第132話 コーディウス・バステア Part Ⅱの2

 コーディウス・バステアは思わず手放してしまった魔器を見つめていた。表面の法陣紋様に沿って起動された直後より淡い光が奔る。


「どうなったんでしょう?」


 ジオミールが呟くのに、


「魔器が起動している。多分私がやったんだろう」


 魔器の小さな突起が掌に当たったような気がする。あれが起動装置だろう。


「危なくはないのですか・」

「分からん。だがイフリキア姉から貰った魔器もこんな風になったあと、門が開いたな」


 取り上げようと手を伸ばしたときに魔器の様子が変わった。全体が淡く光ったのだ。慌てて手を引っ込めた。再度魔器を見直した。魔器の直上、20デファルの所に人影が現れた。瞬きするほどの時間で実体化すると、すとんと地面に降り立った。


「誰だ?」


 レダミオが姿勢を低くし、目を細めて剣の柄に手をかけた。


「待て!」


 制止したのはコーディウスだった。レダミオを手で制してレフに視線を向けた。軽く、ほんの少し頭を下げて、


「レフ・バステア殿ですな」


 レフであればアンジェラルド王国の王族と結婚しているため、コーディウスより少し上流になる。その分だけ頭を低くした。


「レフ・ジンだ。イフリキアが新しい家を立てた」

「レフ・ジン殿?」


 コーディウス・バステアがそう言ったとき、また魔器が淡く光った。レフの左側にシエンヌが転移してきた。


「レフ様、ご無事で!」

「シエンヌ、待っていろと言ったぞ。心配しすぎだ」

「はい、申し訳ありません」


 シエンヌは油断無く対峙している3人の男を見ていた。しかし明らかにレフを見てほっとしていた。


「この人達は?」


「彼が」


 レフは視線でコーディウスを指した。


「バステアの一族と言うことだ。魔器が起動したのはその所為だな」


 転移の魔器を起動できる他のメンバー――アリサベル、シエンヌ、ジェシカ、アルティーノ――はかなり細かく本人の魔力パターンに合わせてあった。しかしレフ自身は魔力パターンの一部を合わせただけだった。厳密にレフに合わせるとその膨大な魔力の所為で、それだけで法陣紋様が大きくなりすぎるのだ。それが偶々バステア一族の共通魔力パターンの部位だった。そのためにこのバステアの一族に属する男も魔器を起動できたのだろうと見当を付けていた。


 コーディウス・バステアは目の前の二人――一見力を抜いて立っているレフと油断なく構えているシエンヌ――を交互に見ながら、


「私はコーディウス・バステアという。今となってはバステア家の唯一の生き残りだ」


 厳密にはそうではない。皇家同士で何重にも複雑に婚姻を繰り返している。他家にもバステアの血の入っている人間は居る。そういう人間を全て処分するのはガイウス7世といえど不可能だった。しかし、バステアを名乗っていた人間としてはコーディウスが最後の一人だった。レフはその簡単な説明と口調だけで事情を、レフの所為でバステア家が族滅されたことを、察した。ただし、それが自分の責任だとは考えなかった。ガイウス7世の乱暴な処置に呆れはしても、レフにとってはあくまで帝国の内部事情に過ぎなかった。


「レフ殿は」


 コーディウスが言葉を続けた。


「本当にイフリキア姉様にそっくりだ」


 ジェシカにもそう言われたことがあったことを思いだした。


「私は物心ついてから母に会ったことがない」

「イフリキア姉様もそんなことを言っていましたな」

「母に会ったことが?」

「ああ、私は一族の中で一番イフリキア姉様に近かった。何度も魔法院に会いに行ったことがある。イフリキア姉様が自ら作った魔器を貰ったこともある」

「母の作った魔器?」

「ああそうだ。未だ試作品の段階だったから私に呉れてもばれないと言っていた」

「見せて貰っても?」


 そう言われて、コーディウスは少し逡巡する様子を見せたが、懐から魔器を取り出した。


「転移の魔器だ。5里ほど跳べる」


 手渡しながらそう説明した。レフは受け取った魔器をじっと見つめた。


「これは、……迎門の魔器だな。何回か使われたことがあるようだ」


 綺麗な法陣紋様だった。見ただけで分かる、母が作ったものに違いない。レフがイフリキアの作った魔器を見るのは、手元に持っていた通心の魔器に次いで2つめだった。紋様は違ってもそこには母の肉声が込められている気がした。


「ああ、そうだ。実際の性能を知るためと皇宮から脱出するときに使った。送門の魔器はその時に壊れてしまったが」

「母が、……これを貴方に渡したのなら、母は貴方を信頼していたのだろう」


 コーディウスの言葉に虚偽を感じなかった。彼が病的な虚言癖を持っているか、レフより大きな魔力を持っていれば騙せるかも知れないが、どちらもありそうもなかった。それに無理矢理母から手に入れたのなら、魔器が無事であるはずがなかった。取り上げられるよりは大量の魔力を流して破壊するだろう。手から離れても魔力をぶつけることくらいはできる。母の魔力なら簡単なことだ。だからコーディウスが送門と迎門、それに個人用の転移補助の魔器を持っていたのなら母が進んで渡したに違いない。


「ああ、多分、皇家の人間の中で一番信頼されていたと思う」

「ならば、私も貴方を信用しよう」


 レフは破顔した。右手を出してコーディウスの手を握った。シエンヌは同じように破顔してレフの手を握り返すコーディウスを油断無く見ていた。





「イフリキア様はいつも他人を拒絶するような雰囲気を纏っておられました。イフリキア様の置かれた環境を考えるとそれも仕方のないことに思えますが、あの整ったお顔で表情をなくされますと本当に取り付く島もないと感じさせられました」

「お前はどうだったのだ?ジェシカ。母の側にしばらく居たのだろう」

「はい、私は魔導銀の扱いが他の魔法使いより上手かった所為で、イフリキア様から少しだけ柔らかい表情を向けられました。しかし、私がイフリキア様の側にいたのは1ヶ月だけです。帝国の魔女様のお心を融かすまではとても……」


 “帝国の魔女”という呼び方は必ずしもその魔力の故だけではなかった。”帝国の魔女“は別名”氷の魔女“でもあった、魔女には出来るだけ近づくべきではない。


「そんなイフリキア様の表情が柔らかくなる方がお二人おられました。ルファイエ家のドミティア様とバステア家のコーディウス様です。私がイフリキア様の所に居た頃はドミティア様はもう士官学校に行っておられて魔法院に来られることはありませんでしたが、ふとした拍子にドミティア様の話題になり、その時のイフリキア様の表情は普段とは全く違う柔らかいものでした。『魔器を使わずに最上の魔纏ができるのよ、あの子。それにレフと同い年よ』って、仰ってました。それに私がおそばに居る間に一度だけコーディウス様が訪ねてこられましたが、お帰りになった後もしばらくは柔らかいお顔をなさっていました」


 ちなみにコーディウス・バステアを連れて帰ったとき、『どう思う?』というレフの質問にジェシカが言った言葉だった。

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