第147話 悪あがき 2

『やはり空気がおかしいわね』

『はい、殿下』


 明らかにピリピリした、肌を刺すような空気が漂っていた。それが目的の場所に近づくに従って濃くなってきていた。


『ドライゼール兄様、こんなに周りが見えない方だったかしら』

『他に選択肢がないのだろうと思います』


 ふーっ、アリサベル副王はあからさまに溜息をついた。


――誇り高いかただけれど、力の裏付けのない誇りなんて何の役にも立たない。王太子という身分に拘泥しなければいくらでも生きようはあるのに――


 アリサベル王女には、こんな状況でドライゼール王太子に王国の主権を渡すつもりはなかった。戦争が始まって以来の王太子の行状を見れば、下手をすればまとまり掛けた和議が壊れる可能性も有った。


――そんな事はさせない。人々はもう戦に疲れ果てている――


 親しくはなかったが一応は兄として接してきたのだ。どちら側からも、相手に関心が薄いという理由から礼儀正しく対応していた。悪い印象を持っていたわけではない。表舞台から去ってくれれば王太子身分のままでも良かったのだ。ジルベール王がずっと年下であることから、ドライゼール王太子は王太子のままで終わることが予想されたからだ。


「ロクサーヌ、ルビオ。剣呑な気が充満しているわ。油断しないように」

「「はい」」


 アリサベル副王、シエンヌ、それにロクサーヌ、ルビオは王宮の廊下を王府へ向かっていた。アトレの交渉団から和議の合意書が送られてきたので、ジルベール王と検討して署名するか否か決めるためだった。アリサベル副王が実権を握っているとは言え、形式上はジルベール王が上位だった。公式の決定は王府で成されなければならなかった。そして王府は“奥”に近い。最近はジルベール王、アリサベル副王に対する敵愾心を隠そうともしないマルガレーテ王太后の居室からも近かった。もう王妃ではないのだから部屋を移っては?という言葉に耳を貸さなかったのだ。近くで王の振る舞いを牽制しているつもりなのかも知れなかった。


 王府の扉は1個小隊の警備隊が固めていた。近付いてくるアリサベル王女一行を認めて一斉に姿勢を正した。


「陛下にはお待ちかねであります。どうぞお入りください」


 小隊長にそう言われてアリサベル王女は扉をくぐった。王府は広い。ジルベール王がいる執務室まではまだ少し歩かなければならない。執務室の扉をロクサーヌがノックして開けた。


「アリサベル姉様」


 アリサベル王女の姿を認めてジルベール王が笑顔を浮かべて、立ち上がって迎えた。


「まあまあ陛下、そのように軽々しく動くものではありませんわ。うむ、来たか、と言うくらいの態度でよろしいのですよ」

「でもこのところ私も姉様も忙しくて、ゆっくりとお話しする機会もなかったのですよ。でも今日はが必要ですから姉様も時間が取れますよね」

「はい、陛下。そのように私も思っています。でも検討に入る前に奥の部屋を少しお借りしても良いですか?」

「はいどうぞ、姉様」


 奥には広めの控え室があり、洗面所が付いている。アリサベル副王はそれを使いたいのだとジルベール王は思ったのだ。


「シエンヌ」


 アリサベル副王がシエンヌに合図して二人で奥へ入っていった。


「さて、ダルーフェット卿。アリサベル姉様がお出でになったからもう一度最初から説明をしてください」


 ダルーフェット卿は宰相府の事務次長だった。事務部長が宰相や外務卿、内務卿についてアトレの和平交渉の事務方責任者として行ってしまっているため、彼が和平案を持参して説明しているのだ。


 アリサベル副王とシエンヌはなかなか奥から出てこなかった。


「どうかしたのかな?」


 ジルベール王がちょっと首をかしげるのに、


「女性は色々時間がかかるのです」


 ロクサーヌに言われて、そんなものかとジルベール王が納得した時、やっと奥からアリサベル副王が出てきた。ただし、人数が増えていた。


「お母様?」


 ジルベール王の生母、ベアトリス妃を伴っていたのだ。


「ベアトリス様にも、陛下がきちんと仕事をこなしていることをお見せしたいと思いまして、ご無理をお願いしました。」

「そ、それは良いのですが、アリサベル姉様。母様が執務室に来ても良いのですか?」


 ゾルディウス王は表と奥を峻別していた。少なくとも人の目があるところでは正室と言えども政務に口を挟ませなかった。ジルベール王もそれが当然と思っていた。


「いいのです。ベアトリス様のご意見を聞くわけではなく、陛下が仕事をなさっているのをご覧になるだけですから」

「そうなのですか……」


 しれっとしたアリサベルの言い分にジルベール王はいくらか躊躇いながら頷いた。


「じゃあ、ダルーフェット卿和平案の説明を」


 いきなり話を振られて、


「はっ、はい」


 王の執務室に入ってきたベアトリス妃を見て顔を強ばらせていた宰相府事務次長は、ビクッとしながら返事をしたのだ。






 少し時間を遡る。


 市外へ出たドライゼール王太子と騎兵部隊はアンジエーム北門から1里ほど北に行った雑木林で馬から下りて整列していた。その整列した騎兵を前にドライゼール王太子が檄を飛ばしていた。


「良いか、スピードが全てだ。突入したら余計なことはするな、標的はジルベールガキアリサベル売女だ。この二人が排除できれば良い」


 整列した騎兵の中から恐る恐る声が上がった。百人長の一人だった。


「王太子殿下、罠という可能性は無いのでしょうか?」

「罠?決まっているではないか。お前達を俺の護衛に付けて王都へ戻したこと、お前達以外の国軍が出払っていること、俺の行動も制限されてない。どこをどう見ても俺が激発しやすいように細工している。こいつはアリサベル女狐の罠だ」

「それでは……」


 言いかけた百人長の言葉を遮るように、


「お前達は騎兵だ。国軍の最精鋭たる騎兵だ。今お前達は王都における最大戦力だ。王都中の警備隊が集まったところでお前達の敵ではない!お前たちを見くびっていたことを後悔させてやる!ジルベールとアリサベルを排除してしまえば警備隊は俺に従わざるを得ない。だからスピードが命だ。カルーバジタの暗部も俺に付いた。奴らが露払いをしてくれる。罠を食い破るぞ!警備隊とわずかな護衛ではお前たちを止めることはできない!お前達は俺の手飼いだ。俺が王座に着いたら出世は思いのままだぞ!」

「「「おう!」」」


 騎兵達は抜き身の剣を掲げて鬨の声を上げた。


「騎乗!」


 リッセガルド千人長が号令を掛けた。騎兵達は乗馬し、次々に雑木林から駆け出した。騎兵魔法士が通心で行動開始をカルーバジタに連絡した。




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