第118話 コーディウス・バステア 3
皇帝執務室に賊が入ったと言う報せをガイウス7世が受けたのは、レフ支隊を追跡するためにテストールを出発してまもなくだった。不機嫌を露わにした表情でその報告を聞いたガイウス7世が顔色を変えたのは、賊の中にコーディウス・バステアが居ると聞いたときだった。
「コーディウスが執務室に侵入しただと……」
賊の目的は分かった。帝器だ。
ガイウス大帝から代々の皇帝に伝わっている帝器がいくつかある。最も有名なのは神聖剣であり、その他、御璽、帝冠がよく知られている。通常、神聖剣は謁見室の玉座の後ろに飾ってあるが、帝冠、御璽は執務室に保管してある。ガイウス大帝の血統であることと、これら帝器を受け継いでいることが、フェリケリア帝国がガイウス大帝の正当な後継者であることの象徴と考えられていた。
「一目で陛下と分かるような格好はお控えください。レフの狙撃の良い的になります」
神聖剣も帝冠もディアステネスの忠告に従って持ってきてはいなかった。ガイウス7世自身にも昨秋に峠口で狙撃された経験があり、その忠告に素直に従っていた。皇帝親征であれば帝冠を被り神聖剣を佩いた皇帝が隊列の一番目立つところにいる、というのはあることだった。それが今回はできない。帝冠を持ってくるなど論外だった。その堂々たる体躯に帝冠を載せていると、遠くからでもガイウス7世とわかる。いい的だ。
皇帝の執務室まで賊に侵入されたという警備の不手際は責めなければならないが、皇宮の奥深くに入った賊が直ぐにでも排除されることには、疑いを持っていなかった。多少荒らされり火を付けられたりしたとしても本質的な被害はない。最悪、備品、什器を取り替え、絨毯、壁紙、カーテンをすべて新しくすれば良い。アンジェラルド王国が、王宮を帝国軍から取り戻した後にしたように。
謁見室には賊は侵入していないという報告を受けていたから、神聖剣についての心配はない。帝冠、御璽は執務室に保管してあるが保管場所には厳重に魔鍵を掛けてある。賊ごときに何とか出来るような鍵ではなかった。魔鍵を壊すか、鍵を無視して保管庫に穴を開ける事も出来るだろうが、時間が掛かる。そんな事をしている間に警備隊が駆けつける。たかだか6人の賊を排除することなど容易だろう。しかし賊がコーディウス・バステアであれば別だ。魔鍵はフェリケリウス一門の魔力に反応する様に作られていたからだ。
――コーディウス・バステア、余に次ぐ魔力を持っている男、イフリキア亡き後紛う事なきナンバー2。余に万一のことがあれば、……後を襲う可能性があった男――
コーディウスと言い、イフリキアと言い、当代のバステア家はこれまで傍流扱いされていたのが嘘のように、大きな魔力を持つ人間を排出していた。ガイウス7世が側室との間に設けた子達はフェリケリウス一門の成員としては平凡な魔力しか持ってなかった。この段階で後継者を決めることになればイフリキアが生きていれば彼女になったかも知れない。イフリキア亡き後ならコーディウスの可能性もあった。いや必然的にそうなっただろう。
『最も優れた魔力を持つ
ガイウス大帝が言い残した言葉だった。さすがに皇太子が選定されたあとに、もっと強力な魔力を持つ者が出てきたから皇太子が替わる、などと言うことはなかったが、
ガイウス7世はぐずぐずと後継者選びを延期していたが、そろそろそれも限界に近づいていた。
それだけにガイウス7世にとってバステア家は目障りでうっとうしい存在だった。イフリキアはガイウス7世の言葉にあからさまに逆らうことはなかったものの、心から従っているわけではないことは明らかだった。コーディウスが皇宮に来てガイウス7世の子達を見たときに浮かべる僅かな冷笑は、ガイウス7世を苛つかせた。そんな表情の僅かな変化などガイウス7世でなければ気づかなかった。表面的には慇懃な態度を保っているだけ、面と向かって叱責することも出来なかった。
レフの裏切りを知ったとき躊躇無くバステアの根切りを指示したのもそんな背景があったからだ。尤もガイウス7世自身は、そんな心の動きがあったなどとは決して認めないだろうが。
コーディウス・バステアが執務室に侵入している。奴の魔力があれば魔鍵を開けることができる。御璽と帝冠を手にしたとき、コーディウスは何をするつもりか?このときガイウス7世はコーディウス・バステアが脱出の手段を持っていることを知らなかった。追い詰められて破れかぶれになっての自殺
ガイウス大帝から連綿と受け継がれた帝器を自分の代で毀損したと、そんな記録が残ることにガイウス7世は耐えられなかった。帝器をなくせば皇帝たる資格を失う、などと言う不文律があるわけではない。しかし、帝位の権威は帝器によって裏打ちされなければならない。特に帝冠は様々な国事行事に皇帝が出席するときに被る。紛失したりすると帝国臣民に広く知られることになる。表だって非難はされないだろうが、陰で何を言われるか分かったものではない。御璽も同様、皇帝の意志決定は御璽を押された書類によって示される。新しい御璽を作ってもそれが素直に受け入れられるまでどれほどの時間が掛かるのか?
自分はガイウス大帝の最も真正な後継者なのだ。ガイウス大帝に並ぶ魔力を持ち、ガイウス大帝が築いた大フェリケリア神聖帝国を再建するのだ。それが“帝器をなくした皇帝”などと貶められる。我慢できるはずがない。
「アウレンティス!」
ガイウス7世は後ろに控えている近衛連隊司令官を呼んだ。
「はっ」
「皇宮へ戻る。侵入した賊を退治してくれる!」
「陛下!無茶です」
アウレンティス下将はガイウス7世が転移の魔法を持っていることは知っていた。しかしここから皇都は遠すぎる。いかにガイウス7世とは言え、無謀だ。果たして魔力が保つのか?ガイウス7世のアウレンティス下将を見る目が鋭くなった。
「マルク・アウレンティス下将」
フルネームに階級を付けて呼ばれた。つまりこの後の言葉は正式の命令になる。アウレンティス下将は馬上で姿勢を正した。
「はい!」
「お前達は一旦テストールへ引き返せ。そこで待機せよ。レフ支隊に峠口を抜けさせてはならぬ。余が戻るまで帝国領に閉じ込めておくのだ。良いな!」
有無を言わせぬ口調だった。
「承りました!」
次の瞬間、馬上からガイウス7世の姿が消えた。
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