第120話 急転 3

 男は村を縦貫する通りをのんびりと歩いていた。フェリコールの市壁から僅か2里しか離れてない村だった。戸数50個余り、フェリコールに新鮮な野菜を届けるのが仕事で、もう10年もすればフェリコールに飲み込まれるはずだった。そのため村自体には壁はなく、村の周囲を囲うように木が植えられていた。フェリコールの警備隊の巡回路にも組み込まれているため治安もいい。

 男は村のほぼ真ん中にある村長むらおさの館の前まで同じような歩調で歩いて行って、館の前でちょっと立ち止まり、何気ない風で周囲を探った。自分に注目している意識がないことを確かめて村長の館の門をくぐった。玄関をノックすると待つほどもなく扉が開いて、中年の女が男を招き入れた。ひっつめにした髪を布で抑え、上半身も覆うエプロンを着けた大柄な女だった。女は男の背後を探るような視線を素早く動かし、男に余計なお供がないことを確かめた。ここしばらくの間に男も女も絶えず自分の周囲に気を配ることを覚えたのだ。


「若は?」


 男の問いに、


「お目覚めです」


 それを聞いて男は心底ほっとしたような表情を浮かべた。


「お話は?」

「できます。お前様の帰りを待っておられましたから」


 男と女は連れだって館の奥へ入っていった。台所の食器棚を動かすと隠し扉が現れる。隠し扉を開けて階段を下ると、丁度裏庭の倉庫の下に当たる部分に隠し部屋がある。さして広くはないが大人が6~7人なんとか生活できるほどのスペースはあった。隠し部屋に潜んでいたのはコーディウス・バステアだった。


「起き上がられて大丈夫なのですか?」


 椅子に腰掛けているコーディウスを見て男が訊いた。


「もう大丈夫だ。魔力が一時的に枯渇しただけなのだからな」


 皇宮から転移で逃げるとき、送門の魔器を壊されたため、限界まで魔力を振り絞って自分と部下を迎門に送ったのだ。そして何とか自分を含めて5人、逃れることができた。しかし、魔力が枯渇したため以後丸二日意識を取り戻すことができず、意識が戻ってからも丸一日身体を動かすことができなかった。

 男――一緒に皇宮に侵入した魔法士だった――はまだコーディウスがベッドの上で意識を失っている間に周囲の様子を探るため出て行ったのだ。普段と変わらぬように見えるコーディウスを見て思わず涙をこぼした。


「で、どんな様子だ?外は」

「はい、4日掛けて歩き回りましたが、セタキセの辺りが一番警戒が厳重なようです」

「セタキセが?」

「はい」

「あんな所が何故だ?」


 セタキセはフェリコールの衛星都市の一つだ。市壁から東へ20里近く離れている。

 コーディウスもレダミオも首をかしげた。


「私も道々考えておりました」

「何か思いついたのか?ジオニール魔法士」


 名を呼ばれてジオニール魔法士は畏まった様子を見せた。


「はい、おそらくイフリキア様の造られた魔器を基準にしているのではないかと」

「どういうことだ?」


 理解できない顔でレダミオが訊き返した。コーディウスは何か思いついたような表情になった。


「転移の魔器の最大距離は20里と言われております」

「そうだな、私が貰ったのは試作品で5里が精々だ」

「そんな事は警備隊は知りません。転移の魔器で逃げたと報されたら、当然完成した魔器の方を考えます」

「そうか、つまり俺達は20里転移できる魔器で逃げたと思われたわけだ」

「そうです。逃げるときはできるだけ遠くまで転移すると考えるのが普通でしょう。それにバステアの本拠地はフェリコールから見て東にあります」

「それでセタキセを重点的に捜査しているわけか」

「はい、レダミオ様。セタキセで手がかりがなければ捜査は東へ東へと移っていくでしょう」

「ここは比較的にしろ、安全なわけだ。ここの捜査が手薄になるのならルテウスとジェイガと一緒でも良かったかな」


 ルテウス、ジェイガというのはコーディウスと一緒に皇宮に侵入した部下だ。潜伏の気配が大きくなるのを嫌って別の場所に潜伏していた。能動探査でも掛けられたら見つかりやすくなるのを心配したのだ。


「ジオニールの推測はもっともらしいが、それでも油断するわけには行かない。だが確かに予想よりも捜査の目が粗い、ルテウスとジェイガも早いうちに再合流しよう」

「「はい、殿下」」


 レダミオと次オニール魔法士は姿勢を正して応えた。


「もう一つ面白い噂を拾いました」

「面白い噂?」

「はっ、あくまでも噂に過ぎませんが、ルテウスの付けた傷が意外と深かったんじゃないかと言う噂です」


 コーディウスもルテウスの剣がガイウス7世に届いたのは見ていた。


「あれが、か?」

「はい、あの後、ガイウス7世はずっと伏せっているという噂であります」

「伏せっている、か。それだけでは何も分からないぞ」

「いや、レダミオ、あのガイウス7世だ。伏せっているというのが本当なら相当な傷を負っているはずだ」

「はい、私もそう思いますが所詮は噂に過ぎません」

「そうだな、ガイウス7世やつの動静が分かるところに目と耳がないのは残念だ」

「バステアの息のかかった召使いは全て皇宮から排除されましたから……」

「うむ、気にはなるが確かめようがない。ジオニール、引き続き噂を集めろ。但し決して無理をするな、。今となってはお前達の代わりはいないのだからな」

「畏まりました」


 もうしばらく潜伏が続きそうだ、はやくレフ・バステアに会いたいものだがな。手土産もできたことだし。






「レフ様」


 レクドラムのレフの執務室をノックしてシエンヌが入ってきた。レクドラムの貴族の館を接収してレフとシエンヌ、アニエス、ジェシカが使っている。領主館はイクルシーブ中将以下のアリサベル師団幹部の宿舎にして、それよりもやや小さな館に居を構えていた。領主館と隣り合わせの市庁舎がアリサベル師団の司令部になっている。レフの執務室も司令部の中にあった。

 シエンヌが入ってきた気配にレフは書類から顔を上げた。アリサベル師団関連の書類はイクルシーブ中将に回し、レフの所へ回ってくるのはレフ支隊関連と、アリサベル師団関連でもどうしてもレフの決済が必要なものだけになっているはずだが、書類の山はうんざりするほどの量があった。


「面白い噂を拾ってきました」

「又帝国領へ行ったのか?」

「はい」


 シエンヌはすました顔で返事した。帝国領に設置した転移の魔器を使ってレフとシエンヌ、ジェシカはほぼ自由に帝国領に出入りできる。その気になればアリサベル王女とアルティーノも同じことができるが、レフが帝国領への転移を許可しているのはシエンヌ一人だけだった。ジェシカは武器の使用が心許ない。シエンヌの場合は剣の腕だけでもアリサベル師団の中でも指折りと言って良かった。その上自分の気配を消すのが上手かった。どこからでも転移できることを考えると、シエンヌを傷つけるには転移の魔器の側で待ち構え、実体化するまでの僅かな時間で攻撃するくらいしか方法がなかった。


「どんな噂だ?」

「ガイウス7世の具合が悪いそうです」


 レフは思わず立ち上がった。椅子がガタンと音を立てた。


「この前の皇宮侵入事件と関係あるのか?」


 テストールから引きあげてくるときに、テストールに駐留している帝国軍の魔器を破壊してきた。ついでに混乱しているテストールに侵入して帝都師団の魔法士長を一人かっさらってきた。その魔法士長の口から皇宮に賊が侵入して、云々うんぬんの話は聞いていた。一人で皇宮に戻ったガイウス7世の護衛のために近衛連隊はフェリコールに戻ったのだと理解していた。賊の侵入時にガイウス7世に何かあったとはその魔法士長も知らなかった。


「どうもそのようです。賊との闘いで手傷を負ったようで、その手傷が思ったより重傷だったと囁かれていました」

「どれくらい信憑性がある?」

「帝都師団の兵達のほうが詳しく具体的な話をしていました。フェリコールに伝手が多いからだと思います」

「かなり信憑性が高いと……」

「はい、私はそう思います」

「よし、それなら少し揺さぶってみよう」

「揺さぶって?」

「イクルシーブ中将と相談してからだが、もう一度帝国領へ打って出てみる。ガイウス7世が本当に具合が悪いなら反応も鈍いだろう。それに前回連れていってくれなかったという不満をだいている大隊もあるからな」

「そうですね、私も何回か、次回は必ず連れて行ってくれと頼まれたことがあります」

「善は急げだな。行こう」

「はい」


 どこか嬉しげにシエンヌは返事して、レフの先に立ってイクルシーブ中将の執務室へ足を向けた。



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