第141話 交渉 2

 イフリキアが厚意を持っていた数少ない帝国人の一人、それに同調もしていない魔器に通心を繋いできたことも気になる。


『私と会っても役に立たないと思うが、どこに行けばいい?』

『貴方が指定したところへ参ります』

『今すぐでもいいのだろうか?』

『はい』

『そうだな、私達が宿営しているところを知っているか』

『はい』

『そこから東へ200ファル行ったところに公園がある』


 宿営地の周囲は当然調査する。敵意を持った集団が来るとすればどの道を通る可能性が高いか、逃げるのはどの方向がいいか、どう布陣すれば効果的か、きちんと調査した後でなければ宿営できない。なんといっても帝国領敵地なのだ。だから地形や建物の配置、それに道の走行は細い路地まで含めて覚えている。


 それほど大きな公園ではなかった。100ファル四方ほどのほぼ正方形で、西半分がちょっとした林になっている。身を隠すところが多いため念入りに調べた。探査補助の魔器も設置してある。


『知っています』

『西側の入り口に居る』


 ドミティアがどこに居るにせよ、今すぐここから行けば自分の方が早く着くだろうとレフは思っていた。


『誰か、護衛を連れていっても構いませんか?』

『構わない』


 レフは即答した。たとえ何人か何十人か剣呑な輩を連れて来たとしても探知も簡単だし、逃げるのも簡単だった。


『私も一人でいくつもりはないから』

『はい、では公園で』

「「連れていってください」」


 通心を終えるとジェシカとアニエスがほとんど同時に手を挙げた。レフは二人の顔を見て少し考えた。


「いや、今回はコーディウス卿にお願いしよう」


 ジェシカは魔法院の関係でドミティア皇女と顔見知りだ。別に顔を合わせて気まずくなることなど構わないが、こちらの手札は伏せておいた方が良い。ジェシカは優秀な魔器の作り手なのだ。アニエスは近接戦闘より遠隔攻撃型だから今回は余り出番がないだろう。やはり帝国人に顔を覚えられたくはない。レフはコーディウス・バステアを振り返って、


「ドミティア・ルファイエをご存じですよね」


 ジェシカとアニエスはプーと膨れ、コーディウスは破顔した。


「勿論、お供しましょう。ドミティア殿下とは何回か顔を合わせたことがありますから。私まで王国に亡命したことを知ったらどんな顔をするのか楽しみです」




 レフの方が早く着いたが、待つほどもなくドミティア皇女が姿をあらわした。護衛に2人の女兵――リリシアとエリス――が付いている。もう一人ドミティア皇女から5ファル離れて付いて来ている人間に気づいたが、害意は感じられず他には誰も居なかったためレフは気にしなかった。がっしりした背の高い初老の男、私服ではあったが姿勢と歩き方から見て恐らくは軍人だった。


 4人が近付いてくると何を思ったかコーディウスがレフの前に出た。コーディウスは立ち止まったドミティア皇女に優雅にレディ―高位の女性に対する礼をした。


「久しぶりです。ドミティア殿下」


 下級士官――十人長――の軍装をした兵にいきなり礼儀を尽くした挨拶をされてドミティア皇女は一瞬戸惑ったが直ぐに相手が誰だか気づいた。


「コーディウス様!」


 コーディウス・バステアは続いて男に向かってやや雑な敬礼した。


「閣下もいらっしゃったのですか」


 男はディアステネス上将だった。


「コーディウス殿下……」

「いや、もう追放されたから殿下ではありませんよ」


 ディアステネス旗下の軍はバステアの粛正に加わっていなかったし、部下の中のバステア一門の出身者を庇ったこともあり、コーディウスはディアステネス上将に悪い感情を持っていなかった。


 コーディウスのあいさつを受けた後、まっすぐにレフを見て、


「初めてお目にかかります。ドミティア・フェリケリウス・ルファイエでございます。レフ・ジン殿下」


――本当にイフリキア様にそっくりだわ。雰囲気はずっと鋭いけれど――


「はじめてお目にかかる、レフ・ジンです。同調もしてない魔器に貴女からの通心があったのには吃驚したが、なるほど、貴女の魔力にイフリキアのパターンを感じます。何か直接母が貴女に教えた魔法があるのでしょうか?」

「はい、魔纏を調節して頂きました」


 魔纏!魔力が身体の表面に出てくる!一番、魔力のパターンのわかりやすい魔法だ。見たい!


「もし、良かったらその魔纏を見せてくれないだろうか」


 思わずそう口に出していた。ドミティア皇女は少し目を見開いたが、


「えっ、はっ、はい、分かりました」


 他人ひとの前で魔纏を展開するというのは、これから攻撃するぞと言う意味もある。それ故、ドミティア皇女は少し躊躇った後で魔纏を発現した。


 魔纏を発現したドミティア皇女を、レフは半ば呆然として見ていた。補助の魔器もないのに見事な魔纏だった。そしてその魔力パターンは母によく似ていた。


 下ろされていた右手がゆっくり上がってくる。肘関節が直角近くになって手を前に、ドミティア皇女の方へ伸ばそうとして、はっと止めた。


「しっ、失礼!」

「いえ」


 ドミティア皇女は微笑んでいた。


「腕に、……触ってもいいだろうか?」

「どうぞ」


 ドミティア皇女はゆっくりと手掌てのひらを上にして左手を差し出した。わざとゆっくりにしたのは万一にも攻撃すると誤解されないためだ。レフは恐る恐る右手の人差し指から薬指までの指先でドミティア皇女の前腕に触れた。


――ああ――


 魔器越しに感じていたイフリキアの魔力パターンがそこにあった。勿論何から何までが同じではない。しかしさっきドミティア皇女は魔纏をイフリキアに調節して貰ったと言っていた。皇女の肌に直接触れていたに違いない。ドミティア皇女の肌を覆う魔纏には濃厚なイフリキアのパターンがあった。

 指が離せなくなった。レフには母に抱いて貰った記憶がない。母の肌に触れた記憶がない。生まれた直後には抱いてくれたに違いないが、物心付く頃にはもう引き離されていた。それからは魔器越しにしか母に触れたことはない。


――こんなに柔らかく、暖かい――


 いつの間にかレフの頬に涙が伝っていた。思いがけない物を見るような目でコーディウス、ディアステネスがそれを見ていた。


どれくらい時間が経ったか、ふっとレフは現実に戻った。少し慌てたように指を離した。


「し、失礼」

「いいえ」


 ドミティア皇女が微笑んだまま返事をした。


――鋭さが和らぐと本当にイフリキア様にそっくり。あんなに隙だらけで、魔纏している私が攻撃したらどうするつもりだったんだろう――


こほん!


わざとらしい咳払いをしてレフがドミティアを見つめた。





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