第118話 コーディウス・バステア 1
フェリケリア帝国の首都、皇都フェリコール、アンジエームと並ぶ中原の大都市、人口200万に達する政治、商業、工業の一大中心地である。
ガイウス大帝が基礎を置いたときから一度も敵対勢力に攻め込まれたことがない。その所為もあって、市壁は高くとも堀を巡らせているわけではない。市の正門は昼夜を問わず堂々と開いており、身分証を見せれば誰でも(建前上は)通れる。正門には3つの門が並んでいて、真ん中の一番大きく豪華な門は皇族専用、向かって右の門は貴族専用、向かって左の門はそれ以外の人間と荷物の通用門だった。順に狭くなるが、左の門でも大型の馬車が悠々とすれ違うことができる広さがある。正門の両側には門衛の詰め所があり、門の両側で一段と太くなった市壁の上に左右2本の望楼が建っている。
街の中心、やや北寄りに威風堂々たる皇宮がその偉容を見せている。10ファルの高さに壁を廻らせた上に、本宮と本宮を囲む5本の塔がかなり遠くからでも見える。塔の高さは50ファルもある。中原で一番高い建物だった。
皇宮前の広場は閲兵ができるほど広い。地方から皇都へ来た人々は皇宮の偉容を一度は見たいと願うことが多く、普段から何も無くても人が集まってくる広場だった。
皇宮の正面の扉は日中開いている。ガイウス大帝以来の慣習で、戦争中でも陽のある内に閉じられたことはない。左右の衛所には10人ずつの門衛が交代しながら一日中詰めている。
皇宮の警備は通常近衛の仕事だった。しかし今は、ガイウス7世が近衛連隊を根こそぎ動員して連れていったため、フェリコール市の警備隊が代行していた。
近衛であったら見とがめたに違いない人間が皇宮の門を通過できたのは、貴族階級に属する人間の識別に慣れていない警備隊兵士が門衛を務めていた所為だった。
男は如何にも高位貴族と言った態度と服装で供を5人連れて堂々と皇宮の門をくぐったのだ。門衛はちらっと見せられた通行証を検めることもなく簡単に男を通した。男に威圧されていたと言って良い。高位貴族との接触に慣れた近衛であれば違っただろうが、滅多に高位貴族と接することのない警備兵にとって、通行証を検めるために呼び止めるなど不可能だった。それに男達は剣を腰に佩いているだけで重武装しているわけでもなかった。高位貴族によくある背の高い、堂々たる体躯の尊大な感じのする30歳前後に見える男だった。
男は迷うそぶりも見せず皇宮の奥に入っていった。皇宮内は、いつも巡回している近衛兵の姿もなく、多くの使用人が皇帝の不在のためもあって暇を取っているため閑散としていた。今も忙しく動いているのは宰相府だったが、男の足はそちらへは向かわなかった。
男が向かっているのは奥、皇帝の執務エリアだった。時に足を止め廊下を曲がって行き交う人間をやり過ごし、遠回りになっても人の少ない廊下を選び、男と男に率いられた5人の男達は奥へ入っていった。
男は上級魔法士長並みの探知の魔法を持っていた。使っているのは旧式の魔道具だったが、魔器を使う魔法士長に匹敵する探知ができた。だから
ガイウス7世は正室を娶っていない。何人かの側室がいて子供もいたが、彼女らのいる奥とガイウス7世の執務エリアとプライベートゾーンは分けられていた。男にとっては好都合だった。さすがに女達の居室近辺は”人が少ない”というわけには行かなかったからだ。
男達は、通常ならば門から半刻で到達することができる部屋に1刻以上をかけて着いた。男の探知能力があったとは言え、ここまで見とがめられることもなく到達できたことは、この戦争による帝国政府の人員の数と質の劣化、なにより皇帝の不在がもたらす気の緩みがあることを物語っていた。なにしろそこは皇帝の執務室なのだ。
背の高い両開きの扉に身を寄せて男は部屋の中の様子を探った。そしてニヤリと笑った。
「こいつは良い」
皇宮に入って以来初めて発した声は冷え冷えとして酷薄だった。剣を抜いてそっと扉を開けた。中にいたのは探知したとおりの人間だった。扉に背を向けて机の上に積まれた書類に目を通している。扉が開いた気配にその人間が振り返った。
「誰だ?まだ時間では……!」
扉から入ってきた男を見て息を飲んだ。
「コーディウス殿下!」
思わずそう呼んでしまった。既に殿下と呼ばれる身分は男から剥奪されている。
「久しいな、オキファス。会いたかったぞ、セルティウスの次ぎにな」
セルティウスというのはガイウス7世が改名する前の名だった。男はことさら改名前の名で呼んだのだ。
帝国宰相、オキファスは腰に差している短剣を抜いた。コーディウス・バステアが抜剣している以上、話し合いの余地はない。フェリケリウス皇家に属する人間の苛烈さはよく知っている。短剣を構えたオキファスを見て殺気だった供の男達を手で制して、コーディウス・バステアは鋭い声を出してオキファス宰相に斬りかかった。踏み込みとともに振り下ろされる剣を懸命に逸らす。2合3合と切り結んでコーディウスはいったん後ろへ下がってあらためて剣を構えた。オキファス宰相は既に肩で息をしていた。胸に負った浅手から出血して服ににじんでいた。そもそもの剣の腕が違う、腕力が違う、その上ここしばらくオキファス宰相は武器に触ったこともなかった。猫が鼠をいたぶるようなもので、3合で致命傷を与えられなかったのは、コーディウスにその気が無かったからだ。
「若、時間が」
供の中のリーダー格の男がコーディウスを促した。ここでオキファス宰相を見付けたのは、計画にはない余分な事だった。割ける時間は多くは無い。
「そうだな、我が一族の捕縛・処刑を指揮した男だ。女・子供も含めてな。もう少し楽しみたかったが……」
コーディウスが体ごとぶつかるようにオキファスに迫った。慌てて後ろに下がろうとして机に突っかかってしまった。それでもオキファス宰相が短剣を構えた瞬間、コーディウスの剣がオキファス宰相の胸を貫いていた。
剣を振って血を落としながら、広がっていく血だまりの中に倒れ伏したオキファス宰相を見下ろして、
「叔父上、父上、仇の手先は討ち取りましたぞ」
声が少し震えていた。
バステア一族はレフとアリサベル王女の婚約が発表されたとき、全員に捕縛命令が出され、一切の弁明も許されず処刑された。
コーディウス・バステアはバステア家当主だったブルーノ・バステアの弟、トニオーロ・バステアの子だった。そしてバステア一族唯一の生き残りでもあった。
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