第119話 会食

――少し時間を遡って、


 レフ達はかなり離れて――20里ほど――テストールを監視していた。なにしろガイウス7世がいる。近づきすぎると逆に探知される可能性が高い。

 ガイウス7世が居て何もしないはずは無いと思っていた。案の定テストールから帝国軍が出てきた。


「出てきましたね」

「予想通りだな」

「帝国領内で我々レフ支隊を捕捉するつもりですね」

「捕らぬ狸の皮算用って奴だな」


 レフの側にいるのはシエンヌ、アンドレ、アルティーノの3人だけだった。アナシアからの補給物資輸送隊を襲撃した300人の兵は既にレフがピストン輸送で峠口の王国軍の陣へ送っていた。初めて転移を経験する兵達は、半分ほどは目眩を起こし中にはえずき上げている兵もいたが、レフの魔法に驚嘆し、それが味方であることに安堵していた。彼らを感激させたのは帝国軍襲撃に際して30名近い死者が出たが、その死者達も残らず王国に連れ帰ったことだった。


――レフ様は味方を見捨てない――


 それはレフ支隊の兵達にとってレフ支隊への忠誠をさらに強くする事実だった。


 先ずアナシア方面に向かうであろう帝国軍を適当な距離を開けて追跡するつもりだった。それがテストールを出ていくらも行かないうちに引き返した。思いも掛けない行動だった。慌ててテストールまで10里に近づいたが、それ以降ガイウス7世の魔力を探知できなくなっていた。10里まで近づいたのもガイウス7世の魔力が探知できなかったからだ。おそらく魔法出力を最小限に絞っていると考えた。その上で、他の魔法士達に紛れ込んでいるに違いない。狙撃された記憶がガイウス7世を用心深くしているのだと。レフとシエンヌも魔法出力を最小に絞っていた。アルティーノに探知を命じたが彼の魔力では10里が精々だった。特徴の少ない彼の魔力であれば、帝国軍、魔法士の魔力に紛れてしまう。


「ガイウス7世の魔力は探知できません。しかしなにやらテストール内の帝国軍が騒がしいように思えますが」


 アルティーノの言葉にレフとシエンヌは少しずつ出力を上げた。テストール内部の様子が分かってくる。


「再出撃ではありませんね。行軍隊形は解いています」

「ガイウスが探知できないな。完全に封鎖したのか?」

帝国軍みかたの陣営でそんな必要がありますか?」


 近衛を含む帝都師団を根こそぎ動員してまで出張って来たのだ。それをほったらかしにしてガイウス7世がフェリコールに戻るなどレフの想定外だった。


「やれやれ、どうにも目が離せないな。ガイウスが魔法出力を封鎖して何を企んでいるのか。第1砦へ帰るつもりだったが一晩張り付きかな」

「アリサベル様がお怒りになりますよ」


 シュワービス峠の2つの砦、王国砦と帝国砦を、両方とも王国に帰属するようになってから旧王国砦を第1砦、旧帝国砦を第2砦と称するようになっていた。そしてその夜、第1砦でアリサベル王女と会食する予定だった。忙しい王女にとってレフとゆっくり食事ができるのは久しぶりのことであり、楽しみにしていた。王女は魔器を使って転移できる。アンジエームからレクドラムまで1回の中継で着けるのだ。レクドラムから第1砦は直ぐだ。


「今頃はもう着いていらっしゃる頃ですわ」


 不味いな、と言う表情がレフの顔に浮かんだ。アンジエームでの政務に疲れているだろうという心遣いで、レフから言いだしたことだ。そう提案したときの、通心越しでも分かる王女の弾んだ声が記憶に残っている。急にキャンセルしても、表面上は仕方が無いと言うように繕うだろうが、きっとがっかりするだろうことはレフにも分かる。


「私が残ります、レフ様。アリサベル様とご会食なさってきてください。何かあれば通心いたします」

「良いのか?」

「私達の方がずっと長くレフ様と一緒にいますし、アリサベル様の折角の機会、かなえて差し上げるべきかと思います」

「そうだな……」


 もう一度テストールを探る。出撃前の緊張は感じられない。ガイウス7世の魔力も探知できない。


「あっ、俺達も残るぜ、さすがに敵地帝国領内にシエンヌの嬢ちゃん一人にしては置けないからな」


 アルティーノ魔法士が少し不安な顔つきになった。しかし、アルティーノ魔法士でも峠口の王国陣くらいまでなら転移できるし、アンドレ一人ならシエンヌが連れ帰ることが出来る。


「そうしよう。王女殿下のしょげる顔など見たくはないから」


 ふっとレフの姿が消えた。


「良いのか?シエンヌの嬢ちゃん。レフ、いそいそと嬉しそうに王女様に会いに行ったぜ」

「嫉妬しても仕方ないわ。これからも長いもの。でもこの戦乱が収まらないと、少なくとも落ち着かないと、王族の婚礼なんてできないものね。それまではレフ様は私達のものだわ」


 テストールの監視のために残ったシエンヌとアンドレの会話だった。




 アリサベル王女とレフの会食といっても特別な料理が用意されたわけではない。それでもこの日の夕餉には、レフ支隊の帝国領からの無事な帰還を祝して、テルジエス平原から新鮮な肉と野菜が届けられてはいたのだ。2つの砦に詰めている3000人の兵に平等に振る舞われた。アリサベル王女とレフが特別扱いされたのは、客用食堂が二人のために用意されて従兵によってサーブされたくらいだった。


 焼きたての柔らかいパンで肉汁の混ざったソースを掬って皿を綺麗にして、


「おいしかった」


 レフの言葉に


「やっと、これだけのものをテルジエスで用意できるようになりました。褒めてください」


 アリサベル王女も食事を終えて口をナプキンで拭きながら言った。この戦乱で一番手ひどく荒らされたのがテルジエス平原だった。特にシュワービスに近い北部は無人になった街も散見されるほどだった。農地は荒らされ、水利は壊され、人は連れ去られた。戦後を待って、連れ去られた人々を取り戻してから復興するという時間的余裕はなかった。王国の穀倉であるテルジエス平原が荒れたままでは王国が飢えることになる。それになんと言っても王女に下げ渡される予定の地だった。王国中から人を集めて再建に励んだのだ。テルジエス平原から逃げ出した人々だけではなく、戦乱で生活の基盤を失った人々も集まった。その努力が実を結びつつあった。それを実感するためのメニューでもあったのだ。


「よく頑張った、と私も思う。アリサベルでなければできなかっただろうし」


 レフに褒められてアリサベル王女が俯いた。肩が細かく震えている。空になった皿の上に涙が落ちた。レフに認めてもらうために、そのためだけに仕事をしてきたのだ。テルジエスを優遇しすぎるという誹りがあることは知っていた。自領になるのだからだろうとしたり顔で噂する連中がいることも知っていた。そんな感情が全くないとは言えなかったが、優先順位を付けて復興しなければならないと思っていた。総花的に力を分散しても駄目なのだ。東は未だ国境を挟んで帝国軍と睨み合っている。何時均衡が崩れるか分かったものではない。それに比べると西はシュワービス峠をアリサベル師団が抑えているだけ、比較的にしても安定している。先ず西に重点を置くという政策は間違っていないはずだ。そんな自分の思いをこれまでもレフは肯定してくれた。何時だってアリサベルを支える位置にいてくれた。それがどれほど励みになったことか。


 何時しかアリサベル王女とレフは並べた椅子に座って、アリサベル王女はレフに凭れて目を瞑っていた。


「レフ様、暖かい。いつもレフ様の側に居るシエンヌ達がうらやましい」


 小さな声で、ぽつぽつと話しながら、時間が過ぎていった。






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