第150話 エピローグ
日差しが暖かくなって、外で風に吹かれるのが心地よい。
「えいっ!やっ」
フレデリック様のかけ声が聞こえる。芝生で覆われた広い庭でシエンヌを相手に劍の稽古をしている。ジン家の中でシエンヌの劍が一番正統的だからと、アリサベル様もレフ様も子供たちがシエンヌと稽古することを勧めている。カンカンカンカンと木劍で打ち合う音がする。フレデリック様の劍筋は8歳にしては鋭いがシエンヌは易々と捌いている。シエンヌの腕はアリサベル師団に交ざっても上位にランクされる。魔纏をすれば敵うのはレフ様くらいだ。二人の側でうずうずしながらアンソニー――私の子だ――が自分の順番を待っている。
私は押してきたワゴンのトレーからティーカップを取り上げて、コーディウス様、ドミティア様、アリサベル様それにレフ様の前に置いた。ティーポットから茶を注ぐ。いい香りが立ち上った。ドミティア様の横にちょこんと行儀よく座っているルキウス様の前には冷たくした果物の絞り汁を置いた。一緒に別のワゴンを押してきたアニエスが4人の前に大皿に乗せた菓子をおいた。甘みを抑えた菓子が多いのはレフ様、コーディウス様が甘い菓子をあまり好まれないからだ。ルキウス様のためにはもう少し甘い菓子を別皿で置く。
「ありがとうございます。ジェシカ様、アニエス様」
レフ様とコーディウス様はわずかにうなずいただけだが、ドミティア様にはわざわざ口に出してお礼を言われた。
ここベルシュタットはジン家の
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ジェシカと一緒に小高くなった
ドミティア殿下は気さくな方だが、外見にだまされてはいけない。前の戦争中にはディアステネス上将と一緒に王国内を転戦しておられたし、魔法士としても上級魔法士長並みの実力を持っていらっしゃる。ジェシカの話では昔から魔力が多く、魔力の扱いにも長けているとのことだ。
「お母さま」
とことことエフィーヌが近づいてきた。私はエフィーヌを抱き上げた。
「お方様」
リザリアを抱いた乳母も待っていた。リザリアがあたしの方に手を伸ばしてくる。二人ともかわいい。レフ様がいて、エフィーヌ、リザリアがいる。アリサベル様、シエンヌ、ジェシカともうまくやっている。これ以上望むのは贅沢だろう。
「アナベルさまが一緒に遊ぼうって、レフ父さまとアリサベルさまはお客さまの相手で手が離せないから。新しいお人形を見せてくれるって。本棟のほうへ行っていい?」
「いいわよ。今日はレフ様、アリサベル様はお客様と一緒に夕食をとられるから、アナベル様も一緒に食べましょう。そうお誘いして」
「分かったわ。行ってきます」
うれしそうに本棟の方へ歩いて行く。乳母に抱かれたリザリアが泣き始めた。この泣き方はおなかがすいているのだ。目で合図すると乳母がリザリアを渡してきた。私が側に居るときはできるだけ自分でお乳をあげることにしている。私の乳房に吸い付いているうちに寝てしまったリザリアをもう一度乳母に返しながら、今夜のメニューをどうしようか考え始めた。
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フレデリック様に続いてアンソニーにも劍の稽古をつけているとルセルミアを抱いている侍女から、ルセルミアがぐずり始めたと合図があった。
「ごめんなさい、アンソニー。ルセルミアの授乳時間みたい」
アンソニーに断りを入れて、侍女が作ってくれた幕の中で上半身の汗を拭いてルセルミアを抱いた。まだ10ヶ月だ。授乳していると体中が幸福感に満たされる。他の三人には次々と子が生まれるのに私はなかなか子に恵まれなかった。半分諦めかけたときに授かった子だ。父様と母様は有頂天になって、母様など私の世話をするという口実で、ルセルミアが生まれるまでほとんどベルシュタットに入り浸っていた。考えてみればレフ様の妻の中で母親が生きているのは私だけなのだ。ジェシカがちょっと羨ましそうな顔をしていた。
ルセルミアは聡い子だ。親の欲目だけではなく、レフ様が近づいてくると、姿が見える前に分かるようだ。ぐずっていても笑顔になるし、すぐ側まで来るとレフ様に手を伸ばす。レフ様が手を握ると握られた手を振る。こんなことをするのは今のところレフ様に対してだけだ。
「この子が一番潜在的な魔力が大きいな」
レフ様がそう言ってくれた。
授乳を終えて服を整えてフレデリック様たちの所へ戻ると一人増えていた。ルキウス様だ。四阿の方を見るとドミティア様が軽く頷かれた。
「ルキウス様も混ざりますか?」
「はい、お願いします。シエンヌ様」
ルキウス様は大きい。フェリケリウス一門の男性は大きい人が多いと聞いたが、6歳なのに8歳のフレデリック様と同じくらいの体格がある。力もあるようで踏み込みも鋭い。打ち合っているとどことなくレフ様を思わせる。特に体捌きなどそうだ。バステア家ではセルモアの一族から武技指南役を雇ったという。レフ様の小さい頃の武技指南役だったデクティスもセルモアの出身だ。彼と闘ったときレフ様はもう少しで、というところまで追い込まれたのだった。
ジン家も武技指南役を雇うべきかもしれない。今は私がなんとなくそういう所にいるがやはり専任の人間が必要だろう。子供たちだけでなく、家臣たちも鍛えなければならない。大規模な戦がまたすぐに起きる可能性は低いが個人的な武勇を求められることはある。特にジン家は新興であるだけ他家に見劣りしてはならない。ジン家はレフ様の魔法だけと思われてはやはり悔しい。
「参りました」
ルキウス様の攻撃をすべて打ち返していたらスタミナ切れを起こされたようだ。汗だくになって膝に手をついている。ルキウス様に付いてきた侍女が私に礼をして、
「ルキウス様、汗を拭いてお着替えをしましょう」
バステア家の宿舎になっている迎賓館の方へ連れて行った。
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「母様、私もフレデリック卿に混ざってもいいですか?」
「シエンヌ様に鍛えてもらいたいの?」
「はい、見ているとうずうずします」
「いいだろう。いって頼んでみるがいい。よろしいですかな、レフ殿?」
「どうぞ」
コーディウス様、ドミティア様、そのうえレフの許可を得て、ルキウス様はフレデリックたちがシエンヌに稽古をつけてもらっている所めがけて、ほとんど駆け足で向かった。あわててルキウス様付きの侍女が後を追っていった。見ていると、授乳を済ませたらしいシエンヌに挨拶してすぐに稽古を始めた。ルキウス様の年齢を考えると本当に鋭いがシエンヌは難なく捌いている。
「まだまだですな」
コーディウス様が言うのに、
「いや、年齢を考えるとなかなかのものです。セルモアの者が指南役に付いたと聞きますからもっともっと強くなられますよ」
「レフ殿にそう言ってもらえると心強いですな」
レフとコーディウス卿がシエンヌと子供たちの訓練を見ながら話しているが、ドミティア様が私の方に視線を向けた。多分これから話すことがわざわざベルシュタットまでバステア家当主一家が来た目的だ。
「アリサベル様」
「はい」
「副王の位を返上されると噂がありますが……」
戦争が終わって10年余、王国と帝国は互いに目と耳を置くことを黙認している。情報を完全に遮断することは疑心暗鬼を生み、かえって国家安全に寄与しないと判定されたのだ。どんな目と耳を置いたのか明らかにはされてないが、以前のように宰相府事務次長というような高位の者には居ないことは確かめてある。クリティカルな情報に接する資格を持つ者でなければ放置してある。帝国に知られてもよいと判定された情報は目と耳を通して流す訳だ。王国も帝国に対して同じことをしていることは当然だろう。この噂にしても王宮内にある程度のコネを持たなければまだ知られていない情報のはずだ。
「はい、その通りですわ」
「なぜ、ですか?」
私とドミティア様が話していることに気づいてコーディウス様が話しに加わってきた。私はレフの方を見た。レフはわずかに頷いただけだ。副王にまつわることは私が表に出るのがいつもだった。
「ジルベール王にお子が生まれたことはご存じですね」
ドミティア様が頷いた。まだ1歳のお披露目前だから大々的に発表しているわけではないが秘密というわけではない。
「もうすぐ1歳の誕生日を迎えられ、その日にお披露目がされる予定です」
乳幼児の死亡率は高い。だから王家や高位貴族家ではある程度安定する1歳になるのを待ってお披露目をするのが通例だった。お披露目と同時に王太子になる。魔力を見極めてから皇太子を決める帝国と違うところだ。
「アルフレッド王太子とアリサベル副王。当人同士はなんとも思わなくても端から見ると権力争いをしても不思議ではない間柄です。それをあおる者たちもいます。前の戦を終えるときにかなり清掃したつもりだったのですが残念ながら完全に綺麗にしたとはいえないのです。ジルベール陛下も王として滞りなく務められるようになりましたし、そろそろ副王は退場してもいいかと思ったのですわ」
下手をすると王家とジン家の力関係が逆転してしまう。再建された国軍の中で最有力とされているのがアリサベル師団(増強師団で12個大隊編成になっている)で、シュワービス峠の担当になっており、レクドラムを領都とするジン家とはごく親しいと見られていた。何より名前がアリサベル師団のままだった。領都レクドラムは帝国との通商が再開された後、交易の要衝としてアンジエームに匹敵する経済の拠点となっていた。
その上王国の魔法の中心はレフだった。王国魔法院はアンジエームにおいてあるが、魔法院で才能のある魔法使いはレクドラムに送られてレフの薫陶を受けるのが普通だった。魔法院で重きをなす魔法使いはほぼ全員レフの弟子と言ってよかった。武力、経済力、魔力、すべてにおいてジン家は王家に対抗できるだけの力を持っていた。その上に副王などと言う位まであればジン家に余計な想像をする者が出ても不思議はない。ジルベール王の正妃、ウージェニー王妃はアルマニウスの出だ。ディセンティアとエンセンテも側妃候補の姫を用意している。それでバランスをとろうとしたがやはりどうしてもジン家に傾く。余計な忖度をする者が出ないうちにはっきりとジン家に野望がないことを示した方がいい。アリサベル副王の申し出にジルベール王は渋ったが、カデルフ・アルマニウスは受けるように促した。彼の目から見てもバランスが危うかったからだ。その上アルフレッド王太子はアルマニウスの縁者になる。カデルフ・アルマニウスがその安泰を願うのは当然だろう。大貴族たちの思惑とジン家の思惑が一致して、ジルベール王は承諾したのだ。
「人は外に敵が居なくなると、中で諍いを起こすのです。諍いの種はできるだけ小さい方がいいと思いますよ」
レフのこの言葉が最後の一押しだった。
◇◇◇◇◇
その後90年間、アンジェラルド王国とフェリケリア帝国は平和を享受した。デルーシャ王国の魔法の天才、狂王トレザリスがヌビアート諸島の帰属を巡って王国に宣戦を布告するまでの間だった。
――了――
これでレフの物語は終わりです。ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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