第128話 再会

 男は落ち着きなく、広い部屋の中を歩き回っていた。毛足の長い絨毯は乱暴な男の足音を吸収して騒々しい音は立てなかったが、床が石だったら煩くて仕方なかっただろう。男はもう初老期に入ろうとする年齢だった。それまでの短くない人生においてもこれほど落ち着かない気分にさせられたのは初めてと言って良かった。


「落ち着きなさい、あなた」


 女の方は座り心地の良い椅子に一見悠然と座っていた。しかし、宿から提供された薫り高い茶を入れた茶器を持つ手が細かく震えていた。


「そうは言うがな、トリーシャ。副王府からの呼び出しなんてただ事じゃないぞ」

「大丈夫よ、ステファン、悪い話なら副王府から迎えにあんな上等な馬車を差し回してくるなんてはずはないし、手配してくれたこの宿だってアンジエームで一、二の格式を誇る宿よ」


 二人の収入ではとても泊まる気になれないような高級宿だった。その中でも寝室と広い居間が分かれている上等な客室で、ステファンと呼ばれた男はその居間の中を落ち着きなく歩き回っているのだ。


「なんだかトリーシャ、お前は何の話だか知っているような口ぶりだな」

「まさか。私にだってどんなことで副王府に呼ばれたかなんて見当も付かないわ。しかも貴方だけでなく私まで」

「この宿で待機していろと言う話だったが、もうすぐ昼だぞ、いつまで待てば良いんだ?」

「とにかく落ち着きなさい。取って食おうなんて話じゃ無いと思うわよ」


 馬車が迎えに来たのはアリサベル王女の結婚式から3日目のことだった。1日半をかけて昨夜遅く王都に着いたのだ。この宿に案内されたときは思わず腰が引けた。副王府が支払うという話に胸をなで下ろした。

 迎えに来た副王府の役人に呼ばれた理由を尋ねても首を捻るばかりだった。アリサベル王女から直々に命じられたのだが、理由など教えられていなかった。


 ドアに控えめなノックがあったのはその時だった。二人は顔を見合わせて、男の方がドアを開けた。ドアの外に立っている人物を見て男は硬直した。


「シッ、……」

「お父様」


 感極まったようにその人物が声を出した。その声を聞いて女がドアの方へ走ってきた。忘れることなどできない声だ。


「シエンヌ!」

「お母様!」


ドアの外に立っていたのはシエンヌだった。ぶつかるように母に抱きついた。


「お母様……」


 他の言葉は出てこなかった。


「シエンヌ」


 二人とも相手の背中に回した腕に力を込めた。もう二度と引き離されないというように。


「し、死んだと聞いて、……訓練中の事故で死んだと聞いていたぞ」

「お父様」


「それについては私から話そう」


 横から声をかけられてステファン・アドルとトリーシャ・アドルは初めて他に人がいるのに気づいた。ステファンは首をかしげた。見覚えのある様な気がしたが直ぐには思い出せなかったのだ。


「ア、アリサベル殿下」


 トリーシャは直ぐに気が付いた。慌てて二人とも片膝をついて色代した。


「入っても良いかな?」

「はっ、はい!」


 二人が立ち上がって、アリサベル副王が部屋の中に入ってきた。後ろからロクサーヌが続いて入ってきてドアを閉めた。廊下には未だ1個小隊の護衛の兵がいたが彼らはそこで待機を命じられていた。


思いがけない訪問客にどう対応して良いのか分からないまま、


「どうぞ」


 とステファンが椅子を勧めた。アリサベル王女は頷いて腰掛けた。


「お茶を」


 とトリーシャが言いかけるのに、


「いや、私も余り時間が無い。お茶は良いから手短に話そう。座って欲しい」


 アリサベル王女が自分の前のソファを手で示した。そう言われてステファンとトリーシャはおそるおそるアリサベル王女の対面に座った。小領主が王女と向かい合わせになるなど滅多にあることでは無い。二人ともこちこちに固まっていた。シエンヌが座った両親の横に立った。


「お、王女殿下、ご結婚おめでとうございます」


 トリーシャの言葉にアリサベル王女は嬉しそうに笑った。ステファンも慌てたようにトリーシャに倣って頭を下げた。


「ありがとう」


アリサベル王女も余り堅苦しくするつもりはなかった。二人に笑顔を向けて、


「シエンヌは私の命令で秘密の任務について貰っていた。どんな任務かを話すことはできないが」

「そうでございましたか、それで死んだことに」


 得心がいったようにステファン・アドルが頷いた。


「そうだ。如何してもそうする必要があった。しかし任務に付いてはくれぐれも詮索無用だ」

「シエンヌはその任務を無事に果たしたのでしょうか?」

「ああ、おかげで帝国軍を王国領からたたき出すことができた」


 そんな任務だったのか、きっとアリサベル師団の成立に関することなのだろう。いきなり出てきたアリサベル謎の師団の成立については、平民の間だけではなく、貴族達の間でも色々な噂が飛んでいた。ステファン・アドルは勝手にそう納得した。


「娘が、シエンヌがお役に立てたのなら、幸甚でございます」

「それでシエンヌは今アリサベル師団に属している。アリサベルわが師団に欠かせない人材となっているから、悪いがアドル領に返すわけには行かない。少なくとも帝国との戦争が続いている間はな」

「王宮親衛隊に入ると決めたときから、シエンヌは私達の手を離れております。どうか存分にお使いください」


 王女が頷いた。


「もう一つ話がある」

「なんでございましょうか」

「私が降嫁してテルジエス平原に所領を拝領したのは知っているな?それで新しい家を立てた、ジン家という」

「はい」

「それでこれまで独立系だった中・小領主の中にジン家の庇護を求める家が出てきた。主にはテルジエス平原に領を持つ者達だが」

「聞いております」

「アドル家にも、エンセンテを離れてジン家に付いて欲しいと思っている」


 思いがけない申し出だったが、ステファン・アドルは即答した。


「はい、シエンヌがアリサベル師団に居るのなら否やはありません。ジン家を頼らせて頂きます」

「そう言ってくれると思っていた。承知してくれるならグライゼ家の所領をアドル家に組み込もう」

「えっ?」

「当主と跡継ぎが戦死してしまって、近隣の領主達が取りあえず沙汰が決まるまで協同で統治していると聞いた。アドル領の隣でもあり丁度良い。既にジルベール陛下の許可は得てある。形式として王家からの直接の下賜だ」


 思いがけない話だった。ステファン・アドルは思わず深く頭を下げた。


「有り難き幸せに存じます」


 グライゼ家はテルジエス平原の中の小領主だった。土地も人口もアドル領のほぼ5倍の領を統治していた。それでも”小”だったのだから、アドル領の小ささが分かる。グライゼ家は上昇志向が強く、エンセンテ一門の中での地位を高めるべくレクドラムの戦いにほぼ全力で出陣した。宗家当主だったディアドゥ・エンセンテからの直々の要請だったからだ。敗戦に逃げ遅れて当主と後嗣を失い、領軍が全滅した。

 テルジエス平原から帝国軍が追い出された後、無主になった領地を近隣の領主達が面倒を見ていた。いずれどうするか沙汰が下るまでの一時的な処置だった。それがアドル家のものになる。アドル家はこれまでの6倍の勢力を持つ領主になるわけだ。さらに言えば、これまではエンセンテ宗家から領を貰っている形であったのが、王家から直々に下賜される形になる。アドル家はこれまで陪臣であったのが直臣になった。つまり正式の貴族に列せられる。規模として”小”であることに違いは無かったが。


「うん、私の用事はこれだけだ。シエンヌ、仕事が山積みで私は副王府に帰らなければならない。積もる話もあるだろう、今日は両親と過ごせばよい」

「ありがとうございます」


 深々とお辞儀をするシエンヌを部屋に残してアリサベル副王は副王府に帰った。







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