第143話 それぞれの事情

 少し時を遡る。


「何をしている!?あんな条件で講和する気か?荒らされた国土はどうなる!死んでいった兵や民は!その家族はどう思う」


 宰相府にドライゼール王太子の怒声が響いた。怒鳴りつけられた内務官僚が王太子の前で縮こまっている。王太子が来たと聞いて奥から慌てて飛び出してきた中堅官僚だった。王太子からいきなり怒りをぶつけられると、身分差もあり身を縮込ませるしかない。


 アトレでの王国・帝国の講和会議が始まって3日目だった。ドライゼール王太子は講和会議開催については帝国からの返事を持たされる“使い”をさせられたが、王国からの提案内容もそれに対する帝国の返答の内容も知らされていなかった。宰相府から連絡のために派遣された内務官僚を問い詰めて内容を知ったのだ。

 最初は緊密に報告を上げない宰相府に苛立ったが、王国が提案した講和条件を聞いて激怒した。

 王国軍が優勢になったことは知っていた。今にも帝国内になだれ込む勢いだと思っていた。しかし、王国の勝利は確定したものではない。これからは帝国内が戦場になるのだ。あの帝国軍が王国内で足を掬われたように、勝ちに逸った王国軍が帝国内で躓かないと誰が言える?そうなってこそ俺の復権が成るのだ。今の情勢で講和してしまえば王国の権力構造の変化など望めはしない。王が居て副王が居て、俺が3番目だ。そのまま固定される。許されることではない。それなのにこの条件は!こんな緩い条件では帝国が飲むかも知れない。


 王太子の怒声にオルダルジェ宰相が顔を見せた。さすがに第三王位継承権者に対して官僚の対応だけでは不味いと思ったのだ。内務卿が居ない現状では宰相直々に出てくるよりなかった。


「これは、ドライゼール殿下」

「オルダルジェか。帝国と講和会議を始めたと聞いたぞ。何故俺の所に報告がない」

「会議は一昨日始まったばかりです。殿下は長い捕虜生活でお疲れだろうと考えましたので、お疲れが取れてから報告するつもりでおりました」


 気の抜けない捕虜生活で疲れていたのは確かだった。ラヴェト帝の気まぐれに生命を左右される生活だった。王宮へ帰って2日間は妃達をベッドにも呼ばず死んだように眠りこけていた。しかしもう6日も経った。しれっとそんな言い訳を口にする宰相に腹が立った。


「一昨日から交渉が始まったと聞いたぞ。俺はつんぼ桟敷か!」

「わざわざ報告するほどの進展もございませんでしたので。報告が遅れて申し訳ありません」

「進展がない!?」


 あの条件に帝国は飛び付かなかったのか?帝国領が王国軍の軍靴に踏みにじられることを避けられるのだぞ。


「どういうことだ?」

「帝国は両国の捕虜全員の無条件釈放を求めています。講和のための交渉はその後のことだと」

「なんだと?」

「勿論我が国はこんな条件は蹴りました。昨日までの交渉はそれで終了で、今朝もまた同じ事を帝国は繰り返すばかりです」


 遣ってくれた。ラヴェト帝、万歳だ。これほど周囲が見えない男だとは思わなかった。あとはラヴェト帝やつが頑張ってくれることを願うだけだな。


「そうか」


 上機嫌が声に出ないように気をつけた。


「で、どうするのだ?」

「どうもこうもありません。捕虜全員を無条件釈放などお話になりません」

「当たり前だな。交渉が決裂したらどうなる?」

帝国あいてが音を上げるまで攻撃を続けます」

「ふむ、東、ルルギア方面は膠着していると聞いた。攻めるとすればシュワービス経由になるか」

「軍の作戦の細かいところは報されておりません。しかし殿下の仰るとおりでしょう」

「そうか、シュワービス方面はアリサベル師団の担当だな。あれは王国一の戦力だ、きっと戦果を挙げてくれるだろう」


 そうして消耗してくれれば上々だ。あの亡命野郎が居なくなってくれれば最上なのだがそこまでは望めまい。


「はい、宰相府われわれもそう期待しています」

「私も王太子という地位にある。講和会議の状況や、戦況など逐一報告を受ける、……義務があると思う」

「はい」

「今までのことは水に流そう。これからはしっかりと頼むぞ」

「畏まりました」


 ドライゼール王太子は来たときとは真逆に上機嫌になって居室へ帰った。





{そう、会う暇は無いってこと?}

「はい、皇宮の門で止められてそれ以上は入れず、取り次ぎを頼んだ門衛からそう告げられました」


 ラヴェト帝になって皇宮は様変わりしていた。皇宮の中にあった皇家のスペースはなくなり――尤もフィラール・ブライスラとガリエラ・スロトリークは元のブライスラ家、スロトリーク家のスペースの一角に軟禁されていたが随分と狭くなっていた。


 皇宮の警備はテルミカート家の領軍が担当するようになった。テルミカートの領軍が皇宮を警備するようになったのはラヴェト帝がテストールへの途中で襲撃された後だった。あの襲撃に際してテルミカート、ロクスベアの領軍は勿論、近衛もまったく無力だった。その上ラヴェト帝と近衛はまだ馴染んでいなかった。ガイウス7世帝には忠節を誓っていたが、ラヴェト帝とは形式上の忠誠に過ぎず、帝の方からも近衛の方からも様子見の段階であった。それならば気心の知れた領軍の方がましだと思った。領軍の上級将校は狩り取られてしまったがラヴェト帝が直接指揮をすればいいと考えたのだ。


「皇帝付きの執事も出てこなかった上に、面会の約束も取り付けられなかったのね」

「はい、いつ時間が出来るかも分からないとのことでございます」


 ドミティア皇女に報告しているのは皇都の屋敷の留守を任せている執事長だった。皇都へ帰ってきたドミティア皇女は、一応はラヴェト帝と会うための手続きを取ったのだ。『会えない』とに伝えさせるなど同じ皇家に属する人間に対する遣り方ではなかった。それを予想していたドミティア皇女は執事長と皇宮の遣り取りを冷静に確かめているのだった。


「トリエヴォ家とトレヴァス家の反応は?」

「そちらは流石に、この情勢下でカルロ殿下からの書を無視する度胸はなかったようです。両家とも当主のアニト殿下とジオニール殿下が明日の午前中にはお見えになると、返事を受けております」


 ドミティア・ルファイエは明らかにほっとしていた。例えルファイエ家だけになろうと計画は実行するつもりだったが、阻害要因は少ないほど良い。2家ともラヴェト帝の下へ伺候することも少なくなっているという情報はあったが、カルロ・ルファイエ父さまの説得が功を奏すれば超したことはない。


 だけど……、


――勝つための計画ではなく、帝国を、祖国を存続させるための計画。敗北を、これまで帝国が経験したことがない全面的な敗北を受け入れるための、そのためだけの計画。後生こうせいからは裏切りと呼ばれるかも知れない計画!それを自分が、自分が成さねばならないとは。士官学校へ入ったときは国のために身を尽くすつもりだった。こんな尽くし方があるなんて考えもしなかった――


「上級貴族会でガイウス7世陛下のフェリケリア帝国再興の計画を聞いたときには皆熱狂したと言うわ。私だってその計画の中に魔法院の役割が大きいと知って胸が熱くなった」


 ドミティア皇女は思わず声に出していた。


「ドミティア殿下?」


 心ここにあらずと言った風情になったドミティア皇女に執事長が声をかけた。その声にドミティア皇女は現実に引き戻された。


「そうね、現実に対処しなければならないわ。お父様の説得が上手く行くように準備しなければ……」


 その言葉に執事長は丁寧に頭を下げた。




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