第2話 もてなし上手の古川さん
一年分の気持ちが込もっていた。
古川楓は感情をたっぷり込めて、僕にこう告げたのだ。
「ばぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っかじゃないの?」
返す言葉もなかった。
「だから私はやめとけって言ったじゃない。あんなに! 何度も!」
「はい、おっしゃる通りです……」
僕は深いため息をついた。
彼女が貸してくれた濡れタオルで、僕は泥まみれの顔を拭いた。
クソアニメに発狂して襲いかかって来た老人達。彼らの追撃は、後期高齢者とは思えぬ恐ろしいものであった。
「元気なジジババだとは思ってたけど、まさかあれ程の力を秘めているとは……」
普段は『そろそろお迎えが……』とか言ってるくせに……お迎えどころか、完全に僕を送り出す勢いだった………。
山中の闇を掻き分け、猛然と迫り来る赤い篝火の群れ。茂みの中から老人達が現れ、奇声とともに斧を振るってくる。あれは悪夢であった。
彼らの斧を避け、大鎌をかわし、時折飛んでくる銃弾を泥まみれの匍匐前進で潜り抜け……そして僕が転がり込んだ先は、幼馴染である古川楓の部屋であった。一度は自宅に戻ろうともしたのだが、すでに追っ手が家を取り囲んでいたのだ。
「でも、とにかく助かったよ。ありがとう」
「ふんっ。もう……急に窓を叩かれたから、何かと思ったわよ」
彼女は嫌そうにそっぽを向いた。
「こんな遅くに何しに来たのかと思ったら、案の定バカな理由だし」
楓はひどく不機嫌そうに言った。まあこんな夜中に叩き起こされたのだから、怒るのも無理もあるまい。
「ごめん。ここしか匿ってくれそうな場所の心当たりがなくて」
「し、知らないわよ、そんなことっ」
そう言いながらも部屋に上げてくれるんだから、つまりこの古川楓という幼馴染はとても良いヤツなのである。結局、タオルを貸してくれた上、ミネラルウォーターまでくれたし。必死で逃げ回って汗をかいた僕には、救いの一本だった。
「あー、バカバカしい、バカバカしい」
そんな事を言いながら、彼女は先程からしきりに自分の髪を撫で付けていた。寝ているところを起こされたので、寝癖がないか気になるのかもしれない。
ちなみに楓の髪は、少し茶色味を帯びたセミショートである。顔も割と美人だ。
……いや……いやいや。
ここは日々の感謝も込めて、前後一行空ける勢いでこう断言しておこう。
古川楓さんは目がぱっちりした、すごい美人です。
彼女は事あるごとに僕を馬鹿にするけれど、実のところ僕は彼女のことを嫌いじゃない。繰り返しになるが、彼女はとってもとっても良いヤツなのである。
彼女がいつ村を出るつもりかは知らないが、都会に出たらそのクールな人柄も含めて結構モテるんじゃないだろうか。それで、どこかの若社長にでも見初められたりして。
少なくとも彼女のような子には、そんな愉快な未来が待ってて欲しいものだ。
そんな事を考えていると、楓はうろんげに眉をひそめた。
「……何よ、人のことじろじろ見ないでよ」
「いつ若社長に見初められても良いように、パジャマの趣味は直すべきかなって」
「はあ? 若社長? 何言ってんの?」
そんな彼女がお召しになっていたのは、ピンク色のうさぎとひよこがコミカルに描かれた可愛らしい一品だった。普段はカッコいい言動が目立つ割に、意外とパジャマはファンシー趣味だ。イメージが崩れる。
「うっさいわね……というか寝間着なんて本来は人に見せるもんじゃないんだから、どうだっていいじゃない」
「ごもっとも」
これは夜分に勝手に訪ねた僕が悪い。
「で……どーすんのよ、この後」
「どうしたもんかね。そろそろじい様達が諦めてくれてたら良いんだけど」
「どうかしら……?」
そう言ってカーテンの隙間から覗いた楓は、顔をひきつらせた。
「うっわ……」
どうやら外には、まだ狂える老人達が走り回っているようだった。
「というか、え、なんでこんな人数……しかもなんでみんな松明持ってるの? 要るのそれ? なんで懐中電灯使わないの?」
「さあ? たぶんノリと雰囲気の問題かな」
「あー、納得。うちのジイさんバアさん達、結構ノリが良いからね……」
「うん……だからこそイケると思ったんだけどな」
僕は例のクソアニメを思い出し、再び大きなため息をついた。
宮城県、清水上(しずかみ)村。
東北地方の片隅にある、なんの取り柄もない山村である。
人口はたったの五百人。しかもその七十パーセント以上が高齢者という、滅びゆく限界集落である。
当然にして子供も少なく、高校生も村には僕とこの古川楓しかいない。僕を馬鹿にしながら、なんだかんだで彼女が僕とつるんでくれる理由はそれである。
そんな行く末の不安な村ではあるのだが、しかしその雰囲気はけっして悪くない。たぶん歳の割には元気老人達と、彼らの新し物好きの気質の賜物ではないかと僕は思っている。
「いわゆる偏屈な田舎じゃないんだよね……世の中には新入居者を村八分にするような、閉鎖的な村もあるらしいけど……」
「清水上(しずかみ)村は全然そんな感じじゃないわよね、むしろ新しいもの程ウェルカムというか」
彼女も同意する。実際に古川の家は、つい十数年前に来た新入居組である。しかし彼女の家が村内で軽い扱いを受けているのは見たことがない。むしろ偉い歴史学者さんの家として、ある種の尊敬すら集めている。
「それ以外にも、新しい物や文化入って来るのにアレルギーがないし」
新しいモノでも新しい人でも、楽しければ良し。
この村にはどこかそんな懐の深さがある。
「もともとは異郷の人は出入りする宿場町だったことが、今の気質にも関係してるのかもね」
楓が歴史学者の娘らしい台詞を口にした。
彼女が言う通り、この清水上村はかつて『石宮宿』と呼ばれる大規模宿場町だったのである。参勤交代のほか江戸に往来する旅人達が出入りし、とても栄えていたとか。
「そうなんだよ。だからきっかけさえあれば、また盛える気質の村なんだ……今は運が悪いだけと言うか……」
きっかけは高速道路であった。
戦後に開通した高速道路によって、この村は滅び始めたのだ。
この村の横を幹線道路が通ることになった時、当初村人達は大喜びしたという。そんな太い道路が通れば、村もさらに発展すると思ったのだろう。その上道路開通のために土地が買い上げられ、とんでもない額の現金が村人達の懐へと転がり込んだ。この資金があれば、村はもっと発展するに違いないと彼らは思っただろう。
だが現実は違っていた。
主要幹線道路が通ったことで、清水上村は『素通りされる』場所になってしまった。かつては交通の便が悪かったからこそ、宿場町が必要があったのだ。だがそのまま車で都心に出れるなら、誰も途中で降りて宿泊しようなどとしない。
道路開通以来、村は廃れた。
来訪者は途絶え、逆に若者達はその高速道路で都心へ出て行った。
減りゆく人口に焦りは覚えつつも、だが手元には莫大な現金がある。僅かな収入があれば食うに困らない環境が、村人達の行動を鈍くした。
気づけばもはや取り返しのつかないほどにまで、村は高齢化してしまっていた。
「自業自得と言えばそれまでなんだけどさ……でもね……」
「そうなのよね……」
実のところ自分のことだけを考えれば、都心の大学を受験してさっさと村を出てしまうのが正解だろう。でも歳の割に明るくて、ノリが良くて、楽しい事とお祭り事が好きな村のジジババ達。あの愉快な人達がオメオメと老いぼれて村が滅んでしまうのは、なんだか切ないのだ。
「だから……渡りに舟だと思ったんだけどなぁ」
そんな限界集落に降って湧いた話が、アニメであった。
一年あまり前、突如としてアニメ制作会社が村を訪ねて来たのだ。毎シーズン深夜アニメを供給している、そこそこ名の売れたアニメスタジオだった。
そして彼らは言ったのだ。
この村を取材して、アニメを制作したいと。
当初村人達は、良く理解していなかった。それが凄まじいビジネスチャンスだということに。
だから彼らはどうぞどうぞとばかりに取材の許可だけ出し、漫然とそれを見送ろうとしていた。
だがそこに、一人の男がしゃしゃり出たのである。
残念ながら僕であった。
「ばーか」
見下げ果てた目をして、楓が言う。
「ノリが良いうちの村にぴったりだと思ったんだけどなぁ」
「ノリが良すぎるのよ、うちのジイさんバアさんは」
結果的には、彼女の言う通りであった。
「だから言ったのよ、あんまり無責任に煽らない方が良いって。うちの村、本当にノセられやすくて熱中しやすい気質なんだから」
おかげさまで、今夜の大惨事である。
公民館にいたのはせいぜい数十人だったはずなのに、狂気はさらに伝染しているらしい。窓から見る限り、もはや百人近い松明が動き回っているようであった。
「これは……当分出られそうにないなぁ……」
そうため息をつく僕に、楓は実に興味なさそうにそっぽを向いて言った。
「ふーん……あっそぉ……」
「いや申し訳ない」
手ぐしで髪をすきながら、彼女は興味なさげな口調で言う。
「まあ、居ても別に構わないけどさ……ただこの部屋……」
彼女はとてもとても平坦な口調で言った。
「……布団、一組しかないんだけど……」
「ん……?」
言われた僕は、逆に首傾げた。
「いやいや、楓さん。さすがの僕もそこまで贅沢は言わないよ」
まったく……一体彼女は僕をなんだと思っているのだろうか。
「僕が夜分ご迷惑にもお訪ねした上で、楓さまの布団にまでお邪魔するクズだと思うかい」
「そ、そりゃそうよね……いくらアンタでもそこまで無神経じゃないわよね」
「だいたい僕が楓と一緒の布団で昼寝してたのなんて、十年ぐらい前の話だよ。もうさすがにお互い高校生なんだからさ、一緒に寝たら、さすがにね」
「そうよね……もう大人だもんね……」
チラリとベッドの上に目をやった彼女は、目を細めてそう小声で呟く。
無論それに僕も同意した。
「うん。狭いよね」
「……は?」
ゴミを見る目で見られた。
今シーズンで一番の蔑視であった。
なぜだろう。今の会話の中に、そこまで馬鹿にされる要素はないはずだ。
「アンタ、本当に馬鹿なんじゃないの……」
いや、どうもあるらしい。
何が悪かったか問い返そうとした瞬間だった。
ピンポーーン。
古川家に、チャイムの音が響いた。
こんな深夜に、である。
僕と楓は、緊張で身を強張らせた。
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