第117話 侵攻 9

 クトラミーブ中将は第十一、第十二大隊をテストールに送り込んだ。両大隊とも帝都で第一師団に加えられた予備役中心の大隊だった。精鋭とは言えない、つまり失っても惜しくはない、と判断したからだ。彼らは恐る恐るテストールに入った。昨秋に帝国第五師団を壊滅させた罠――キリング・ゾーン――の話はよく知られていた。それでも命令は命令だった。テストールを放置したまま峠口を攻めるわけにはいかないことは分かっていた。誰かがやらなければならない、言わば貧乏くじだった。それでも罠を仕掛けやすい門を通らずに、はしごをかけて市壁を越えるくらいの用心はしたのだ。余分に時間は掛かるがクトラミーブ下将も諒承した。


 テストールは完全に無人だった。市内に入った帝国兵は最初は1軒1軒慎重に捜索していたが、程なくそんな用心を投げ捨てて捜索するようになった。用心していてはクトラミーブ中将に指示された時間内――午前中――に捜索が終わらないこともそれに拍車をかけた。庶民の住宅も、大商人の邸宅も、貴族の館も、領主館もどたどたと土足で入り、乱暴に一部屋ずつ検めた。


「人っ子一人おりません」


 大隊付きの魔法士長がそうリフヴォージュ上級魔法士長に連絡したときだった。テストールの外周、市壁に近い平民の住宅から一斉に火が上がった。火はたちまち市壁に沿って街を囲むように広がり、それから街中まちなかへ燃え広がっていった。計算された火の路だった。高く立ち上がった炎が風を呼び、その風がさらに炎を巻き上げた。焼け落ちた家々が道を塞ぎ、逃げ惑う兵の上に崩れ落ち、脱出の邪魔をした。文字通り阿鼻叫喚の地獄だった。街の外に待機していた第一師団の兵達は呆然とそれを見ているしかなかった。


 逃げ延びることができたのは市門の警備を命じられていた中隊と、偶然逃げ道を見付けることができた少数の兵だけだった。


「糞が!卑怯な」


 損害を覚悟の上で兵を送り込んだクトラミーブ中将だったが、やはり口惜しいことに変わりはない。歯ぎしりしながら呪詛の言葉を吐き出した。


 この作戦は新たに招集されて第一師団に配属された、主に予備役の兵に大きな影響を与えた。戦力に劣る兵は、王国軍てきの魔法攻撃への生贄として磨り潰されるのだと思わせたのだ。予備役の兵は軍の経験があるベテランが多い。作戦の意味や狙いが理解できる。第十一、十二師団をテストールに突入させるのも一つの作戦として見れば理解できる。しかし、現役兵よりも先に自分達が死地に送られるかも知れないという思いは彼らを蝕んだ。第一師団は補充兵を加えて増強師団になっていた。その補充兵の士気が、目の前で2個大隊が手もなく壊滅するのを見て著しく低下した。





「これは一体……?」


 帝都師団司令官フィリレザーブ下将を始めとする帝都師団の高級将校達は呆然として、焼け落ちた補給物資集積所デポを見ていた。ガイウス7世も苦虫をかみつぶしたような顔で焼け跡をみていた。村長の館も、その庭に建てられていたバラックもその中身ごと完全に焼け落ちていた。荷馬車もそれを引く駄馬もほとんど残っていなかった。村人の家も半分以上は焼けている。ノロノロと村人が焼け跡を片付けていた。


「む、村長むらおさは、戦闘当時追い出されていたため詳しいことは分からないが、300ほどの騎兵が襲ってきてあっという間に警備隊は壊滅したと、言っております」


 軍の規模を正確に推定するのは難しい。まして村長は軍人ではない。派手に燃え上がる火、駆け回る騎馬兵、上がる喚声、遠目から1個中隊を倍以上に見間違うのも無理はなかった。


王国軍やつらの手がこんなに長いとは……」


 デュエルカート上級魔法士長の報告だった。王国軍は3000ほどの勢力でアナシアを攻めているはずだった。あの規模の街を攻略するには決して潤沢な戦力とは言えない。そこからその1割を抽出して40里も離れた所を襲おうなどと思うだろうか?例えここに物資集積所を置いていることが漏れていたとしても。

 ただこの村で街道は2つに別れる。アナシアへ向かう主街道と、主街道ほど整備されていないが直接テストールに向かう道だ。ここに物資集積所を置いたのはそう言う理由もあった。だが王国軍も地理を見て同じ結論に達したのかもしれない、狙われやすい所なのだ。デュエルカート上級魔法士長の報告を聞きながらフィリレザーブ下将はそう思った。


王国軍やつらはアナシア攻撃を諦めて退いていると報告がありました。アナシアまで行けば物資は補給できます。物資集積所ここを潰されても補給には困りません」


 フィリレザーブ下将の言葉は強がりだった。物資は確かにアナシアで集められるだろう。しかし、そのための時間は限りなく貴重だ。アナシア攻囲を解いて引き上げる敵を追うのだ。ここで物資を補給して時間をおかず全力で追うつもりだった。幸いショートカット出来る経路がある。

 何しろ相手はあのアリサベル師団、その中でも精鋭のレフ支隊だ。半刻、一刻でも時間は惜しい。だからと言って補給物資も無しに行軍するなどできない。軍を分けて後から物資を届けようにも届くまでは補給無しだ。アナシア以外に1個師団を給養できるような街は近辺にはない。できればテストールか峠口かに着いたばかりで準備不足の王国軍を叩きたい。そのための時間がこぼれ落ちていく。ガイウス7世は何度目かの歯ぎしりをした。


「ラエッタ千人長」


 ガイウス7世が呼んだのは帝都師団の大隊長の一人だった。


「卿に物資の集積と運搬を任せる」

「はっ!」

「アナシアでできるだけ短時間で物資を集め、テストールへ向かえ。残りの9個大隊はこのまま敵を追う」

「陛下!最早糧食がありません。今朝の分で最後かと」

「兵という者は背嚢の中に一食分か二食分隠し持っているものだろう。違うか、フィリレザーブ?」

「それは、確かに……」

「それに第一師団と合流すればその物資が使える」


 兵にとって戦場での給養は死活問題だ。特に武器と食料は不足すれば致命的になる。だから機会があれば無理をしてでも背嚢に食い物を押し込む。だからと言ってそれを当てにして作戦を立てるわけにはいかない、フィリレザーブ下将の常識では。

 第一師団の物資を当てにすれば、作戦行動期間が半分になる。1個師団分の物資を2個師団で使うことになる。ラエッタ大隊の集めてくる補給が間に合うことを祈るしかない。


「非常事態だ、時間が惜しい。行くぞ!」


 皇帝に命令されてしまえば従うしかない。帝国軍帝都師団は1個大隊を分けてアナシアに派遣し、テストール目指して出発した。焼け落ちた集落の側を通過する兵は如何してもそちらに目が行く。これまで帝都師団はこの戦争で王国軍と闘ったことがない。色々な噂を聞く。軍にいる分だけ民の無責任な噂より正確な情報が入る。そんな情報を知ると、破竹の勢いで王国内に進撃した帝国軍の前に突如立ちはだかったアリサベル師団の不気味さが際立つ。聞いたことのない魔法を使うばかりでなく、帝国軍の魔法を阻害するという。集落の焼け跡は、無謀にも歴戦のアリサベル師団プロに突っかかっていく帝都師団アマチュアを嗤っているように感じられたのだ。




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