第127話 宴 2


 華やかな宴の席の片隅でグラスを片手に相変わらずボソボソと喋っているのは宰相府の中堅官僚達だった。彼らはこの場に居ることは許されていても宴に参加しているわけではない。あくまで黒子だったから、出席している上司に挨拶に行く必要などなかったし、飲み物と食べ物も別に供与されていた。彼らの一番の勤めは誰が出席していて誰が欠席したのかを記録しておくことだった。なにしろ受付で名前を書いていく習慣などなく、王国の要人を漏れなくチェックするためにはそれなりの人数の官僚が必要だった。


「軍からはグリツモア海軍上将、イクルシーブ中将、第三軍の司令官になったトレヴァス上将、親衛隊のフォルテス下将、ロドニウス上級魔法士長あたりが主なところか。貴族はアルマニウス宗家、ディセンティア宗家の当主が来ているな。それにアリサベル殿下に重用されているベニティアーノ卿も」

「軍と大貴族家からの支持は厚いようですね」

「エンセンテが来ていませんね」

「ディアドゥ殿が戦死してから誰が後を継ぐか未だにきめられていないような有様ですからね。テルジエス平原の半分近くをジン家に取られて尚のこと勢いが落ちてますしね。互いに牽制し合って結局は誰も呼ばれなかったと聞いてますな」

「まさか私が生きているうちにエンセンテの没落を見る事になるとは!」


 対帝国戦が始まる前、3大貴族家のうち一番勢いがあるように見えたのはエンセンテ一門だったのだ。ただし宗家の当主だったディアドゥ一人が突出していたと言って良く、ディアドゥ亡き後はリーダーを失って一門内をまとめることが出来る人材に欠けていた。ディアドゥが意図的にエンセンテ一門のNo.2になりそうな人物を潰していた所為もあった。ディアドゥには子供ができるのが遅く長男でもまだ9歳だった。王家から嫁いだ正室に子供ができず、側室を迎えるのが正室への遠慮もあって遅かったからだ。それでも跡継ぎができたことに喜び、ディアドゥ・エンセンテはこの跡継ぎを脅かす可能性の有る一門内の人間を排除していた。他の一門に養子に出したり、国軍に入れて帰参を許さなかったり、外国へ出しっ放しにしたり、方法は様々だったが。


「アルマニウスの天下が来たということですか」

「アリサベル師団に食い込んでいますしね。カジェッロ家などレフ支隊の幹部がいると言うだけで勢いが増していますからね」

「アルマニウス宗家としては面白くないんじゃないですかね」


 一門外に対しては結束しても一門の中で勢力争いをするのは通例だった。宗家が何か失敗すれば交代することもあるし、失敗しなくても勢いを増した分家が取って代わることもある。現に3大貴族家と言われるアルマニウス、ディセンティア、エンセンテの宗家もアンジェラルド王国創立当時とは別の家に変わっている。それでも3大貴族家そのものは続いていたが、この戦争で入れ替わり――エンセンテとジン――がありそうであり、入れ替わりがなくても3大貴族家が4大貴族家になる可能性を官僚達は感じていた。大貴族家の変化は当然王国の経営にも影響を与える。まして今回は王家の中の勢力変化まで伴っている。未だ政治色の薄い中堅官僚達は、半ば面白げに政治勢力図の変遷を眺めていた。


「なに、カジェッロなどまだまだです。元が小さいですからな。それよりベニティアーノの方が気になるでしょうね、宗家としては。アリサベル副王に個人的な影響力を持っているという噂ですから」

「でも、アリサベル殿下の婚姻の立会人はカデルフ卿が勤めていますな」

「コスタ・ベニティアーノが譲ったと聞いてますよ」

「コスタ卿は賢いですからな。うまく泳いでいくんじゃないですか」

「副王府にも何人も事務官を入れてますからな」


 官僚達にとってはこちらの方が問題だった。実質的に政策決定機関である副王府でアルマニウス一門、特にコスタ・ベニティアーノの発言力が大きい。


「まあ、今のところは宰相府からも出向者を受け入れてますから」

「しかし油断は出来ませんな」


 地位としては宰相府からの出向者の方が上にいる。しかしアリサベル副王の政治上の腹心といえるのはコスタ・ベニティアーノだ。宰相府からの出向者に相談されるのは事が決まってから一応形式的に、という事態も起こっていた。


「ディセンティアがおとなしいのが幸いですかね」

「まあディセンティアもルージェイの反乱の後遺症が残っていますからね。私としてはよくこの場に招待されたものだと思いますよ」

「招待されても遠慮するんじゃないですかね、普通は。あんな失態の後では」

「侮れない海軍を未だ持ってますからね。アリサベル副王に従うなら強いて排除する必要は無いと判断されたのでしょう」

「コスタ卿かカデルフ卿辺りからの入れ知恵でしょうが、アリサベル殿下、なかなか油断できない判断をされますな」

「それより、王家……」

「そうそう、王家からはジルベール1世陛下とご生母のベアトリス妃だけがご出席なのか」

「マルガレーテ妃はゾルディウス王が亡くなって以来、気分が優れないと伏せっておられることが多いからな、葬儀も欠席なさったのにこんな宴には来られないのは理解できるが……」

「側妃の方々も、正妃が具合が悪いとのことで欠席している宴席には出にくいでしょうしね」


 マルガレーテ王妃とアリサベル副王の間の暗闘など彼らは知らなかった。何かあったらしいことはうすうす気づいても、むやみに藪をつつく気はなかった。出てくる蛇は彼らを飲み込むほど大きい可能性もあったのだ。それよりも彼らにはもっと注目すべきことがあった。


「しかし……」


 言いかけた男はわざわざ頸を回らせて会場を一渡り見た。声を落として、


「ベルエア王太子妃や他の側妃の方々が一人もお出でになってない」

「まったく、表面くらい繕えば良いものを。笑顔を浮かべて挨拶するくらいの器量があれば未だ王太子殿下の復活も有り得るのに」


「それに……」


 言いかけた男はさらに声を落とした。


「ドライゼール殿下に肩入れしていた方々は頭の痛いことでしょうな」

「ああ、ゴーセック財務卿などこのところ不機嫌で適わない」

「まあ、とばっちりを食わないように気をつけなければいけませんな」

「上が誰になっても我々は粛々と仕事をしていれば良い。以前も我々の所にまでドライゼール殿下につけ、あるいはレアード殿下につけ、などと言ってきていたわけではないし。上の方々のように色濃く政治色が付いているわけでもない」

「上は大変でしょうな、こんな風に風向きが激変すると吹き飛ばされる方も出るのでは?」

「特にゴーセック財務卿やガイロック商務卿などはドライゼール殿下に入れ込んでいましたからね。ああ、エンダイム内務卿も、でしたね。吹き飛ばされれば我々の芽も出てくる可能性も有るでしょうし」

老害が一掃されれば宰相府も少しは風通しが良くなるかも知れませんね」

「特に財務卿に商務卿ですか、ドライゼール殿下も黄金色がお好きだったから」

「しっ、声が大きい、滅多なことは言わぬ方が……」


 ドライゼール王太子の事を過去形で話しているのに男達は気づかなかった。


「ああ、壁に耳ありだからな」


 男達は肩をすくめて酒を口に含んだ。男達が普段は滅多に飲めないような良い酒だったが、酒そのものの味より刺激的な味がした。




 アリサベル王女は形としては降嫁となり王族ではなくなった。代わりにジン家が王国貴族――独立系の高位貴族――として遇される。特例ではあったがアリサベル・ジェミア・ジンの副王として地位は継続され、ジルベール王を補佐しつづけることになった。

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