきゃいいじゃない。あんたがいい加減なことする度に振り回されるこっちの身にもなってよね!? なんでいつもいつも私が尻拭いに付き合わされなきゃなんないのよ」

「一度だけでいいからって泣かれたらさぁ。だって、ほら、据え膳食わぬは……って言うだろ? 男の性ってやつ?」

「泣けば誰とでもやるわけ?」

「そんなわけ……俺にだって好みはあるって。ねえ、もう勘弁してくれよ、頼むから。そうだ、俺だってお前に付き合ってやってんだろ? 前回なんか、俺、危うく殴り飛ばされるところだったんだぞ?」

「それいつの話よ?」

「……さあ?」

「ここ三年、私は何も無いからね」

「え? おまえ、そんなに長いこと男日照りなのかよ?」

「ほっといて!」


 まったく、話をしているだけでムカついてくる。このチャラ男はいつもこうだ。ああでもないこうでもないと、いい加減なことばかり言う。今、ここで、こいつをぶん殴れたら、どれだけ気分がスッキリすることか。


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