第124話 新帝襲撃 2

 ラヴェト帝は上機嫌で馬を進めていた。フェリケリウス一門の男らしい堂々たる体躯に、華麗な元帥服がよく似合っていた。テルミカート家とロクスベア家の領軍を率いて皇都を出発する前に、皇宮前の広場に面したバルコニーで、集まった群衆の歓呼を受けた時の高揚した気分が未だ続いていた。

 皇帝は人前に出るときは帝冠を被るのが通例だった。しかし前帝、ガイウス7世のの所為で現在帝冠が行方不明だ。おかげでラヴェト1世の登極は布告したものの、その姿を民衆に披露することができなくなるところだった。戴冠すれば――ラヴェト1世は戴冠式もしていなかったが――皇宮前広場で集まった民衆に手を振り、平民に祝儀をばらまくのが伝統だった。民もそれを当てにしているし、やらなかった場合は落胆する。帝冠も被らずに民衆の前に出るわけにも行かず、かといって戴冠の披露をしないわけにもいかず手詰まりになるところだった。

 ところがその慣習に例外規定があった。軍装、皇帝の場合は元帥服だったが、であれば帝冠を被らなくて良い。装飾過多で綺羅綺羅しい帝冠が軍服に似合わないと言う理由もあった。戦時中のこととて軍服で民衆の前に出ることに違和感がなく、おかげで帝冠と御璽が賊に奪われたという不祥事を知られずに済んだ。


 帝国の民衆は長引く戦争に倦んできている。最初の内こそ派手な戦果に歓声が上がったが、戦争が長引いている間にいつの間にか形勢が傾き、占領していたはずの王国領から軍が撤退した。王国から戻ってこない兵も増えている。その上シュワービス峠が王国の手に落ちたという。民衆の目にも帝国の不利が見えてきている。領軍に動員されて周りから若い男がいなくなり、食料や衣服など不足はしなかったが確かに質が落ち、値が上がっていた。

 その中での皇帝の交代だった。ガイウス7世は急病で崩御と発表され、ガイウス7世に劣らぬ偉丈夫のラヴェト1世が即位した。ガイウス7世より一回り年上である分熟練している(と期待される)政治手腕に期待が集まっている。それが皇宮前広場に集まった民衆の歓呼を呼んでいた。ラヴェト新帝の政治手腕に関する評価など民衆が知るわけがないが、指導者が交代したと言うだけで何か良くなるという根拠のない期待をしているのだ。その期待に応えられなければ民衆の支持は急速に落ちるだろう。皇家会議の多数決という、言わば強引な手段で帝位を襲ったラヴェト1世にとっては、皇宮前広場に見た民衆の熱狂が続いてくれる事が望ましかった。民衆の支持など公式には帝位の交代、維持に何の影響もないはずだが、あの熱狂を見た貴族達の思考には影響を与えずにはおかない。それには先ず、民衆の目に見える形で戦争の天秤を帝国側に傾ける必要があると考えていた。


――シュワービス峠を取り戻す――


 そのために北西に大きく開いた口をまずは塞いでみせる。幸いにも情報ではシュワービス峠にいる王国軍は1個師団だけということだった。皇家の領軍、それも、ルファイエ家、スロトリーク家、ブライスラ家の軍は期待できないが、残りの4家からの軍とミディラスト平野の領軍を動員すれば3個師団を越える規模の攻撃軍を用意できる。アリサベル師団にいるというバステア家の裏切り者は聞いたことのない攻撃魔法を使うそうだが、最後にものを言うのは結局数なのだ。相手はアリサベル師団、端的にはバステア家の裏切り者だが、戦力が1個師団にとどまるなら数に任せてすり潰すつもりだった。


 ガイウス7世の下に集められた戦闘詳報を読んでいるはずなのに、ラヴェト1世はレフの恐ろしさを実感として知らなかった。戦闘詳報の中でディアスネス上将はしつこいほど何度も、将校、特に高級将校と分かるような軍装をするなと繰り返していた。それを甘く見ていた。ここは帝国領内だった。当然近くに敵の気配はない。ラヴェト帝としても戦場に出るときにはディアステネス上将の言葉に従うつもりだった。しかし帝国領内は自分が皇帝になったことを知らしめるためにも元帥服で動くべきだと考えていた。事実ラヴェト新帝が通り過ぎる街や村では、人々が道の側に並んで熱っぽい目で新帝と新帝の率いる部隊を見つめていた。ガイウス7世ほど武断的ではないが、老練な政治手腕でこの長い戦を終わらせてくれる――根拠のない楽観的な期待だった。




「いや~、さすがはラヴェト陛下。皇宮前広場に集まったあれだけの民を熱狂させるほどの見事なオーラ!」


 ラヴェト帝は上機嫌だった。すぐ側でうるさく囀る小心者の言葉を、黙れ!と遮らない程度には上機嫌だった。しかしさすがに耳に付いてきて、口を閉じさせようとルゾフ・ロクスベアのほうを向いたときだった。いきなり眼前に赤い霧がかかって、ギャッと言う短い悲鳴と共にルゾフ・ロクスベアが落馬した。生暖かい液体がラヴェト帝の顔にかかった。思わず目を閉じて拭った手に血が付いていた。


「な、なんだ?これは」


 さすがに冷静ではいられなかった。落馬したルゾフ・ロクスベアに目をやると、顔の半分を失った大男がピクピクと痙攣していた。ラヴェト新帝の周りでギャッ、グエッという押し殺した悲鳴が続いた。領軍の幹部将校が次々に馬からたたき落とされていった。立ち竦んだラヴェト帝の周りを近衛の護衛兵が取り囲んだ。


「陛下、ご下馬を!」


 護衛兵の指揮官がラヴェト帝に手をかけんばかりに懇願した。元帥服を着た偉丈夫だ、遠くからでも目立ち、遠隔攻撃魔法の良い的になる。これまで攻撃されてないのが不思議だった。ラヴェト帝は慌てて馬から下りた。ラヴェト帝に続いて領軍の幹部将校達も慌てて馬から下りたが、それでも尚攻撃魔法の的になった。彼らは次々に倒れる同僚達の悲鳴に顔を引きつらせながら右往左往していた。


「こちらへ」


 ラヴェト新帝は近衛の護衛兵に囲まれて逃げるように襲撃現場から離れた。


「何なのだ?いったいこれは!」


 いきなりの攻撃に戸惑いながらラヴェト帝は行軍の最後尾にいたロクスベア領軍の中に紛れ込んだ。




 この襲撃でテルミカート、ロクスベア両軍の幹部将校はほぼ全滅し、軍としてのていをなさなくなった。





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