第145話 決行 4

 三つの部隊からの連絡が途絶えたとき、ラヴェト帝は皇宮から脱出しようとした。ただしその動きもドミティア皇女に察知されて先回りされてしまった。それで門をくぐれば皇宮の外という中庭で包囲されてしまったのだ。ラヴェト帝は忙しく視線を動かしてルファイエとスロトリークの領兵の配置を見た。どこかに血路を開かなければならない。

 皇宮の外に逃れるための門まで直線距離で30ファル、そこにも分厚く配兵されているが、


「行くぞ」


 小声でもきっぱりと周囲の兵達に伝えると、ラヴェト帝は包囲陣の一角に打ち掛かった。さすがにラヴェト帝に直接付いている兵達は精鋭で、帝を囲んで遅れず走り出した。彼らの標的は門、スロトリーク、ルファイエの領兵が抵抗しようとしたが、ラヴェト帝に率いられたテルミカートの兵にたちまち深く食い込まれた。


 ドミティア皇女も包囲陣の中にいた。最前列からやや下がった位置だったが、迂闊なことにラヴェト帝の手勢と門の中間に近いところだった。ラヴェト帝が目聡くドミティア皇女を見付けた。


「ルファイエの小娘!!」


 カルロ・ルファイエがドミティア皇女を溺愛しているのは知られていた。自分を破滅させようとしているカルロの大切なもの!行きがけの駄賃、いや道連れだ!自分が大事にしているものを奪われるなら、敵の大切なものを壊してやる!ラヴェト帝はドミティア皇女に的を定めた。

 ラヴェト帝の動きを見てリリシア、エリスがドミティア皇女の前に出、護衛小隊がさらにその前に出てラヴェト帝の部隊を迎え撃った。ラヴェト帝とその護衛兵は凄まじい勢いで護衛小隊に襲いかかった。特にラヴェト帝はその体格を生かして、神聖剣に劣らない長さと重さを持った剣を振り回して、群がってくる護衛小隊の兵をなぎ倒して血路を開いた。護衛小隊はいつもドミティア皇女の護衛に付く近衛のレザノフ中隊の兵ではなかった。レザノフ中隊よりも遙かに脆く、あっという間にラヴェト帝はドミティア皇女に迫った。


「覚悟!!」


 元帥服を返り血と自分の血で染めながらラヴェト帝はその剣を振りかぶった。

大きく剣を振りかぶったラヴェト帝を目の前にして、ドミティア皇女は咄嗟に全力で魔纏を廻らせ、剣を振り上げた。ギンッという音が響いて、力一杯振り下ろされたラヴェト帝の剣が空を切った。さすがに受け止めることは出来なかったが刃筋を逸らすことが出来た。ラヴェト帝の剣はドミティア皇女の鎧を擦った。勢いのまま剣が土を叩き、ラヴェト帝の身体がバランスを崩した。


「姫様!!」


 エリスが悲鳴に近い声を上げ、バランスを崩したラヴェト帝に斬りかかった。ラヴェト帝は避けきれなかった。上体を捻って躱そうとして、兜と鎧の間に不自然に開いた間隙にエリスの剣が滑り込んだ。ビクンと体を震わせたラヴェト帝は驚いたように目を見開いた。


「うっ!」


 くぐもった声が漏れる。剣が手を離れ、ザッザッと拍動に合わせて右の頸動脈から血を噴き出させながらドサッとラヴェト帝は倒れた。立ち上がろうとして体に力が入らなかった。


「「「ラヴェト様!」」」


 ラヴェト帝が倒れたのを見て側にいたテルミカート領兵が悲鳴を上げた。慌ててラヴェト帝に近寄ろうとしてルファイエの領兵とぶつかってたちまち切り伏せられた。倒れたラヴェト帝に意識が行っていて隙だらけだったのだ。


「くそっ、こんな……ところで」


 遠くなっていく意識の中で誰かが横に身を屈めてきたのが分かった。


「何か言い残すことはあるか?」


 カルロ・ルファイエだった。片膝をついてラヴェト帝の傷を検分した。


――これは駄目だな――


 右の首筋がざっくりと切り裂かれていた。勢いよく出ていた血も勢いが弱まってきている。


 薄れていく意識の中でラヴェト帝は笑った。笑おうとした。


「や、……やっと、帝位に、……就いたと、思っ……たら、この、ざまだ」


 カルロ・ルファイエが頷くのが、狭まっていく視野に見えた。カルロ・ルファイエの顔はむしろ悲しそうに見えた。


「あとは、……卿の、好きな、よう……」


 そこまで言って、ラヴェト・テルミカートの全身から力が抜けた。


 カルロ・ルファイエとラヴェト・テルミカートは共に後継者候補だった。魔力量は同じくらいでラヴェトの方が若かった。長期の安定した政治を望む者はラヴェトを支持し、適当なところで支配者が交代する方が良いと考える者はカルロを支持した。フィラール・ブライスラとガリエラ・スロトリークは魔力量でやや劣り、ラヴェトとカルロの言わば予備だった。しかしドングリの背比べのような後継者争いはセルティウス・ロクスベア(のちのガイウス7世)の出現によってあっさりと決着が付いた。それ程ガイウス7世の魔力量は抜きんでていたのだ。

 カルロ・ルファイエは直ぐに状況を受け入れたが、ラヴェト・テルミカートは何時までも悔しいという感情を引きずった。テルミカート家にとっては13代ぶりの皇帝になったはずだったからだ。皇家は8家、つまり8代に一人皇帝が出れば均等と見なされる。12代に渡って皇帝を輩出していないテルミカート家は軽く見られている、とテルミカートの者は思っていた。テルミカート出身者は有能なのだ、と示さなければならないというのがラヴェト・テルミカートの強迫に近い思いだった。さもなければテルミカートはまた帝位から遠ざかる。魔力で劣っても能力で劣っているわけではないことを明示するには、ガイウス7世の下で傾きかけた戦況を立て直すのが一番だ。しかしレフに帝国内で襲撃されて、どんな手段で立て直せば良いのか分からなくなっていた。その困惑が尚のことラヴェト帝を頑なにしていたと言って良い。


――終……わった。


 妙に気が楽になったと思いながらラヴェト・テルミカートの意識は途切れた。


 ラヴェト帝が倒れたのを見てテルミカートの兵達は武器を置いた。守るべき者がいなくなれば何のための戦闘か分からない。


「死んだのか?」


 声をかけられてカルロ・ルファイエは振り向いた。ガリエラ・スロトリークが動かなくなったラヴェト・テルミカートを見下ろしていた。


「ああ」

「では、皇帝陛下」


 ガリエラ・スロトリークが色代し、改まった口調で、


「帝国を焼かないための作業を開始いたしましょう」


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