第147話 悪あがき 1
アンジエームの街は戦前の賑わいを取り戻しつつあった。200万ちかい人々の口を満たすために近郊の村々から毎日多量の食料――肉や野菜、穀物、魚――などが運び込まれたし、アンジェラルドの街中で作られた品々――手工業品や衣料、加工食品など――も運び出された。だから陽が昇っている間だけ開いている市門は、大勢の出入りする人々でいつも混雑していた。
市門の出入りは門衛によって管理されている。出入りに際しては身分証を提示する必要があり、初めての場合は記帳を要求される。身分証に疑問があれば門衛が照合する。身分証の不正使用や偽造は重罪だった。
その日の朝、賑わう西市門でおとなしく並んで門を出る順番を待っている人々の後ろから、
「どけーっ、邪魔だ!」
と叫ぶ声が聞こえた。振り向いた人々が見たのは武装した軽騎兵の部隊だった。先頭近くにいる偉丈夫はひときわ豪華な鎧に身を固め、その上から細かい刺繍が施されたマントを着ていた。。彼を囲んで3人の騎兵が、これも一目で上質と分かる鎧を着用して周囲に威圧的な視線を走らせていた。
「ドライゼール王太子殿下のお通りだぞ、道を空けろ!」
大声で怒鳴っているのはリッセガルド騎兵千人長だった。人々は慌てて道の端に寄った。ぐずぐずしていると馬で引っ掛けられる恐れがあった。特にドライゼール王太子は気が短く、振るまいが粗暴で平民には恐れられていた。人々が端に避けて開いた石畳の道を大きな音をたてながら騎馬隊が通り過ぎていった。門衛の兵達も王太子に向かって敬礼しながら見送るしかなかった。王太子はともかく、騎兵については予め通知されてなければ、通常通り門を通過するには身分証を提示する必要があった。勿論通知などなかったのだが、リッセガルド千人長の
「我々は殿下に付いて野駆けに行く」
の一言で済ましてしまった。
どかどかと西市門を通過するドライゼール王太子と騎兵部隊を門の近くの民家の2階から見ていた者達がいた。ザラバティ一家の構成員だった。数日前から2人1組で常時監視していたのだ。そのうちの一人が、騎馬隊が通り過ぎるのを見て通心の魔道具を起動した。通心は直ぐに繋がった。男は姿勢を改めて、
『ダナ様、ドライゼール王太子殿下が騎兵を引き連れて今、西市門を出て行きました』
『騎兵を引き連れてって、どれくらいの数だった?』
『50名前後でしたから2個中隊じゃないかと思いますが』
『2個中隊、王太子殿下が王都へ引き連れてきた騎兵全部ってことかい?』
『はい、腰巾着のリッセガルドの他に騎兵百人長の軍装をしたのが2人いましたから間違いないと思います。野駆けだそうです』
『わかった、ご苦労さん。思いも掛けず早く帰ってくることもあるかも知れないから監視の目は外すんじゃないよ』
『分かってます』
ダナは通心を切ってエガリオの方に顔を向けた。
「ドライゼール殿下が動いたようですよ。騎兵2個中隊を率いて西市門を出ていったそうです。野駆けと称して」
「ああ、そろそろ時間切れだからな。このまま帝国との和議が成立したら、王太子に先の見込みはなくなるからな」
「でも、街の外に出るって、どんな意味があるのですかね?」
「王太子の頭の中までは分からねえよ。でも騎兵2個中隊といえば現時点で王太子殿下の掌握している全兵力だろう」
「そうですね」
「虎の子の兵力を全て動員してるんだ。野駆け?今頃そんなことをするような余裕なんかないだろうな。何か企んでいるに違いないとは思うがね」
「王太子殿下がどんなことを企んでいるかなんてことはレフ殿下が考えて対策することですか?」
「ああそうだ。ドライゼール殿下が何かしないか監視してくれといきなり言ってきたんだものな、当然俺達の知らない何かを知っているんだろう」
「くわばらくわばら、上の方の諍いに巻き込まれるなんて嫌ですからね」
ダナはわざとのように首をすくめて見せた。
「レフ殿下と縁が出来たときからこうなることに決まってたんだ、諦めろ。それにレフ殿下の方が勝ち馬だぜ」
「恩が売れるって訳ですね、これから王国は実質アリサベル殿下の天下ですからね」
「ああ、アリサベル殿下の天下ってことはレフ殿下の意のままってことだからな。勝ち馬には乗らなきゃな」
「まったく、恐ろしい話ですよね、わずか4年で王国を手に入れてしまうなんて。始めて会ったときはシエンヌ様を連れただけの、まあそれでも恐ろしく腕の立つ男でしたけどね、背筋が寒くなりましたよ」
「レフ殿下が敵じゃなければ良いんだよ。まったくあれが敵だったらと思うとぞっとするな。誰を敵に回すより怖い」
「でもまあ、軍の中でも数少ない王太子派がほぼ全員、都合良くアンジェラルドに揃ったものですね」
「帝国から解放された王太子殿下がルルギアに戻ったとき、リッセガルド騎兵千人長と感激の再会をしたと言うからな。そのまま王都までの護衛を任されたってわけだ」
「よく許可が出たのものですね。リッセガルド騎兵千人長が王太子派だと言うことはよく知られていたでしょうに」
「第三軍は直ぐに許可したそうだぜ。なにせ王太子殿下の直々の要請だからな。まるで待ってたみたいだったそうだ」
「待ってたみたいに?」
「ああ」
「まさかこんな事態が予期されていたと?」
「俺は知らねえ。でも今ジルベール王、アリサベル副王に目障りなのはドライゼール王太子殿下、それに軍の中のまつろわぬ連中だろ?」
「それをひとまとめに始末する状況を作ったと?」
今アンジエームにいる国軍兵はドライゼール王太子の護衛をしてきた騎兵部隊だけだった。他は国境に張り付いている。治安維持のための軽武装の警備隊はいたが戦闘力では見劣りする。その騎兵を掌握しているドライゼール王太子は一見すると、今のアンジエームで最大の戦力を握っているように見える。
「だから、俺は知らねえ。知りたくもねえ。レフ殿下が敵でなかったことを感謝するだけだな、神って奴がいるんなら神にな」
多少とも事情を知っている人間にはこの状況がどう続いていくのか簡単に推測できることだった。こんなあからさまな罠に王太子が掛かるものだろうか?しかしあのレフのことだ、成算があるのだろう。ダナはブルッと震えた。
「これ以上は考えちゃいけねえ。平民、庶民には関係ないことだ」
「そうですね。じゃあ、レフ殿下に、じゃなくて、ジェシカ様に通信を入れますね」
「ああ、頼む」
ダナはジェシカに通信しながら、
「それにしても容赦ねえなあ」
とエガリオが呟いたのを聞いたのだった。
――何もしなければ一生陽が当たらない、蜂起すれば叩きつぶされる。こんな選択をしなきゃならねえ立場には追い込まれたくねえ!――
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