第121話 皇女と将軍 Part Ⅴ 1

 カップを取り上げる手が細かく震えている。カップに満たされた茶の表面に小さな波がいくつも立っている。


――落ち着きなさい、遅かれ早かれ予想されていた事よ。それが現実になっただけ――


 何回か深呼吸をする。震えが収まった手で、カップを口元に持ってきた。一口、口に含んで飲み下した。お茶の香りがフワッと纏わり付いた。


――んっ?――


 急ぎ足で近付いてくる気配にドミティア皇女は気づいた。


「リリシア、もう一杯お茶が必要よ」

「はい?」

「ディアステネス上将が直ぐに来るわ」


 アトレで皇女が使っている貴族館の一室だった。戦場になることを恐れて持ち主が避難した館を接収したものだ。元は客間として使われていた部屋を皇女は居間として使っていた。カルロ・ルファイエとの長い通心の後、興奮を抑え、考えをまとめるため茶の用意を命じ、口を付けようとしていたところだった。


「エリス」


 名を呼ばれて、もう一人の護衛兵のエリスがドアの所に寄った。直ぐにノックがあって、


「ドミティア殿下。ディアステネスです。お話が」


 ドミティアが頷いて、エリスがドアを開けた。ディアステネス上将が部屋に入ってきた。敬礼しながら、茶を飲んでいるドミティア皇女を見て、


「お休み中失礼します。……そのご様子では既にご存じなのですな」


 ドミティア皇女は優雅に頷いた。殊更に落ち着いた風を装った。


「ええ、さっきまで父と通心していました」


 ドミティア皇女の魔器はイフリキアが作ったものだ。レフの魔器に対する攻撃に際しても、機能は妨害されたが破壊はされなかった。カルロ・ルファイエが使っている魔器はイフリキアが存命の頃にイフリキアの最終チェックで”上“の判定を受けたものだ。 イフリキアは魔法院から出荷される魔器をチェックし、"上”"中“ ”下”に分けた。”下”と判定したものは使わないようにイフリキアは言ったが、魔器の配備を急ぐ帝国政府は"上“を皇家へ、”中”を上級魔法士長と魔法士長に、"下”を魔法士に持たせた。実際イフリキアの判定は辛く、8割が“下”判定で、イフリキアの言うように、”上“”中“だけを出荷していたら帝国の侵攻はずっと遅れていただろう。それにイフリキア以外の者の目には”上“”中“”下“の区別など付かなかった。


――帝国の魔女イフリキア様は何を心配しておられるのだ?これが“下”なんてどういう基準なんだ?ちゃんと作動するし、従前の魔道具よりも遙かに高性能ではないか――


 だがレフの攻撃に際して、上級魔法士長、魔法士長の持つ”中“の魔器の方が壊れにくかったのは確かだった。カルロの魔器はイフリキアの手作りではなかったが、チェックを受けたもので、レフの攻撃を受けた後で急いで作られた言わば粗製濫造の魔器とは一線を画したものであった。その魔器はまだレフの攻撃を受けたことがないためカルロの手元に無事な姿で存在した。ドミティア皇女とカルロ・ルファイエは魔器を使って帝国内であればほぼ自由に通心できる。


 ドミティア皇女は目で合図して、従兵のリリシア、エリスを下がらせた。2人が出て行くのを待って、


「カルロ殿下からの報せを受けられたのですな」

「はい、困ったことになったと、父も溜息をついていましたわ。早急に皇家の会議を開いて今後のことを決めるそうです」

「皇家会議、そう言えばそんなものもありましたな」


 皇家会議の決定は勅令につぐ権威を持つ。尤も勅令が優先するため強力な皇帝の下では開かれることさえ希だった。事実、前帝とガイウス7世治下で開かれたのは、ガイウス7世立太子の決定を承認するための1回のみだった。それもごく形式的なもので、慣習によって開かれたものに過ぎなかった。


 ちなみにフェリケリア神聖帝国においては勅令が全てに、――成文法に対してさえ――優先する。バステア処分はその良い例だった。裁判の手続きを全てすっ飛ばしての皇帝の命令だったのだ。他の皇家の人間でその処置に疑問を抱く者もいたが口に出すことはなかった。

 ガイウス大帝は精緻な法体系を構築したが、皇帝の意志を優先する独裁者でもあった。皇帝の意志が最優先というのは大帝の頃からの決まりだった。アンジェラルド王国でもガイウス大帝の法体系を踏襲しているが、王の意志が成文法に優先することは建前としては、ない。アンジェラルド王室と共に建国に貢献した大貴族――後の3大貴族家――とのバランスを取るためだった。


 名はあっても実のない会議――皇家の人間にすらそう思われている会議だった。


「でも皇家会議で後継者を決めることができるかしら」


「八家が、失礼、今は七家でしたな、一致してどなたかを推せば……」


 ドミティア皇女はそれができる可能性があると思っていたが、ディアステネス上将はそんな可能性など信じていなかった。上将まで上り詰める過程で皇家の内部事情を知る機会も多かったからだ。皇家にはガイウス7世のような突出した魔力を持った人間など居なかった。素直に誰かを一致して推すなどということになるには、皇家会議のメンバーの癖が強すぎる。能力に顕著な差がないから尚のことだ。


「 魔力量から言えば、父様、ブライスラ家のフィラール殿下、スロトリーク家のガリエラ殿下、テルミカート家のラヴェト殿下の誰か、ね」

「ガイウス7世陛下が立太子される前に皇太子候補であられた方々ですな。いずれのお方も既に60歳近い、一番若いラヴェト殿下でも50歳を超えていらっしゃる」


 そこで一旦ディアステネス上将は言葉を切った。


――殿下は無難な方々を挙げておられるが、何十年も同じ顔ぶれというのも……――


 ディアステネス上将はドミティア皇女に向かって、少し首を捻り口角をわずかに上げて、


「魔力量だけで言えば、ドミティア殿下、殿下の方が多いのではありませんか?」


 ドミティア皇女は思わず飲んでいたお茶にむせた。


「な、なんてことを言うの?」

「違いましたかな?」


 ディアステネス上将は真剣な顔でドミティア皇女を見ていた。戦争開始以来行動を共にしている。互いに相手の気質は分かっている。これは本気の顔だ。でもどうして分かったのかしら。


「ち、違いはしないわ。イフリキア様に魔纏を調整して貰ってから魔力が大きく伸びたもの」


 魔力の効率が良くなったというか、扱いが上手くなったというか、イフリキアにそれまで無意識にやっていた魔纏を調整して貰ってから他の魔法でも消費魔力が少なくなり、魔力そのものも思いがけないほど伸びたのだ。ガイウス7世には及ばなくても、ガイウス7世の後継候補とされる一族の人間と比べてドミティア皇女の魔力は頭二つ三つは抜けていた。

 それなのにカルロ・ルファイエでさえドミティアの本当の魔力量に気づいていなかった。それが目立たなかったのは皇女自身が魔力を表に出すのを抑えていたことと、女だったからだ。ガイウス大帝は女皇の存在を否定してはいなかったが、今まで女性が皇位に付いたことはなかった。後継候補までは女性が入ることがあったが、最終的に選ばれることはなかったのだ。皇帝という、肉体的にも精神的にも激務である地位に女性を就けることを躊躇う雰囲気がフェリケリウス一門内にあった。ガイウス大帝の建国以来、フェリケリア神聖帝国皇帝は闘うことを躊躇ってはならない皇帝でもあったからだ。


 ディアステネス上将が気づいたのは、軍人として人を能力だけで見る習慣を持っていたからだ。






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