第142話 ドミティアの陰謀

 帰り道、リリシアが盛んに首を捻っていることにドミティア皇女は気づいた。


「どうしたの、リリシア?何か気になることでもあるの」


 何かを考え始めると軽く首を捻るのはリリシアの癖で、その癖をドミティア皇女はよく知っていた。


「いえ、先ほどのレフ……殿下の様子なのですが」

「それがどうかしたの?」

「いえ、あのレフ……殿下にして、あれ程隙だらけになることもあるのかと思ったものですから」

「隙だらけに見えたのね」

「はい」

「そう、でも隙だらけだと思ってお前かエリスが斬りかかったりしたら、次の瞬間には私の首と胴は離れていたわよ」


 こんな隙だらけで……、ドミティア皇女も思ったのだ。その一瞬レフの身体に廻った魔力を想い出した。私が攻撃するより遙かに速くレフの体勢ができあがるだろう。


「えっ?」

「肌を触れていると分かるの。イフリキア様もとんでもない魔力を持っていらっしゃったけれどレフの魔力はそれ以上だったわ。その上展開がものすごく速い。恐ろしい……」

「そう、なのですか」

「死にたくなければ迂闊に手を出さない事ね」

「肝に銘じておきます」

「そうしてちょうだい、私もとばっちりを食うかも知れないから」


 ドミティア皇女の実感だった。近付いて、直接肌を触れたのだ。息が詰まるほどの圧迫感だった。あれほど油断しているような表情だったのに、何かできる気はまるでしなかった。


「ディアステネス上将、貴方もレフとは初対面よね。何か感じなかった?」

「さあ、私は個人的な武技はたいしたことはありませんからな。ただレフ殿下を襲うなら充分な下準備をして、その上でタイミングを計るよりないかと。初撃に失敗したときの二の矢、三の矢が必要でしょう。それでも分の悪い賭けになりそうですな」


――やはり、レフ殿下を敵にしたときから帝国は間違っていたのだ――


 改めてそう思わされた。






――その夜


 ドミティア皇女は自分の執務室で書類仕事を片付けていた。夕食後半刻は経っていたが、ルファイエ家関係の書類だけでも膨大で、カルロ・ルファイエが軟禁されていた所為もあって未決の書類が大量に残っていた。


――そろそろね――


 と思って書類から顔を上げたとき、ドアに控えめなノックがあった。執務室の中で警備をしていたリリシアが、


「誰?」


 と誰何したのに、


「ディアステネス上将閣下がお見えになりました」


 と部屋の外で警備していたエリスの声がした。


「入って頂いて」


 リリシアが開けたドアをくぐってディアステネス上将が執務室に入ってきた。ドミティア皇女は立って迎えた。


「ようこそ、上将閣下」


 供も連れずにやってきたディアステネス上将が敬礼して、ドミティア皇女も返礼した。


「リリシア、貴方も外で警備して。誰が来ても部屋に入れないように」

「はい」


 リリシアがドアを閉めるのを待って、


「私に用事とは、昼間のことに付いてでしょうか?」

「そう、どう思ったかしら?上将閣下は」

「捕虜一人釈放するのに金貨1200枚ですか……」

「交渉次第でもう少し安くなるとは思うけれど」

「1000枚まで値切っても2000万枚ですか」

「5回の年賦で良いとは言っているけれどね」

「どうも王国は、と言うよりレフ殿下は帝国のけつの毛まで毟るつもりのようですな」

帝国われわれが仕掛けた戦争だからもっと厳しくてもと思っている王国官僚れんちゅうもいるでしょうが……」

「ギリギリ帝国が存続できる分だけ残してできるだけ多く毟り取るつもりでしょう。帝国へ攻め入って暴れれば気持ちはスキッとするでしょうが、実際に得られる物は少なくなりますからな。今後のことを考えると、多少の損害は残っても戦前同様に繁栄している王国と何とか生きている帝国、という構図は王国にとって望ましい」

「癪なことは、帝国にとっても現在残っている選択肢の中でそれが最上のものと言う事ね」

「そうですな」

「でもラヴェト様はそれが分からない」


 ディアステネス上将はドミティア皇女の言葉に引っかかりを感じた。『様』?、『陛下』ではなく。


「ヴェテル内務卿がいくら懇願しても初期条件を変更されないと聞いてますな」

「ディアステネス上将、貴方もシュワービスへ行けと命令されたと聞きましたが」

「さすがにお耳が速い。休戦期間を利用して配置換えをするそうです。アトレは防衛に徹してシュワービスを何とかしろと。強化されたアトレの壁なら第2師団が抜けても持ちこたえられるだろう、それよりもスカスカになったシュワービスの峠口を塞げと直々に命令されましたな」

「何時出発するの?」

「師団を動かさなければなりません。準備に時間がかかります。急いでも明後日でしょう」

「私も一緒にでるわ。皇都に行かなくちゃならない」


 何のために?と訊きたそうな上将に、


「私からももう一度説得してみるわ。あの条件が現時点では最上で、これが纏まらなければ帝国の存続さえあやしいと」

「上手く行けば、と願いますな」

「上手く行かなければ帝国は終わりです。もう一度立ち上がる事が出来てもそれまでに何年、何十年かかるか分かりません」


 おそらくラヴェト帝は首を縦には振るまい。その時ドミティア皇女は如何するつもりなのか、見当は付いていた。見当は付いていたが、やはり次の言葉には驚かされた。


「ラヴェト様は正規の帝ではありません」


 皇太子から登極したのではない、また前帝によって至高の座を認められたわけでもない。皇家会議の結果だ。


「皇家会議の決定は原則として全会一致が必要です」

「そう聞いておりますが、戦争中に帝が急死されたと言う状況では多数決という非常手段も許容されるのでは?」

「多数決にも半数が必要です」

「4家が賛成されたと聞きましたが」

「そうです。8家のうち4家です。半数ではありますが半数には届きません」

「しかし、バステア家は……」

「皇家典範からバステア家は削除されていません」


 ディアステネス上将は息を飲んだ。確かに!皇家典範の改定はされたとは聞いていない。


「帝の意は典範に優先しますが、ガイウス7世陛下が身罷られた時点で意は消滅します。成文法としての典範がある以上今でもバステア家は皇家の一員です」


 屁理屈だった。帝国内にバステア家を代表する人間は残っていない。唯一残ったコーディウス・バステアは王国に亡命している。


 ――それでも、


「ですから、ラヴェト様は良く言って仮帝なのです。それでも帝国のために働かれるなら“仮”を取って差し上げても良いのですが……」


 これほど苛烈に育ててしまったのは自分にも責任があるのかも知れないな、ディアステネス上将は心の中で苦笑していた。


「軍に何かお求めでしょうか?第2師団は皇都を通りますし、補給のため数日は滞在しますが」

「これから先は皇家の間の私闘になります」

「はい!?」


 帝国の支配権を賭けた私闘だ。


「皇家以外の勢力には、特に国軍には近衛も含めて関与して欲しくありません」

「それを私に?」

「はい、お願いします。軍を抑えていてください。動かないように」


 軍を動かさないようにすれば、私闘がラヴェト帝の勝利に終わったらディアステネス上将もルファイエに付いたと判断されるだろう。だがここでドミティア皇女を支えなければ帝国は、祖国は炎に沈む。


「分かりました。5日ほどならば軍をおとなしくさておくことは出来るかと思います」

「5日もあれば充分だわ」


 そう言ってドミティア皇女はディアステネス上将との会談を終わらせたのだ。




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