第149話 閑話 ――クロッケン高地の離宮にて――

 シュワービス峠の帝国側の口に築かれた王国砦の正面の門が大きく開くのを見て、レダミオは馬上で姿勢を正した。

 開かれた門から瀟洒な2頭立ての馬車が出てきた。馬車は整列した帝国軍の前で止まった。レダミオが騎乗のまま近づいて声をかけた。


「バステア領軍下将、レダミオ・ルクルスであります。護衛を命じられました」


 馬車の中から応えがあった。


「ご苦労」


 10騎のバステア領軍の騎兵が馬車を護衛する位置に就くと一行はテストールに向けて動き出した。峠口の帝国砦に詰めている帝国軍は姿勢を正したまま遠ざかっていく馬車を見ていた。


 テストールは帝国と王国の戦争で焼け落ちてしまったが、和睦以来4年、帝国と王国の交易が復活するに従って街も再建されていた。シュワービス峠を通る商人や旅人にとって1日行程になる峠越えの拠点だった。峠を越える人々はテストールで1泊して朝早くに出立するし、峠を越えてきた人々はここで宿を取って休むからだ。

 テストールの市門から市庁舎までの道はいつもと違って人通りがなかった。許可が出るまで屋外に出るなと布告されていたからだ。

 市門を入った馬車は市庁舎前の広場で止まった。出迎えていたのはコーディウス・バステアだった。止まった馬車からレフが降りてきた。続いて降りてきたのはシエンヌだった。コーディウスは馬から下りてレフに近づいた。


「久しぶりですな、レフ殿」

「久しぶりです。お元気そうで何よりだ。しかしわざわざコーディウス殿が出向いてこられるとは思わなかった」

「まあ、いくら非公式とはいえアンジェラルド王国のNo.3を迎えるのに他人任せにもできませんから」


 形式的には王、副王、副王の配偶者という順でNo.3だったが、実質No.1ではないかと囁かれていた。


 シエンヌが馬車から降りて頭を下げるのに、


「シエンヌ殿も相変わらずお綺麗だな」

「ありがとうございます」

「それで、すぐにも出発しますか?」

「そうですね、できるだけ手早く済ませたいと思いますので」

「ではすぐに出ましょう」


 コーディウスが合図をすると広場の端に待機していた馬車が近づいてきた。4頭立ての大きな馬車だった。


「その馬車では余計な関心を呼んでしまいます。乗り換えてください」


 レフとシエンヌが乗っていた馬車は扉にジン家の紋章が付いている。まだ人々にはなじみのない紋章だったが、帝国の民が見慣れぬ紋章に警戒心を抱く可能性がある。


 乗り込むと先客がいた。


「これは、……殿下」


 赤子を抱いたドミティア皇女だった。レフとシエンヌを認めて軽く頭を下げた。


「お供させていただきますわ、クロッケン高地の離宮まで」

「バステア家総出ですか……」

「カルロ陛下がお決めになりました。レフ様がおいでになるなら粗略にはできないと」

「恐縮です」

「お子が生まれたのですね」

「はい、シエンヌ様」


 ドミティア皇女は講和が成立して帝国に戻ったコーディウス・バステアと結婚していた。バステア家を再建するために人を集めなければならず、ルファイエからの援助が多くても不自然に思われないための工作でもあったが、カルロ帝からの提案にドミティア皇女とコーディウスが迷わなかったのも事実だった。


「お名前は?」

「ルキウスと名付けました。コーディウスの曾祖父の名前だそうです。もうすぐ1歳になります」

「かわいい」


 シエンヌの声にいくらか羨ましげなトーンが混ざった。レフの4人の妻の中でシエンヌだけがまだ子に恵まれていなかった。尤も子がいないからこそ、この帝国行きに同行できたのも事実だった。もちろん4人の中で一番転移が上手であるという理由もあった。帝国内で何が起こるかわからない。いざというときには転移で逃げられるというのは大事な条件だった。

 子連れのドミティア皇女が同じ馬車で同行するというのはバステア家、ひいては帝国にレフに対する敵意はない、ということを示してはいたが、レフの能力ちからで王国が勝ったというのは帝国貴族の間では知られており、不遜な考えを持つ人間が出てこないとは限らないのだ。特にシュワービスの峠口から北方のクロッケン高地まではミディラスト平野を通る。アリサベル師団に散々荒らされた所だ。戦争とはいえ、個人的な恨みを持っている人間がいても不思議はない。


 バステア家の領軍騎兵2個小隊――10騎――が護衛に付いた。指揮官はなんとコーディウス・バステア自身であった。カルロ帝から直々にレフの護衛と饗応、そして監視を命じられたのだ。非公式の入国とはいえ、相手は王国で最も力を持っている人間だった。


 クロッケン高地まではシュワービスから徒歩で7~8日、馬車で3日の行程になる。しかし、皇家の紋章をつけた馬車には他の通行人や馬車が道を譲ってくれるので――関わり合いになりたくないから、でもあったが――2日目の夕方には高地の麓にたどり着いた。

 馬車の中で2日間ドミティア皇女とシエンヌは他愛のない会話をしていた。小さかった頃の話、通った学校での話、家族の話(ただしこれはかなり制限された範囲の話だった)で2日間で二人はかなり親しくなった。

 麓の町から離宮までは一応馬車が通れる道が付いている。ただし4頭立ての大型馬車が通れる幅はないので乗り換えることになる。

 それまでよりかなり小さくなった馬車に乗ってレフとシエンヌは離宮に着いた。コーディウスが2騎の騎兵を連れて一緒だった。離宮の門を開けなければならないというのが口実だったが、離宮にどんな用があるのか見届けるつもりだった。はっきりした理由も言わずに離宮に行きたいとレフから申し出があったのだから、帝国も興味を持つのは当然だった。帝国内では、イフリキアと父の会ったところを見たいという単なる感傷だろうという意見が大きかった。いくら検討してみても、避暑用の離宮と言うだけでそれ以外の価値はなかったからだ。


 門をくぐって離宮の敷地に入った。レフが首を巡らせて離宮を見回した。皇家が使うにしては小規模な離宮だった。冬は雪に閉ざされるためほとんど利用されない。イフリキア皇女が11ヶ月にわたって滞在したのは例外だったのだ。建物の入り口を入ったところでレフの足が止まった。目を閉じて顔を少し上に向けた。不審そうに振り向くコーディウスにシエンヌが身振りでそのままにしておくように頼んだ。


『やっと来てくれましたね、レフ様』

『お前は?』

『イルマ・ジン様によって設置された残置メッセンジャーです』


 男か女かわからない中性的な声だった。言葉遣いも性別を表さない。機械による合成音声だろう。


『メッセンジャー?何か私に告げることがあるのか?』

『はい、レフ様が渡り人の能力ちからをお持ちなのは気づいておられると推測します』

『ああ、父の残した知識の中にその項目があった。照らし合わせれば私は渡り人の能力を持っているようだ』

『ジン様はそれを予測されておりました』

『そうだろうな、でなければ父もこんな知識など残さなかっただろうから。で、私が渡り人であれば何かあるのか?』

『界の同調が始まっていてもうすぐ絶頂に至ります。最大64.5%の同調ですが』

『界の同調?』

『はい、界渡りでジン様の次元に行ける可能性が高まります。60%を超えていますからほぼ確実に渡れます』

『父の界に?何のために』


 生まれる前にいなくなった父だった。今更そのもとに行ってどうしようというのだ?


『界渡りの能力を持つ人は希少なのです。人類230億のうち、10万人足らずしか存在しません』

『だからと言って……』

『人類の支配宙域は広大なものです。その宙域を動き回るためには渡り人の能力が必要なのです』

『?』

『渡り人の能力を使った宇宙船ふねを使えば数光年をほぼ一瞬で跳ぶことができます。宇宙における距離の暴虐に対抗する今のところ唯一の手段です。この界に跳ばされたジン様にわざわざ迎えが来たのは渡り人の能力を持つ人は一人でも貴重だからです』

『それで私も、という訳か』

『はい』

『私には大事な仲間がいる。父の知識によれば仲間たちは界を渡れないのだろう?』

『はい、同じ界の中であれば界渡りの能力を持たない人間も一緒に跳ぶことができますが、界を渡ることはできません』

『なぜ今頃になってそんなことを言ってくる?』

『界の同調のmaxまであと5日です。同調は完全にランダムなので、これを逃せば次が1年後なのか100年後なのかわかりません』

『で、同調が始まった様子に慌てて私に連絡を取った訳か』

『はい』

『私は行かない』

『なぜです?あなたはもともとあちらに属しているのですよ』

『さっきも言ったが私には大事な仲間がいる。仲間をすてて他の界に行くつもりはない』


 父と会えるのかもしれない。イフリキアがあれほど慕っていた父に。父が残した知識の中にも自分に対する思いがうかがえた。


『ひょっとしたら最後のチャンスかもしれませんよ』

『くどい。私には仲間たちが何より大事だ』

『分かりました。無理押ししないように私はプログラムされています。活動できるのも1回だけなのです。レフ様がそう選択なされるなら私の役目は終わったようです』


 20日ほど前からずっと呼びかけられていたのだ。クロッケン高地に来るようにと。それがすーっと消えていった。



「レフ様?」


 レフが目を開けたのを見てシエンヌが声をかけた。


「大丈夫ですか?なんだかよく分かりませんが、大事なものを無くされたような雰囲気が……」

「なんでもない。母が父と会った所を見てみたいと言う思いが叶ったことに満足している」

「そう、ですか」

「そうだ。私の単なる感傷が満たされただけだ」

「はい、分かりました」


 シエンヌが体をもたせかけてきた。歩くのに邪魔にならないように少しだけだったが。


「コーディス殿、中の案内を頼む」

「では、こちらへ」


 コーディウスも何か感じていたのだろうが、それをそれ以上突き詰めることはなかった。

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