第141話 交渉 3

「で、ドミティア皇女殿下におかれては、私にどのようなご用事がおありだったのでしょうか?」


 ドミティア皇女はふっと小さく笑った。


――照れ隠しね――


「レフ様にお会いしたかったのが一番です。でもお訊きしたいことが一つ……」

「何でしょうか?」

「停戦期間の1/3が無為に過ぎました」

「そうですね」

「このまま進展がなければ戦が再開されます」


 厳しい顔に戻ってレフが頷いた。


「このままでは帝国に勝ち目はありません」


 率直な言い方にレフは思わずディアステネス上将の方を見た。彼にも皇女の声は聞こえているはずだが、ディアステネス上将はまったく表情を変えなかった。護衛に付いている2人の女兵士も同じだった。ドミティア皇女とディアステネス上将の間では既に意見が交わされたことを示していた。


「ですが、これからは戦場は帝国内になります。地の利があれば、住民が味方なら、王国での戦いとは様相が違ってくるでしょう。王国軍も無傷とは行かないでしょう」

「そうですね」


 同じ言葉をレフは繰り返した。


「どう……、なさるおつもりですか?」


 さすがにあからさまに敵国あいての作戦を聞くのは憚られた。しかしレフはあっさりと、


「王国軍の、まあアリサベル師団ですが、損害を最小にするように動くつもりです。具体的には、帝国を占領するつもりも統治するつもりもありません。帝国を焼け野原にするだけです。その後、民が生活できるかどうかは帝国政府の責任でしょう。それを帝国が降伏するまで続けます」


 領土に組み込んで統治するつもりなら徹底的に破壊し尽くしたりはしない。民ごと治めるなら尚のことだ。テルジエス平原に侵攻した帝国もレクドラムに近い集落は作戦上破壊したが、大部分はできるだけ生産力を落とさないように気をつけながら占領していった。国外の領土として収奪し続ける必要があるからだ。しかし、レフは破壊して後は知らないと言っている。豹変している。先ほどの涙を流したときの柔らかさなど欠片もない。レフの言葉にドミティア皇女は息を飲んだ。


「それでは帝国我が国は立ち行かなくなります!」

「今回の交渉に当たって王国われわれは随分妥協した条件を出したつもりです。手ぬるいと宰相府からは随分異見が出ました。それを受け入れられないなら、これ以上の譲歩は出来ません」


 多少とも戦況が分かっているなら王国の出した条件は信じられないほど寛大なものであることを理解できるはずだ。だめ押しのようにミディラスト平野で力の誇示を行った。叩くだけ叩いても帝国側は何の反撃も出来なかったのだ。損切りが出来ないのなら抵抗が出来なくなるまで叩くしかない。


ドミティア皇女が唇を噛んだ。俯き加減に考え込んだ皇女を、リリシアとエリスは心配そうに、ディアステネス上将は無表情に見つめていた。しばらく同じ姿勢でいたが、何かを決めた様に顔を上げた。


「レフ様」


 呼びかけられてレフが頷いた。


「具体的に、和睦に際して捕虜の釈放条件を王国はどう考えているのですか?」


 いきなり、無条件でと帝国から言われて、王国側は未だ条件を提示していなかった。交渉以前の段階でスタックしていたのだ。勿論王国の出す条件のままで妥結するなどとは思っていなかった。それでも初期の条件は決めてあった。何か具体的な条件を出さなければそもそも交渉など始められない。


「帝国人の捕虜が2万人居る、端数はあるが。今は殆どの捕虜が戦乱で荒れた王国の

復旧に従事しているが、鉱山に千人ほど送っている」


 捕虜の数が1万から2万人位だろうというのは帝国も予想していた。


「2万人……」

「捕虜一人につき金貨1200枚」

「1200枚!」


 ドミティア皇女だけでなくエリスとリリシアも吃驚したような声を出した。ディアステネス上将だけが表情も変えなかった。


「法外……、ではありませんね」


 戦争奴隷の値は金貨300枚から600枚くらいだ。1200枚というと、上位の将校の身代金に匹敵する。しかしこの場合、単なる身代金と言うばかりではなく、賠償の意味も込められている。帝国が始めて、あげく帝国が負けた戦争なのだ。吹っかけられても仕方がない。2万人分の身代金24,000,000枚、交渉次第で多少は下がるかも知れないが、帝国と言えど一度で払える金額ではない。


「分割でも良い、5年くらいかな」


 それなら払えるかも知れない、と考えたときドミティア皇女は気づいた。


――あの条件は決して王国が寛大だからじゃない!帝国から可能な限りむしり取ろうと言う意図だ。これ以上攻めると帝国の国力はドンドン落ちていく。王国だって無事には済まない。その上帝国から回収できる金や物も減っていく。結果残るのは荒れ果てた帝国と、体力の落ちた王国だ。例え帝国から受けた損害が全て回収されないにしても最大限に補填させようと言うことだ。王国は損切を覚悟している――


「10日、伸ばして頂けませんか?」

「うん?」

「停戦期間を10日延ばしてください」


 そう言われてレフはドミティアを見た。懸命の思いを視線に込めて見返してくる。


「10日あってもラヴェト帝が考えを変えるとも思えないが……」

「お願いします」

「レフ殿」


 後ろからコーディウスに声をかけられた。振り返って、


「何か?」

「ドミティア殿下の願いを聞いてやって頂けませんか?」

「しかし」


 それに何の意味があるのかと訊き返そうとして、真剣な顔で見つめてくるコーディウスに気づいた。その表情はドミティア皇女によく似ていた。


「わかった、じゃあ停戦期間を10日延ばそう。あと23日だな」

「ありがとうございます」


 心のそこから感謝していることが分かる声音だった。


「私からも礼を言いたい、有り難う、レフ殿」


 もう暗くなり始めていた。話はそれで終わった。最後に、


「通心の回路をレフ様に開いていいですか?」

「ああ、さっき繋いだからそのままにしておきましょう」


 いつでも連絡が取れるようにしてドミティア皇女と分かれたのだった。




「ドミティアの願いに応えて貰って私からも礼を言います。レフ殿」

「ああ、いや。あの提案は受けるつもりだったから。ただコーディウス殿からの言葉で受けやすくなったことは確かですね。なぜああ言ったのですか?」

「私の妻はルファイエの出のですよ」


 過去形だった。バステアの粛正に巻き込まれて命を落としてしまった。


「ああ、それは……、ドミティア皇女に似てらした?」

「いいえ、一見では似て居ませんでした。でもあれを言いだしたときのドミティアが妻にそっくりに見えたのです。何かを懸命に成そうとしたときあんな顔をしていました」

「そうですか。でもドミティア皇女は10日の猶予の間に何をするつもりなのか……」

「先ずはラヴェト帝の説得でしょうね。ここで損切りをしなければ損害は大きくなるばかりでしょうから」

「説得に応じなければ……」

「そうなれば、あの場にディアステネスが居たことが意味を持ってくるのかも知れません」

「そうだな」


 レフとコーディウスは揃って首を振ったのだった。




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