第117話 侵攻 10
帝国軍第一師団は、イクルシーブ中将指揮下のアリサベル師団が籠もる峠口の防柵を攻めあぐねていた。防柵から出てこないのだ。防柵に近づくと爆裂の魔器が炸裂する。それは予め地面に埋められていた物も、防柵の内側から投げられた物もあった。テストールで2個大隊が焼かれた惨劇を見ていた兵達はそれで足が竦んだ。いくら叱咤しても防柵に近づかなくなった。
それでもなんとか盾を構えて弓の射程距離までは進出し、一見派手に矢合戦をするが戦意の不足はいかんともし難かった。防柵の向こうから何かが投げられれば腰が引けている兵達はバラバラと逃げ出す。投げられた円盤形の魔器は不可思議な飛び方をして、兵が集まっているところ、物が積んであるところをめがけて落ちてくる。対人用には兵の頭上5ファルほどで爆発して破片をばらまき、対物用には物に接触したとたんに爆発した。帝国兵はアリサベル師団が籠もる防柵から50ファル以内に近づかなくなった。その距離を超えて魔器が飛んでくることはなかったからだ。
「不味い、不味いぞ!」
帝国軍第一師団司令官クトラミーブ中将は焦っていた。アナシアを攻めていたレフ支隊が転進したという報せは受け取っていた。全員が騎馬だ、急げば1日強あれば戻ってくることができる。既にアリサベル師団と接触して2日が経っている。このままでは挟み撃ちになる。戦意の落ちた第一師団ではどれだけ抵抗できるか心許なかった。
「それにしてもレフ支隊、未練もなくアナシア攻略を諦めるとは」
シュリエフ一門の領都の攻略をこうもあっさり諦めるとは思いもしなかった。帝国内でも有数の領都を攻略するというのは帝国民に与えるショックも大きいし、略奪すれば実入りも大きい。例え引き上げてくるにしても、シュリエフの領軍が多少は足止めするだろうと思っていた。退いていくならその背中を撃てば良い。だが報されたのはそれさえもしなかったと言うことだ。シュリエフ領軍はアナシアに居竦んで、追跡の偵察隊さえ出さず、陣を払って遠ざかるレフ支隊をただ見送ったという。
第一師団は明日にもレフ支隊と接触するかも知れない。挟撃されてもできるだけ粘って帝都師団の到着を待ち、帝都師団と協調してレフ支隊を攻めることができれば何とかなる。まして帝都師団はガイウス7世が率いている。損耗のない精鋭師団だ。それにレフ支隊は3000人、3個大隊規模と聞いている。防柵を挟んで対峙するアリサベル師団主力とレフ支隊の両方に対抗するだけの戦力はある。一縷の希望をそこにかけるしかない。
それが叶わぬ望みであったことは、その晩第一師団のなけなしの魔器が再び破壊されたことで思い知らされた。魔器の破壊される眩しい光の中で、帝国軍第一師団は一級警戒体勢を取った。魔器の代わりに性能の落ちる魔道具を用意していた。魔器から魔道具への切り替えの演習も繰り返していた。その切り替えの混乱の中で
――真夜中、
峠口を囲んで布陣していた帝国軍の左翼、第五、第六大隊――現役兵の大隊だ――の隊列の各所に設置してあった篝火が一斉に引き倒された。松明の火が消えることはなくても台の上で燃えていたものが地に散らばる。火の粉が舞って周囲にいた兵達が慌てて飛び退く。
ちょっとした混乱が起き、峠口側と、その反対側を警戒していた不寝番の注意が少し逸れたとき、殆ど無言で
「糞!」
クトラミーブ中将が歯ぎしりしても第一師団と帝都師団でレフ軍を挟撃する、という作戦が失敗したのは明らかだった。
――しかし、何故?――
あれだけ接近されるまで気が付かなかったのか?確かに気配の大きい騎馬兵の突入までには少し時間があった。しかし馬を下りた王国兵は篝火が倒された直後に攻撃してきた。すぐ側まで来て攻撃のタイミングを計っていたとしか思えない。馬による突入もそれ程時間をおいたわけではない。何しろ同じく峠口に陣を敷いていた味方の救援が間に合わなかったくらいだ。クトラミーブ中将は30年以上を軍に奉職している。魔器の使用が普通になる前からだ。だから以前の魔道具であってもどれくらいの探知ができるかよく知っている。3000の兵がこれほど近くに来ているのに気づかないなど、
――あり得ない――
だが、有り得た。
――レフ・バステアを敵に回したのは失敗ではないだろうか?――
勿論こんなことは口には出せない。
――本当に「クードマール」に描かれたように、好きなように分断され、各個撃破の対象になるのかも知れない――
クトラミーブ中将は握りしめた拳ごと体が震えるのを感じた。
このときクトラミーブ中将が気づかなかったのはレフ支隊の300人がまだ帝国領内に残っていることだった。
帝都師団が峠口に到着したのは次の日の昼前だった。殆ど不眠不休で駆けてきたのだ。
「そうか」
一日ぶりになるまともな食事をしながらクトラミーブ中将の報告を聞き終わったガイウス7世が発したのはごく短い言葉だった。
「逃がしたか」
「申し訳もありません」
帝都師団の登場を予想していたような動きだった。帝都師団が近づいているのが分かった途端に陥落寸前の敵の街を惜しげもなく放棄して撤退を決定、さっさと引きあげた。
――厄介な敵だ、帝国領土には全く興味がなく、こちらを混乱させることだけに力を注いでいる――
普通は血を流して手に入れた土地には執着する。代償を払って占領した地を手放せるものか、と、そう思うのだ。王国内に攻め入った帝国軍がそうだったように。占領に費やした血と汗に拘泥しぐずぐずと居座る。敵の反撃でたたき出されるまで。
――さっさと皇都に引きあげるか、アリサベル
その時は、ガイウス7世はそう思っていたのだ。
それから3日、峠口の防柵を挟んで両軍は睨み合っていた。イクルシーブ中将指揮下のアリサベル師団は守りを固めて防柵から出てこなかったし、帝国軍は王国軍の防柵から100ファル離れて新たな防柵を作っていた。防柵作りに動員された近隣の住民達は遠くに見える王国軍の姿にビクビクしながらも、王国軍に荒らされた生活の足しになる賦役の賃金を当てにして働いた。ガイウス7世の目論見としてはシュワービス峠を取り戻すことはできなくても、王国軍を再び峠口からこちらに入れるつもりはなかった。
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