第146話 それぞれの動き
「何だと、クーデター?」
ドライゼール王太子は思わず大声を出した。
「はい」
王太子の前で畏まっているのはカルーバジタだった。昼間から居室で酒を飲んでいた王太子の前に現れ、いきなり告げたのが帝国の情勢だった。王太子の大声にカルーバジタは周囲を見回した。公にするわけにはいかない面会だった。カルーバジタはアリサベル副王の暗殺を企てたという容疑で指名手配されており、当然王太子と会っているということが明るみに出ると不味い。
――私だけなら何とでもなるがな。王宮から脱出することなど難しくはない。だがドライゼール殿下も逃さなければならないという条件が加わると途端に難しくなる――
そう言う意味ではカルーバジタの保身は自分自身のためと言うより王太子のためと言う部分が大きかった。ドライゼール王太子もさすがに唇の前に人差し指を持ってくる動作の意味は分かった。小声になって、
「で、ラヴェト
「排除されました」
「チッ」
ドライゼール王太子のあからさまな舌打ちの音がした。
「あの役たたずめ。俺に大きなことを言っておいて」
カルーバジタがその言葉を諾うように小さく頭を下げた。
「誰が次の皇帝になったんだ?」
「カルロ・ルファイエと聞いております」
「カルロ・ルファイエ?」
「はい、ガイウス7世が立太子する以前は最有力の後継者候補だった男です」
「聞いたことがあるな、確か帝国魔法院の総裁がそんな名前だったか」
「はい」
「講和に対してはどんなスタンスの人間なんだ?」
「積極的なようです。そもそもクーデター自体が講和に賛成しないラヴェト帝を帝位から引きずり下ろすためでしたから」
「それでは……」
「はい、おそらくこれからは講和条件の交渉になるでしょう」
――不味い、このまま戦が終われば今の体制が固まってしまう――
「カルーバジタ!」
「はい」
「このままではお前は一生お尋ね者だぞ」
「確かに」
「俺は名前だけの王太子ということになるな」
「……はい」
「
「御意。しかしお二方に同時に居なくなって頂かなくては……」
「ん?」
「どちらかが残れば軍も大貴族もその後見に付くと思われます」
「俺は王太子だぞ!その俺を支持しないと言うのか?」
「遺憾ながら」
「チッ」
「ですからジルベール陛下とアリサベル殿下が一緒におられる機会を狙うか、ドライゼール様にそう言う機会を作って頂くか、……失敗すれば2度目はありません」
カルーバジタの言葉にドライゼール王太子は口を閉じた。ジルベールとアリサベルを同時に捕捉し、処分する機会!?そう言う機会を作り、乾坤一擲の勝負を掛ける。カルーバジタには教えてないがラヴェトから得た情報もある。なんとかなるかも、イヤ何とかしなければならない。
「俺が号令すれば直ぐ動けるように準備しておけ。俺のところや母上のところに置いたお前の手勢も全て即応体制を保て、何、長いことではなかろう」
「策が?」
「教えるわけには行かぬがな」
この
「畏まりました」
カルーバジタは溜息を押し殺して恭しく礼をしたのだ。
「どうも」
コーディウス・バステアの挨拶に、
「有り難うございます。わざわざコーディウス様がお出でになるだろうとは思っておりませんでした」
そう返したのは、ドミティア皇女だった。
「お約束のものを持ってきました。他人に任せられるものではありませんから」
そう言ってコーディウス・バステアは後ろに控えているレダミオに合図した。レダミオがその手に大きな包みを抱えたままドミティ皇女に近付いた。ドミティア皇女の側に控えていたエリスが前に出てその包みを受け取った。それは上質な白い布で包まれた箱だった。包みを抱えたエリスの横にリリシアが来て丁寧に布を外していった。ほぼ立方体の木箱が現れた。リリシアが木箱の蓋を取って中に手を入れた。
リリシアが取り出したのは帝冠だった。ドミティア皇女に向かって、
「姫様、どうぞ」
手渡されてドミティア皇女がしげしげと帝冠を見つめた。見事な細工の貴金属にきらびやかな宝石が付いている。思わず息を飲むほどに綺麗な冠だった。
「これも入っていました」
リリシアに掌に載るほどの大きさの木箱を帝冠と交換のように手渡された。手にとってコーディウスの方を見る。コーディウスが頷いた。蓋を開けると御璽が入っていた。これも手に取った。魔力が込められているのが分かる。公式の書類に押された印から感じる魔力と同じパターンの魔力だった。
「確かに……。有り難うございます」
ドミティアがコーディウスに向かって恭しく色代した。
帝器の返還は和議の交渉の席で帝国が持ち出してきた条件の一つだった。
「正式に登極した帝による和議締結と、公式書類に御璽押印が望ましいと
と言うのが帝国交渉団の言い分だった。
「今帝冠と御璽を持っておられるのはコーディウス・バステア殿下と承知しております。諸般の事情により王国へ亡命されておられますがいずれは帝国へお帰りになるおつもりではございませんか?どうか貴国の方からもコーディウス殿下にこの願いを聞き届けて頂けるように働きかけをお願いします」
帝冠と御璽を返せばバステアの帝国復帰を認めるという話だった。レフを通じてその話を聞いたコーディウス・バステアは結局承知したのだった。皇家として長く治めていて領への愛着もあったし、先祖の墓や遺品も多くあったからだ。
結局アンジェラルド王国とフェリケリア帝国の和議の条件の骨子は、
1.王国の捕虜は即時無条件釈放、帝国の捕虜は身代金として一人金貨1200枚を払う。
2.身代金の支払いは8年の分割とする。
3.王国は帝国に対し領土要求はしない。シュワービスの帝国側峠口の砦は身
代金支払いが終了した時に帝国側に引き渡し、新しい国境は旧帝国砦の場所とする。
結局当初案の5年分割が8年分割になり、金額は変わらない。シュワービスの峠口の王国の砦が引き渡されると帝国民の目に見える場所に王国領はなくなる。それだけでも帝室の面目は随分保たれることになる。両国から宰相が来て詰めた案だった。あとは両国の王が承認すると正式の和解がなる。
「バステア家には大きな恩義を感じております」
「恩義?」
コーディウス・バステアが疑問形で同じ言葉を繰り返した。
「はい、帝器を返却頂いたこともそうですが、ラヴェト様にご退位頂くときも過程のごたごたの中で危うく負傷するところでした」
ラヴェト帝が素直に譲位する訳もないと思っていたコーディウスには、トラブルの中でドミティア皇女にとって危うい場面があっただろうことは容易に想像できた。
「そうですか」
「イフリキア様に魔纏を整えて頂いたおかげで助かりました」
あれは本当に危なかったのだ。魔纏を最大にしていなければラヴェト帝の力に押し切られただろう。あそこまでの魔纏が出来たのはイフリキアのおかげと言って良い。
「イフリキア姉が?」
「はい」
レフがドミティア皇女の肌に触れてイフリキアのことを追想していたことを想い出した。
「貴女の魔力にイフリキア姉のパターンが残っていると、確かそんな話でしたね」
「はい、それで、ルファイエ家としてはバステア家を再建するために最大限の協力を惜しみません。私もジェレミア様と面識がございましたし」
「ジェレミアと……」
ガイウス7世がバステア家を粛正したときに殺されたコーディウスの妻だった。ルファイエ家の出身で単身でルファイエ家に逃げ込めば助かったかも知れないのに、コーディウスとの間に出来た子供を庇って一緒に殺されてしまった。ドミティア皇女と年齢があまり離れていないこともあり、同じ皇家に属していれば面識があっても不思議ではない。
「そう、ですか。私も何時までも亡命先で根無し草で居るわけにも行かない。ルファイエ家の力を当てにさせて頂きましょう」
「はい」
差し出された手を握りかえしたドミティア皇女の手には通常よりも力が入っていたかもしれない。
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