第126話 婚姻 1
「姫様、本当にお綺麗です」
ほとんど溜息交じりの賞賛に、
「貴女も綺麗よ、シエンヌ。よく似合っているわ」
同じように褒め言葉でアリサベル王女が返した。
「良いわよね、二人とも。ちゃんと着こなせているもの、それに比べるとあたし達……」
アリサベル王女とシエンヌから少し離れたところで、小声でボソボソとアニエスが零した。侍女達に取り囲まれて長い時間――単に服を着るだけにしては経験したことないほど――をかけて着付けをしたのだ。これも今まで身につけたことがないほどの
「着なれないものを着ても、身につきませんね」
「それにコルセットがきついわ」
アニエスとジェシカが顔を見合わせ、互いの格好を見ながら諦めたような表情を浮かべた。
「何を言っておられるのですか、お二人とも。似合っていますよ。これから姫様の横に並ぶのですからしゃんとしてください」
アニエスとジェシカの声を聞きつけたアリサベル王女付きの侍女長が軽い叱責を込めて言った。
「すぐに巫女が迎えに来ますから、着崩さない様にお願いします」
アリサベル王女、シエンヌ、アニエス、ジェシカの4人――もっとたくさんの人間が周囲に居たが本当にこの場に必要なのはこの4人――がいるのはアンジエームの総神殿の中のメリモーティア分神殿の一角だった。
メリモーティア神は契約と知識の神で、4人がここに居るのはメリモーティア神の前でレフとの婚姻の契約を執り行うためだった。
アリサベル王女が言い出したことだった。
『あなた達は良いわよ。いつでもレフの側にいられるのだもの。でも私は王宮に釘付けで、2~3日に一度レフが顔を出してくれるけれど、それだけ。レフに付いて行こうとするとジャンヌ――侍女長――が眉をつり上げるわ。貴女たちはいつでもレフに凭れることが出来るのにひどいと思わない?結婚すればレフの側で夜を過ごすことができるわ。今のあなた達のように』
アリサベル王女の言にレフが頷いて、3人にとってはあれよあれよという間に準備が進行した。
結婚もしていない男女が共に一晩を過ごすことがタブーというわけではなかった。平民なら子供ができてからあわててメリモーティア神の神殿に駆け込むことも多かった。神殿の婚姻台帳が戸籍の代わりのようなものでもあったから、神殿で婚姻の契約をしなければ生まれる子供は無戸籍になる。
しかし、高位貴族、特に王族は血統で身分を繋いでいく。男も女も、どこの誰とも分からない相手と子を成すわけには行かないのだ。いやどこの誰と分かっていても、当主の認めた相手以外とくっつくなどと言うことはできなかった。と言うことで婚外セックスは少なくとも後嗣が生まれるまではタブーだった。その代わりのように後嗣ができた後はかなり自由に相手を作ることができたし、周りも余りうるさく言わなくなる。政略結婚であっても愛し合うようになることはあったが、そうでない場合は男も女も中年と呼ばれる年齢になってから羽目を外すことは珍しくなかった。
アリサベル王女はそういう習慣に縛られてレフの側にいられないのが不満だった。
『戦争が一時的にだけれど、落ち着いているわ。あなた達も丁度良い機会だから一緒に式を挙げましょう』
殆どアリサベル王女の独断で決まったようなものだった。侍女達が4人のサイズを測って式服を整えるのに20日間、その間に招待状を送り、会場の準備をし、神殿の行事に強引にねじ込んでこの日を迎えたのだった。
アリサベル王女は純白、シエンヌは薄いピンク、アニエスはベージュ、ジェシカは薄緑を基調とし、金糸、銀糸で刺繍を施したドレスを着用していた。どれも王宮御用達の服飾職人達が殆ど徹夜で仕上げたものだった。ドレスは最上の絹を使い、仕上げは丁寧で4人の間に差は無かったが、ティアラはアリサベル王女のものに比べると他の3人は簡素なものを被っていた。
レフは苦笑するだけで何も言わなかった。尤もレフにもこれを機会やっておきたいことがあったのだ。
メリモーティア分神殿の巫女が顔を出したのは挙式予定時間の小半時も前だった。
「シエンヌ様、アニエス様、ジェシカ様に一緒に来て頂きたいと存じます」
名を呼ばれた3人は顔を見合わせた。はて、なんだろう?それにアリサベル王女の名がないのはどうして?
アリサベル王女が3人を見てにっこりと笑った。
「用事があるのでしょう、行ってらっしゃい」
「でも、式までもう時間がありませんが……」
「大丈夫よ。もうメリモーティア様の分神殿に居るのだからよほどややこしい用事でない限り間に合うわよ」
「姫様は……」
ジェシカが言いかけるのにかぶせるように、
「ぐずぐずしていたら本当に時間がなくなるわ。行ってらっしゃい」
半ば強引に追い出されて、3人が案内されたのは結婚式場とは逆方向にある、広いが簡素な部屋だった。
「「「レフ様」」」
そこで待っていたレフに気づいたのは3人が殆ど同時だった。儀式用の服に身を固めたレフの横に初老の、神官服をきた男が立っていた。神官服の模様から見てメリモーティア分神殿の神殿長ではなく司祭長クラスの神官だとシエンヌは判断した。
「このお三方が?」
神官が尋ねて、
「そうだ」
レフが応えた。訳が分からずポカンとする3人に、
「シエンヌおいで」
とレフが声をかけた。
「はい」
近寄ったシエンヌの正面にレフが立ち、両手をシエンヌの肩に置いた。置かれた手から何か、ちくりとしたものが流れ込んだと思ったら、両乳房の間の皮膚が赤く光った。服越しにも分かるほどの強さの光だった。
「あっ、隷属紋?」
シエンヌはすっかり忘れていたのだ。レフと一緒に行動するようになって最初期の頃を除けば隷属紋を意識することなど無くなっていた。胸に浮いた隷属紋がすーっと体を離れ中空に浮かぶ。
「おおっ。これは」
感極まったように神官が声を発した。隷属紋とは言え、見たことがないほど精緻で見事な紋様だった。
「我、レフ・ジンはシエンヌ・アドルの隷属の契約を解消する」
レフがそう述べると、シエンヌの前で中空に浮かんだ紋が徐々に薄くなり、ふっと消えた。シエンヌは半ば呆然としていた。
「よし、次はアニエスだ」
「はっ、はい」
同じように肩に手を置く。アニエスの場合は後頸部に青い紋様が現れる。アニエスの体を離れ、レフが契約の解消を口にすると薄くなり、消える。感心したように神官が見つめていた。
「さて、最後はジェシカだ」
「わ、私は隷属紋を刻まれていませんが……」
「おいで」
近付いたジェシカの両鎖骨の間にあった拘束の魔器に指を触れる。とたんに数カ所で魔力の流れが途絶え、後に残ったのは綺麗な紋様――何の意味も無い綺麗なだけの紋様――をもった装飾品だった。
「確認しました」
立ち会っていた神官が丁寧に辞儀をして部屋を出て行った。
「これは?」
シエンヌの疑問に、
「いや、隷属紋や拘束の魔器があると婚姻の契約が十全なものにならないと言われたのでね。丁度良い機会だからお前達から外してやろうと思ったのだ」
これまでも何度か隷属紋をはずそうとして機会を逃していた。結婚を機に少し強引にでも外すことに決めた。 “婚姻の契約が十全なものにならない”と言われても婚姻はできるのだ。ただ、隷属紋が付いたままでは正室になれないし、生まれた子が家を継ぐこともできない。
「なんだかあたしとレフ様の間の絆が少し細くなったような気がします。ちょっと心細いような……」
「「私も、です。レフ様」」
「大丈夫だ、婚姻の契約をこれからするのだから絆はもっと太くなる」
「そうですね」
隷属紋が刻まれていた辺りの皮膚を俯き加減に指でなぞりながらシエンヌが応えた。あの紋は自分とレフを繋ぐものでもあったのだ。無くなって心細いが、今からもっと強い絆を結ぶのだ。シエンヌは顔を上げた。まっすぐにレフを見て、
「はい」
レフの腕をとった。それを見て慌てたようにアニエスが反対側の腕をとった。
「時間も無くなる、行こうか」
レフにしがみつくようにシエンヌとアニエスが歩き出し、その後ろをジェシカが、只の装飾品に変わった拘束の魔器を胸元で握りしめて続いた。
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