第125話 砦の望楼で

「やはりここにいらっしゃったのですね」


 声をかけられてレフは振り向いた。アリサベル王女がニコニコ笑いながらそこにいた。味方の領域内では敵意を持たない存在の接近に対しては探知を切っていた。だから直ぐ近くまで王女が来るのが分からなかった。


 レフも笑顔を浮かべて、


「これはアリサベル殿下」


 とたんにアリサベル王女は頬を膨らませた。


「殿下ではありません。アリサベルとお呼びください、様」


 いつもの癖だった。人目のあるところでは如何しても敬称を付けてしまう。今ここ――高い望楼の上――にはレフとアリサベルしかいなかった。一番口うるさいロクサーヌも王宮に置いてきたところだ。なにしろ、アリサベル王女は未だ他人を連れて長距離を転移できるほど能力ちからはない。忙しい政務――アリサベル王女は内心忙しすぎると思っていた――にやっと僅かな時間を見付けて王宮からレクドラム経由で、ここ――シュワービス峠の帝国側の口――まで転移してきたのだ。婚約しているのに自分は王宮で政務に忙殺され、レフはシュワービス峠に釘付けになっているというのがアリサベル王女の大きな不満だった。


――だって2~3日に1度くらいしか会えないのですよ、それもほんの短い間だけ――


 シュワービス峠の帝国側の口に作られていた防柵を本格的な砦にする工事が進められていた。空堀をほり、砦壁を築き、長期間滞在できるように兵舎を整備し、倉庫を作る、そのためにアリサベル師団に属さない作業員達が千人余、主にはテルジエス平原から動員されて砦の建築にあたっていた。そのためレフは日中、作業時間帯は工事現場に居て、2~3日に1度は就寝前に短時間――半刻ほど――王宮に渡って王女の話し相手になると言う生活をここしばらく続けていた。


「随分できましたね」

「7~8割という所かな。空堀の深さが未だ予定の三分の一くらいだから」


 砦の中の目立つ建物の外観はほぼできあがっている。現在内装工事中だ。砦壁も細かい仕上げは残っているものの予定の高さには達している。設計では砦壁の高さを4ファル、空堀の深さを1ファルにすることになっていた。ちなみに空堀の幅は2.5ファルだった。

 今も盛んに掘削作業をしているが、作業中に帝国軍てきに襲われないために、常に2個大隊の兵が作業現場の向こうに待機、警戒している。


帝国軍むこうもかなりできているように見えますが……」


 アリサベル師団が本格的な砦を作り始めると、最初は様子を見ていた帝国軍もアリサベル師団の砦から2里離れて対峙する砦を作り始めた。王国の砦をぐるりと囲むように半円形の砦だった。峠口を降りてきてミディラスト平野に入る場所に築かれつつある王国軍の砦の壁の長さがほぼ100ファルであるのに対し、帝国の築いている砦の壁は2里近くあるだろう。それにアリサベル師団は砦壁を石造りにしているが、帝国は石と木の混在した壁だった。王国が砦を作り始めたのを見て慌てて材料を集めたが、壁が王国側よりかなり長いこともあり、十分に集められなかったのだ。それでも帝国としては壁を作らないわけには行かなかった。何もしなければ臣民が、帝国は抵抗を諦めたと思ってしまう。例え見かけだけだと分かっていても臣民の手前、王国軍を防ぐための壁は必要なのだ。


「ああ、大慌てで作っているね。こちらがその気になればあんなものは無駄なんだけれどね」

「かなり頑丈そうに見えますが……」

「何度も城壁を破壊するところを見せているはずなんだけれど……、いままでと同じ造りでは爆裂の魔器は防ぐ事が出来ない。対応できていないようだね」

「石で作っている所も駄目なんですか?」

「駄目だね」


 にべもないレフの言い方にアリサベル王女はクスッと笑った。


「じゃあ如何すれば良いんです。レフの爆裂の魔器で壁を壊されないためには」

「本当は秘密なんだけれど……」

「教えてくれませんか」


 アリサベル王女はレフに腕を絡めて体をもたせかけ、上目遣いにそう言った。


「誰に教わったの?こんな遣り方を」

「侍女達です。こうすれば男性は抵抗できなくなると」

「アリサベルは油断のならない侍女団を抱えているようだ」

「教えて頂けます?」

「壁の厚さを厚くするんだ。土を固めても良いし、石を積んでも良いけれど、もっと厚い壁を作れば何とかなる。あんな薄い壁では爆裂の魔器には耐えられない」

「厚い壁を、ですか」

「そう、5から10ファルもあれば良いかな。正面は急峻にしなければならないけれど、後ろはなだらかな斜面でも大丈夫」

「そんなに厚い壁ですか。作るのに時間がかかりそうですね」

「戦争のやり方が変わったから。厚い壁であればその上で多少爆ぜたとしても壊れるところまではいかない。まあ、こちらから積極的に教えてやるつもりはないけれど、帝国もそのうち気づくかな」

王国軍うちの砦壁は従来通りの造りに見えますが」

「帝国軍はまだ爆裂の魔器に相当する武器を持っていないから。ああいう武器を帝国軍が持つようになれば作り替えなければならないね」

「砦の造り方から変えなければいけない、と言うのであれば人も物もお金も随分かかるようになりますね」

「これからは兵が戦場で闘う以外にいろんな要素が入るようになる。これまで以上に国力、つまり人の数、富の多寡、産業構造、民の士気などが問われるようになる」

「いつまで続くのでしょうか?この戦」


 思わず口を突いた疑問だった。長引く戦争は王国を疲弊させていた。帝国も疲弊しているに違いない。なのに終わらせる算段もなくダラダラと続いている。


「王国人が何を望むかによって異なるな。帝国を叩きつぶすことを望むか、適当なところで講和することを望むか」

「叩きつぶすことができるのですか?」

「今、戦は王国に有利になっている。帝国はそれを覆す手段をもっていない。私の使っているような攻撃魔法を開発すれば何とかなるが、イフリキアの居たときでさえそんなものは造れなかった。だから、多大な犠牲を覚悟すれば帝国を叩きつぶすことは可能だと思う」

「多大な犠牲?どれくらいの犠牲が必要なのです?」

「帝国を叩きつぶすとすれば必然的に戦場は帝国内になる。周囲が全て“敵”という中での戦はきつい。おそらく王国が今までに払った犠牲と同程度の損害は覚悟しなければならないかな」

「そんな!」


 周到に対王国戦の準備をしてきた帝国でさえ、周囲全てが敵というテルジエス平原を治めるのに苦労していた。何とか統治機構を作り上げ、テルジエス平原の民に枷をはめたがアリサベル旅団――後に師団――というイレギュラーが出てくればあっさりと覆された。対帝国戦を想定していなかった、まして帝国の領土を統治することなど想像もしていなかった王国は泥縄で帝国を押さえつけるしかない。そして押さえつける力を強くすればするほど反発も強くなるだろう。


「戦を終わらせるかどうか、どんな条件で終わらせるのか、それを決めるのは政治の役割だな。確かにこの戦は長くなりすぎたし、そろそろ終わらせることを考えても良い頃合いだと思う」

「レフは、帝国を叩きつぶさなくても良いのですか?あなたの母君の仇をとらなくても」

「ガイウスが死んだから、直接の怒りの対象がいなくなった。帝国全体を叩きつぶさなければ気が済まない、というほど帝国そのものを恨んでいるわけではないから」

「そう、なのですか」

「今が良い機会かも知れない。戦は王国の有利に傾いていて、この前はその事実を嫌と言うほど新帝に見せつけたし。あの後新帝は皇都にいる、何を考えているか分からないけれど少なくとも積極的に動こうとはしていない。シュワービスは我々が確保している。まだ東の闘いが残っているが、索敵・通心の差を考えると帝国が優位になるとは思えない」

「どんな条件なら良いと思います?レフは」


 レフが少し考えた。


「シュワービスは王国が抑えたまま、つまり帝国へ攻め込もうと思ったらいつでも可能な状態を維持して、他は賠償金かな。帝国が賠償金と言う言葉を嫌がるなら、捕虜の身代金と言い換えても良い。捕虜交換で帝国のみが身代金を支払うという形にすれば実質賠償金だろう」

「随分寛大な条件に見えますね。レフそれでいいのですか?」

「さっきも言ったように帝国そのものを強く恨んでいるわけではない。それより私には一緒に生きてくれる仲間ができた。アリサベルを含めて大事な仲間が」


 レフの言葉にアリサベル王女は頬を染めた。


「そ、そうですか……」


 アリサベル王女はレフに絡めていた腕にさらに力を入れた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る