第123話 ドライゼール王太子の裏切り
ドライゼール王太子はベランダから外を見ていた。皇宮の敷地の最西端にある" 裏の塔" の最上階だった。裏の塔は皇宮から少し離れて建てられているが、長い渡り廊下で2階どうしが繋がっている。何の装飾もなく聳えている裏の塔は国事犯用の牢獄だった。地下は3階まで掘り下げられ、地下に投獄された者は生きて出られないと言う評判だった。地上は12階、20ファルの高さを持っていた。捕虜として皇都へ連れてこられて以来、ドライゼール王太子はその最上階に閉じ込められ、外界と遮断された生活を強いられていた。扱いは悪くない。食事は貴族用のものが供されたし、服や寝具も定期的に取り替えられる。最上階はもともと身分のある拘留者用で、家具もきちんと揃えられている。出入り口は階段を上ってきた踊り場に通じる扉だけで、鉄で裏打ちされていた。ベランダへは自由に出ることができたが20ファルの高さの壁は、例えロープを使っても上り下りできるとは思えなかった。
裏の塔のベランダからは皇都の西半分が見渡せる。そこは庶民街で精々3階建て位の背の低い建物がびっしりと建っていた。建物と建物の間の空間も殆どなく、庭のある家も少なかった。一番外周の市壁に近い辺りはスラム街になっていた。
別に景色を見るためにベランダに出たわけではない。他にやることがなかったからだ。朝と夕に食事を持ってきてついでに寝具の取り替えや着替えを置いていく召使い達は、ドライゼール王太子に対して一言も喋らなかった。召使いの仕事を、槍を小脇に抱えた二人の衛兵がこれも無表情に見ていた。そして連れてこられた最初の数日間、人定のために5人の尋問官が来て以降は召使いと衛兵以外の人間は一人も来なかった。最初で最後の尋問はかなり長時間にわたった。尋問の主分野はアリサベル師団とレフに関するもので、
「あいつがどんな人間かなんて知らん、アリサベルがどこからか拾ってきた奴だ。帝国からの亡命貴族だろう?
聞き出せたのは要約すれば結局これだけだった。時間をおいて巧みに言葉を変えながら同じ質問を繰り返しても答えは変わらなかった。尋問官に加わっていた2人の上級魔法士長が嘘は言ってないと認定したため、情報源としてのドライゼール王太子にはそれ以上の価値がないと判断され放置されていた。人質としては使えるかも知れないということで生かされていた。
その、食事の時間以外に人の来ることのなかった扉が開いた。開閉にわざと大きな音を立てるように作られた扉の音でドライゼール王太子が振り向いた。半個小隊、5人の護衛を従えた偉丈夫が立っていた。一瞬ガイウス7世か?と思ったが直ぐにガイウス7世よりも年を取った男であることに気づいた。
護衛兵の一人が進み出た。
「フェリケリア神聖帝国皇帝ラヴェト陛下のお成りである」
一瞬ドライゼール王太子はあっけにとられた。
「ラ、ラヴェト陛下?」
新帝に登極してラヴェト・テルミカートが先ずしたことは、戦争が始まってからのガイウス7世の決裁書類を検めることだった。ガイウス7世はほぼ一人で方針を決め、必要な部署にだけ命令を下し、結果も必要な部署にのみ報せていた。結果、帝国で戦争の全容を知っているのはガイウス7世だけで、皇家の当主といえど知っていることは自家に関することのみというのが普通だった。ディアステネス上将はそれでもできるだけ独自のアンテナを張り巡らせ、情報を集めていて、おそらくは帝国内でガイウス7世の次ぎに情報通だった。それでも知っていることの量も質もガイウス7世には遙かに及ばなかった。一通り書類に目を通したラヴェト新帝には、言葉を飾った報告書の裏まで全てを見通すことはできなかったが、自分の思っていたより戦争の天秤が王国側に傾いていることは分かった。
――まるでつんぼ桟敷に置かれていたようではないか――
国軍に大きなコネを持っているわけではなかった。漏れてくる戦況に関する情報の質はそれでも庶民レベルを超えてはいたが、直接戦場に行くわけでもなく、領軍が動員されているわけでもない皇家の当主が知り得たことなど限られていた。
――これほどまでに戦況が不利に傾いていたとは……――
そうした書類の中に
「簒奪者の国では礼儀も禄に教えぬのか」
皇族、あるいは王族としての重みと厚みが違った。ラヴェト新帝の嘲りにドライゼ王太子は思わず姿勢を正し、左足をわずかに引き、右手の拳を胸に当てて頭を下げた。王に対する略礼だった。
「ふむ、元王太子ともなれば一応は礼儀を知るか」
新帝の言葉に引っかかった。
「元……?」
「知らぬのか?」
――よし、釣れた――
そう思いながらラヴェト新帝は言葉を続けた。
「何のことだ?」
「アンジェラルド王国では新王が即位したぞ」
「新王が!?まさか」
「戦時下という非常時だからな、いつまでも空位にしておく訳にも行くまい」
嘘かも知れない、動揺を誘って情報を引き出すつもりかも知れない、でも、……本当だったら……。結局ドライゼール王太子はラヴェト新帝の言葉を聞き流す事が出来なかった。
「それで、誰が?」
「ジルベール王が立ったと聞いたぞ」
「ジルベール!?(あのチビ!)」
――レアードがいない今、ジルベールのチビなら継承順位通りだ。しかし王宮内に勢力を持たないチビなら俺が帰国すれば……――
「アリサベル王女が副王だ」
まるでドライゼール王太子の考えを読んだかのように、ニヤッと嗤いながらラヴェト新帝が付け加えた。
「副王!?」
思わず大声になった。
「王、副王と居れば、王太子は不要だな。それでお前は元王太子というわけだ」
「そんな莫迦なことがあるか!副王だと?俺は認めないぞ」
副王などという存在が居れば、王を排除しても副王が王位に就くだろう。後継者としての王太子は要らないわけだ。
「お前が認める、認めないに関わらずそうなってしまったのだ。まあ、アリサベル副王が実権を持っているようだがな」
「宰相府は何をしている?オルダルジェは何をしている?こんな横紙破りを認めているのか?」
副王を立てて王の補助をするのではなく、副王が実権をもつ。王国の秩序はグダグダになるではないか。
「宰相府は王女府に全面的に協力しているようだぞ。官僚を送り込んでアリサベル副王の
「そ、そんな事が……」
「あるのだな。王国はお前を必要としていない」
「莫迦な、莫迦な……」
「お前が帰国しても誰も歓迎しない。今の体制が続けばな」
「糞っ!」
「お前がお前にふさわしい地位に復帰するためには、今の王国の体制を叩きつぶさなければならない。叩きつぶす最も効果的な方法は、
ドライゼール王太子は唇を噛んだ。握りしめた両手がぶるぶる震えている。
「し、しかし、国を裏切る、なんて」
「裏切るのではない。お前の正当な権利を回復するのだ。帝国がそれを助けてやる」
沈黙が続いた。ドライゼール元王太子は顔を伏せている。
ラヴェト新帝は辛抱強く待っていた。やがてドライゼール元王太子が顔を上げて、
「へ……陛下に従います。王国の秩序を、取り戻さなければ、なりません」
絞り出すような声が震えていた。
「良く決心した。このままではお前の人質としての価値さえなくなるところだからな。
属国の王!役立たずの捕虜とどっちがましだ?
ドライゼール元王太子は跪いて頭を下げた。王に対する礼だった。
「我が勝報を待っているが良い」
それだけ言ってラヴェト新帝は身を翻した。護衛兵が後に続き、扉を閉める音がして、鍵のかかる音が続いた。
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