第120話 急転 1

 フェリコールとテストールを結ぶ街道から1里ほど離れた小高い丘の上から、レフは街道を行く1個連隊の帝国軍を見ていた。帝国軍は全員が騎馬で、申し訳程度の補給物資を荷馬車に積んで街道を急いでいた。レフの側にシエンヌ、アンドレ、アルティーノが控えている。

 日付が変わってからレフはシエンヌ達が野営している場所に戻ってきた。遅くなったのは何時までもアリサベル王女がレフの側にいたがったからだ。それでもさすがに一緒に夜を越すことはできない。レフはアリサベル王女が重い腰を上げて王宮へ向かって転移して行くのを見送ってから戻ってきたのだ。


「どう見ても近衛連隊だな」

「はい、それも近衛のほぼ全員かと思います」


 近衛兵の軍装は一般兵と少し異なる。右肩に小さく帝室の紋章――双頭の獅子――を象った銀製の板が付いている。


「これほど離れていて肩章が見えるのですか?」


 アルティーノの疑問だった。


「ええ、貴方にも見えるようになると思うわ」


 レフの側で魔法を使わされるようになれば、そのくらいはできるようになる。アルティーノはアンドレからの依頼でできるだけレフの側にいる様になったばかりだ。


「やはりあの中にガイウスはいないな」

「昨日から魔力を探知できなかったのは、やはりいなかったからでしょうか」

「昨日はテストールを出て直ぐに引き返したが、それまでは探知できていたな」


 ガイウス7世は体格もいい。隊列の中に何人かガイウス7世に匹敵する体格の男達が居る。一人一人焦点を合わせて探査しても、ガイウス7世の魔力は探知できなかった。完全に魔力を体外に出さない、と言うほど完璧な魔力封鎖はできない。少しでも漏れていればガイウス7世の魔力パターンは探知できる。


「あの中にガイウスの野郎は居ない。皇帝の居ない近衛兵が総出でフェリコールへの道を辿っている。どう思う?アルティーノ」

「えっ?」


 アンドレからいきなり話を振られてアルティーノ魔法士が詰まった。


「そっ、それはつまり……、何らかの理由で、ガイウス7世がフェリコールへ帰った。それで、慌てて近衛が後を追っている、……のでは、ないでしょうか」

「そうだな、あいつは転移ができるから一人でフェリコールへ帰った可能性は有る、だがあいつ一人で帰るなんてどんな理由が考えられる?私達を討伐するつもりでテストールまでわざわざ出張って来ているのだぞ。それを途中で放り出すことになる」

「はっ、はい」


 アルティーノ魔法士は背筋を伸ばした。アンドレとレフでは対応するときの緊張感が違う。


「それは、フェリコールで何か重大なことが起こった場合……」


 だんだんと声が小さくなる。


「何が起こったと思う?」

「は、反乱クーデターとか」

「それはない」

「なぜでありましょうか?」

「ガイウス7世が動かせる軍は今全部がテストールに居る。あいつ一人が帰っても何も出来ない」

「確かにその通りだな、反乱が起こったのならテストールの軍を少なくとも半分くらいは引き連れて行くだろうからな。で、レフ卿、あんたは何が起こったと思うんだ?」

「それが分からない」


レフは肩をすくめた。


「こうなるとフェリコールに王国の目と耳がないのが悔やまれるな」

「戦争前に綺麗さっぱり片付けられちまったと言うからな」

「仕方がない、少しでも知っていそうなのを捕まえて訊いてみるか」

「えっ?」

「魔法士長クラスなら何かを知っているだろう。ご招待申し上げて話を聞けば良い」

「ちょっと待て、レフ卿、テストールへ忍び込んで魔法士を浚って来るってんじゃないんだろうな」

「疑問は解いておくべきだ。フェリコールから情報が得られないとすると、代替手段が必要だろう。なに、あれだけの騒ぎの原因くらい魔法士なら知っているだろう」

「っ!」

「危ないからアンドレ、アルティーノと一緒に先に送ってもいいんだぞ」

「じょ、冗談じゃない、仲間はずれにされて堪るもんか。付いていくぜ」

「よし、じゃあ善は急げだ.行くぞ」

「やれやれ、アルティーノ、帰るまでにもう一仕事だとよ」


 にやつきそうな顔を押さえて、嫌々いやいやの振りをしながら、アンドレが立ち上がった。






「こんな状態で5日間も何も連絡がないとは、いったい何を考えているのだ!」


 カルロ・フェリケリウス・ルファイエが怒りを露わに大声を出していた。温厚で知られる彼にしては珍しいことと言って良かった。カルロ・ルファイエの怒りの対象は彼の前に頭を下げて畏まっている初老の男だった。ラズロック副宰相、オキファス宰相亡き後宰相府を動かしている男だった。それが今冷や汗をかきながら小さくなっている。


「まあまあカルロ殿下、報せるなと言うのは陛下の御意志でもあったのだから」


 後から出てきたロテンシジール下将が宥めるように言葉を挟んだ。


「あなたもですぞ、ロテンシジール下将。我が帝国は戦争中なのですぞ、一刻の猶予もならない決断を幾つも下さなければならないときに国の最高意志決定者が不在だなんて、悪夢ですぞ」

「さ、昨日の朝まではちゃんと目を開けておられて、報告を聞き、裁可されておられました」

「そうですな、私も一昨日に帰京したばかりですが、その時は陛下と話すことができましたから、まさかこんなに急変するなんて想定外でしたな」


 近衛連隊は殆ど不眠不休でフェリコールへ帰ってきたのだ。帰路途中の領軍の馬を徴発しながら乗り継いできたが、一昨日に帰京できたのはロテンシジール下将直属の2個中隊だけで残りは一日遅れで着いたのだった。


「陛下が意識を失われたのは昨日の朝ですと!?では丸一日以上我が帝国は意志決定者を欠いていたわけだ。戦争中の一日ですぞ!偶々その間に何も起こらなかったのは幸運だったに過ぎん」


 カルロ・ルファイエはさきほどまでそこに居た、今は病室になっている皇帝の寝室の扉に視線を当てた。ロテンシジール下将に続いて病室を出てきた医官に、


「で、いまの御容体をどう診断しているのだ?医師団は」


 医官の目が泳いだ。何か言おうとして逡巡し、舌で唇を舐め、手が落ち着かなげに動いた。


「どうなのだ?」


 再度催促されて、


「ふ、腹部の傷が腸を傷つけております。腸管内部の毒が全身に回った状態であると思われます」

「腸管が傷ついているだと!?重大な傷ではないか」


 腹の傷は助からない、戦場における常識だった。


「へ、陛下がお見せくださらなかったのです。平気だと仰って。事実2日間は熱もなく床上で執務されておりました。傷もそれ程深いとは見えませんでした」


 例え腸管が傷ついていても打つ手はない。どうか傷ついてはいませんようにと祈るしかないのだ。


「で、見込みは?」

「高熱を発しておられ、盛んに譫言うわごとを言っておられます」

「そんなことは分かっている!」


 さっきまで枕元に居たのだ。


「へ、陛下が、神のご加護を得ることができたら」

「出来たら?」

「ご、ご回復なさるでしょう」

「そうか……」


 ガイウス7世の運命は人間の手を離れた、と言うことだ。ガイウス7世は後継者を決めていない。後継者になりそうなフェリケリウス一門の成員はガイウス7世に比べれば平凡な魔力しか持っていない。それが不満で決めないのだと言われていたが、魔力だけで決めるのならイフリキア皇女でも良かったはずだ。あるいはコーディウス・バステアでもドングリの背比べの中では頭一つ抜きんでていた。それをぐずぐずと、自分が40歳を過ぎるまで決めなかったのは、魔力だけではない他の思惑があったのだとカルロ・ルファイエは思っていた。


――それが裏目に出た。今陛下が身罷るなどということがあれば帝国内は混乱する。フェリケリウス一門の間(その中には自分も入るだろう)で帝位を廻る争いが始まる――



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