第131話 アリサベル砦

 レフは峠の口の砦に来ていた。砦の完成を祝う慰労会に出るためだった。テルジエス平原から延べ3000人余も動員して突貫工事で砦を完成させた。相場の日銭ひぜにが支払われたから、帝国軍との戦闘で荒れた農地を元に戻すための資金として歓迎された。収穫が戻るまでの繋ぎだ。また住民が減ってしまった地域もあり、そこに新しく入植した人々の当面の生活を支えるものにもなっていた。

 彼らをテルジエス平原に帰す前に慰労のための宴を設けようといったのはアリサベル副王だった。これまで馴染みのなかったテルジエス平原の半分近くをジン家が治めるようになる。その地ならしの意味もあった。彼らは交代で工事に従事したから、完成時に砦に居たのは1000人前後だったが相応の賃金を支払ったこと、完成祝いの宴を催して彼らにも料理と酒を振る舞うのは、ジン家の評判を上げると見込まれた。


 完成を機に旧王国砦をシュワービス第一砦、旧帝国砦を第二砦、新しく作られた砦を第三砦と命名することが発表されたが、第三砦はいつの間にかアリサベル砦と称されるようになり、10年も経つと公文書でもそう書かれるようになった。


 慰労会の前に完成した砦を見て回った。レフとアリサベル副王、シエンヌ、アニエス、ジェシカも一緒で、当然のようにアンドレ、アルティーノもいた。イクルシーブ中将を始めとするアリサベル師団の幹部達も一緒だった。


「ここがレフ支隊用の建物になります」


 ストダイック千人長が6棟並んだ一番右端の兵舎を指してそう言った。他の5棟はこの砦に常駐する1個連隊のためのものだった。レフ支隊は必要に応じて砦に詰める予定だったが、周囲が帝国領てきちということもあり、その機会は多いだろうと予想されていた。


「全体で最大半個師団まで収容できます」


 ストダイック千人長は峠の口の砦の建設責任者だった。完成すると駐留する連隊の指揮官に任命され、同時に上級千人長を拝命する予定だった。


「最後に砦壁と望楼を案内します」


 ストダイック千人長がそう言って砦壁の階段を上っていった。レフはイクルシーブ中将、アリサベル副王の後ろから付いていった。


 砦壁の上から遠くに帝国が建てた砦が見えた。王国の砦と帝国の砦の間にはかつては畑地や牧草地、雑木林や小規模な集落があったはずだが今は放りっぱなしの荒れ地だった。手入れされずに雑草に覆われた畑、基礎と残骸だけ残っている家々、穴ぼこだらけの道が見える。


「またご大層な砦を作ったものだな、帝国は」


 イクルシーブ中将の言葉に、


「はい、我々がここを作り始めてから大わらわで建て始めましたが、さすがに自国の領内なのでずいぶんな数の民を動員していました」

「レフにかかればあんな砦役に立ちませんわね」

「そうでしょうが殿下、王国われわれが砦を構えているのに自分たちは素通しで向かい合っているというのは気持ちが悪いものでしょう」

「それにしても旧態依然のままの砦にみえます。アンカレーブの闘いの様子など伝わっていないのでしょうか?」


 レフの魔器を使った攻撃の前には旧来の砦が役に立たないことは知られているはずだった。


「どんなふうに改良すべきか分からない、と言ったところでしょうな。ストダイック卿」


 帝国の砦を端から端まで何度か視線を往復させて、イクルシーブ中将が口を挟んだ。


「そう、そうなのでしょうな、確かに」

「で、我々と帝国あちらの間の広い野っ原はどうなっているのですかな?レフ殿」

「探知の魔器が設置してある。ほぼ隈無く探知網で覆ってあるから、例え一人でも気づかれずにこちらへ接近することはできない」

「それだけですかな?」

「いや、多少は攻撃用の魔器も置いてある」

「多少、……ですか」

「もし帝国軍が押し寄せてくるようなら、私に通心が入る。私か、シエンヌ、最近はアルティーノも使えるようになったが、誰かが直ぐにここに来て作動させることができる」

「まあ、帝国軍が不遜な気を起こさないように願いましょう、彼らのためにも」


 2里離れていても敵の気配は分かる。当然のように帝国軍砦を探った。


――あまり、戦意は高くなさそうだ――


 というのが、レフ、シエンヌ、アリサベル副王、それにジェシカの感想だった。




“それ”を感じたのは砦壁の階段の途中だった。思わず足を止めた。


「レフ様?」


 直ぐ後ろに居たシエンヌが声をかけた。レフの雰囲気が変わったのだ。


「こいつは……」

「何かあったのですか?」


 急に立ち止まったレフに気づいて、列を作って階段を下っていた全員が足を止めてレフを見た。剣呑な気配がレフの体から漏れ出している。レフはやや俯き加減に口を結んで首をゆっくり回していたが南東の方向に向いたときにピタッと止め、それから身体ごとそちらへ向き直った。


「転移の魔器を誰かが起動した。こっちの方向にある奴だ」


 レフが顎で方向を指し示した。


「転移の魔器を?」


 アリサベル副王とシエンヌ、ジェシカがレフと同じようにレフの示した方向を探った。


「本当だわ」


 アリサベル副王が言うのに、


「でも」

「まさか」


 シエンヌとジェシカが疑問を口にしようとして、途中で口を閉じた。


「どういうことですかな?レフ殿」


 イクルシーブ中将に問われて、


「帝国領に置いていた転移の魔器が起動した。この前、新帝を襲撃するときに使ったやつだ」

「それが?」


 イクルシーブ中将はレフ達が転移の魔器を使って王国のみならず帝国内もうろうろしていることは知っていた。知らなかったのはレフが作った転移の魔器を起動できるのはいまのところレフ、アリサベル副王、シエンヌ、ジェシカそれにアルティーノだけだということだった。レフがそういう風に法陣を組んでいた。レフが事情を説明すると、


「転移の魔器を帝国に取られたってことですか?」


 イクルシーブ中将は慌てたが、


「起動できても使い方を知らなければ転移はできない」


 と説明されて落ち着いた。


――しかし、


「気になる」


 帝国に転移の魔器を起動できる人間が居る、起動するだけでなく作動させることができるようになるかも知れない。法陣の見本があれば帝国魔法院で作ることもできる。それくらいの実力は帝国魔法院にはある。そうなれば現在の圧倒的な差が縮まる可能性が有る。


「ちょっと様子を見てくる」

「「レフ(様)!」」


 アリサベル副王とシエンヌが同時に悲鳴に似た声を上げた。


「危険です、帝国てきの領内なのですよ」

「そうです、レフ様。敵が罠を張っているかも知れません」

「確かめないわけには行かない。今後の方針にも関わってくる」

「それなら私が行きます!」

「駄目だ、シエンヌ。お前が行く方が危ない」

「私は替わりが利きます。レフ様は替わりが利きません」


 シエンヌは必死だった。帝国がレフを目の敵にしているのは当然で、何とか排除したがっている。どんな罠を張って待ち構えているかも知れないと思うとレフを行かせることなど論外だった。


「私の方が危険が少ない。待っていろ」


 強引にそう言うとレフの姿が消えた。


「レフ様!」


 シエンヌの悲鳴に似た声が響いた。




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