第136話 皇帝ラヴェト
「な、何なのだ、これは!!」
皇帝執務室にラヴェト帝の大声が響いた。書類を持つ手がぶるぶると震えている。握りつぶして引き裂こうとしてそれが公文書であることを思いだした。乱暴に丸めた紙を力一杯床にたたきつけた。ラズロック宰相から目配せされて、宰相の随員の一人がそれを丁寧に取り上げた。紙の皺をできるだけ延ばしながら宰相に手渡した。手に取ったラズロック宰相は書類に目を通した。アンジェラルド王の御璽が押された公式文書だった。
食い入るように書類を読むラズロック宰相をなんとも言えない顔でダスティオス上将が見ていた。読み終わってラズロック宰相は書類をヴェテル内務卿に渡した。書類は続いてシオジネン財務卿、ネクサーク外務卿に渡され、それぞれが自分の立場から一語一句検討しながら読んだ。書類の紙質、御璽の押し方、言葉の選択や区切り、行間からも読み取れる情報はある。
「ラズロック、どう思う?」
「和議の申し出、ですな」
ラズロック宰相の言葉にラヴェト帝は再度怒りを顔に表した。
「和議だと!シュワービスは返さぬ、捕虜の身代金を払え、自分たちの捕虜は無条件に釈放しろ、だと。降伏しろと言っているようなものではないか!」
最後に書類を渡されたネクサーク外務卿はそれを手に持ったまま、
――“言っているような”ではない、“言っている”のだ――
帝国の名が文章の最初に来ないように書かれている。対照的に王国の名が常に行の先頭に置かれている。そのために改行が不自然だ。王の御璽が署名の上に押されている。法などを布告するときの遣り方だ。要するに降伏を促す最後通牒だ。
宰相閣下は気づいておられるが、陛下はただ内容に激昂されているだけだ。しかし、陛下は激昂されているが、こちらから仕掛けた戦争で、それを鑑みると思いがけないほど寛大な条件だ。
「宰相府の考えを申しても良いでしょうか?」
「言え」
「ありがとうございます。宰相府としてはここで講和の会談を承知して、一旦休戦に持っていきたいと考えております」
ラヴェト帝の顔がまた怒りを浮かべたがさすがに頭ごなしに怒鳴りつけることはなかった。
「理由は?」
「この6日間、ミディラスト平野の街々を王国軍が襲っております。真夜中にいきなり街中で火の手が上がり主には領からの租税を入れた倉庫が燃えております」
「聞いている。峠の口の王国軍を囲んで蟻の這い出る隙もない砦を作ったというのに、王国軍が好きなように暴れているとな」
「それに関する軍部の責任はさておいて」
その言葉にダスティオス上将の目が殺気を帯びて宰相を睨み付けた。転移の魔法を使われて砦が無用の長物になっているとディアステネス上将も言っていた。王国が使う転移の魔法を阻止する方法は今の所、ない。だからと言って峠の口を扼している砦を空にしてミディラスト平野で王国軍と追いかけっこをするわけにも行かない。王国軍がどこに現れるか分からないし、砦の守りを薄くすれば真正面から抜かれる可能性もある。軍部としては、どこの街が襲われたと聞いて歯ぎしりして悔しがっても打つ手がない、と言うのが正直なところだった。
「このままではミディラストからの税収が激減する恐れがあります。夜中の焼き討ちだけではなく、輸送中に襲われる可能性も考えなければなりません」
ラヴェト帝は苦い顔をした。テストールへの街道で襲撃されたことを想い出したのだ.
「ですからここで会談のための休戦にもっていければ、その間に納められた税を皇都へ運ぶ事が出来るかと」
「なるほど。時間稼ぎがしたいのか。ダスティオス、軍はどう考えておるのだ?こんな屈辱的な条件をのまなければならぬほど、帝国軍は不利なのか!?」
――やはり分かっていらっしゃらない。峠の口を王国軍が押さえ、それを取り巻くように帝国軍の砦があると言うのに、王国軍はミディラストを気ままに跋扈している。王国の条件で和睦がなれば上々と言うのにー―
だが正直に現状を説明してどうなるか、やはり一度頭を冷やして頂かなければ……。
「軍としても時間を必要とします。特に探知・索敵、通心の魔法が開戦前に比べて著しく劣化しています。魔器の補充が、特に敵に破壊されない仕様の魔器がなければ戦になりません。魔法院で一つでも多くの魔器を作って供給する時間が必要です」
「破壊されない魔器?前線に有った魔器は破壊されたと聞いたが、いくら新しく作ってもまた壊されるのではないのか?」
「実は破壊されずに残った魔器が一つだけあります」
「なんだと?」
「ドミティア皇女殿下の魔器であります」
「何故それだけが破壊されなかったのだ?」
「殿下の話では、直接ではなくディアステネス上将からの又聞きでありますが、魔器の質が違うとのことです」
「魔器の質?」
「はい、そのように聞いております」
「どこが違うのだ?」
「ドミティア皇女殿下の魔器はイフリキア殿下が手ずから作ったものだそうです。その品質に達すれば破壊されずに済むかと」
「できるのか?」
「はっ?」
「できるのかと訊いている。イフリキアはもう居ないのだぞ。その後も魔法院では魔器を作り続けている。その魔器がことごとく壊されたのであろう?だんだんと魔器造りに習熟しているはずなのに、まだイフリキアの水準に達しないのであろう」
「はい、それで実はもう一つ方法があると、これもドミティア様からでありますが」
「聞こう」
「旧来の魔道具は壊されておりません」
「それは聞いたことがある」
「魔道具の紋様を魔器に使ってみたらどうかと」
ラヴェト帝は意表を突かれたように黙った。眉をひそめて考え込んだ。通心の魔器を見たことがある。魔道具とは一部重なるところもあったがずっと精緻で複雑な紋様だった。
「ドミティア殿下の提案で、魔法院で試してみたことがあるそうです。カルロ殿下が魔法院の魔法士に命じて」
「で、どうだったのだ?」
「魔道具の法陣でも魔器として作動したそうです。魔道具より性能が良かったがイフリキア殿下の魔器には及ばないと言う結果だったと聞いております」
魔器の性能になれた者にとっては物足りない性能だった。だからそれ以降作り続けることはなかったのだ。
「イフリキアの魔器には及ばないのか」
「はい、しかし旧来の魔道具を凌駕し、おそらく王国の魔器破壊攻撃にも耐えられるのではないかと思われます」
追いつくことはできなくても差を詰めることはできる。帝国領内が戦場になる――つまり地の利がある――ことを考えると差はさらに縮小するだろう。
「よし、分かった。魔法院でその魔器を作らせよう」
「そのためにも休戦期間は必要かと」
ラヴェト帝はしばらく苦い顔で考え込んだ。しかし結論は決まっていたのだ。
「ガラダ・ネクサーク外務卿」
「はい」
名を呼ばれてネクサーク外務卿は姿勢を正した。
「王国へ会談開催を受諾する旨連絡せよ」
「はい、早速に使者を」
「いや、待て」
「はい?」
「ドライゼール王太子に受諾の書類を持たせて帰してやれ」
「はい?」
「
「そ、それはそうですが、折角の人質を……」
「構わん、王国王太子と帝国上将が釣り合うのだということを
「分かりました。そのように手配いたします」
「発言をよろしいでしょうか?」
許可を求めたのはこれまで一言も発しなかったルサルミエ上級魔法士長だった。
「何だ?ルサルミエ」
「魔器を大量に短期間で作らなければなりません」
「そうだな、通心と探知・索敵の魔器は全部隊に配りたい。
「そのためにもカルロ・ルファイエ殿下が魔法院の方へ行くことをご許可ください」
カルロ・ルファイエ、フィラール・ブライスラ、ガリエラ・スロトリークの3人は未だ皇宮内に留め置かれていた。ラヴェト帝にとって信頼できる相手ではなかったからだ。
「必要なのか?」
「魔法院院長のゾバスターク卿は高齢の上、このところの多忙さで体調を崩しております。魔法院を叱咤するにはルファイエ殿下は是非必要かと」
魔力は多いが、カルロ・ルファイエも結構な年だったし、ルファイエ家は武張った家でもない。軟禁状態にある皇宮内でもおとなしい。何かに付け不満を口にするフィラール・ブライスラやガリエラ・スロトリークとは余り接触もせず、ルファイエ家に割り当てられている皇宮の一角で本を読んでいることが多い。
「よかろう」
少し考えて、ラヴェト帝は許可した。軍部がカルロ・ルファイエの行動の自由を要請したことの意味を重くは考えていなかったのだ。
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